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マヤ文明は、紀元前3000年から16世紀頃まで、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明で2012年12月21日人類滅亡説を予言したことで有名となった。
マヤ文明は当時では考えられないくらいの高度な技術を持っていたことでも知られているが、ここではマヤ文明に関する15の事実を見ていくことにしよう。
1. 未だにピラミッドや遺跡が新発見される
世界中の考古学者が長きに渡って調査対象としているマヤの地から、ピラミッドのような巨大構造物が未だに発見されるのは驚きだが、数年前にメキシコのチアパス州トニナで発見された1000年以上前のピラミッドは、高さ75メートルと、メキシコ最大のものであることが2015年に発表された。天然の丘に隠された状態だったという。また2014年には、やはり鬱蒼とした草木に覆われていた古代マヤ都市の遺跡がメキシコのカンペチェ州で発見されている。
2. チョコレートを食べていた
最初にカカオを食用にしたのは、今から約3500年前、マヤ文明より古いオルメカ文明だとされるが、チョコレート作りを形にしたのがマヤ人だと言われている。グアテマラで発掘された、カカオの残滓が検出された壺などから、おそらく2600年前にはカカオの加工を行っていたと思われる。マヤのチョコレートドリンクは、水やハチミツ、唐辛子、コーンミール等をブレンドして泡立てたようなスパイシーな飲み物で、祝祭や儀式の場で飲まれていた。
3. 複雑な象形文字の体系を有していた
マヤ文字は先古典期後期(紀元前400年~AD250年)に起源を持ち、建造物や石碑、絵文書や陶器などに残されている。それぞれが単独の音節を表す800以上の異なるヒエログリフ(象形文字)から構成され、メソアメリカで最も高度な文字体系だと考えられている。マヤ研究者がこれら象形文字の大部分をようやく解読できるようになったのは、ここ数十年間のことだ。
4. マヤ文字解読に貢献したのは、建築学を学んだロシア系アメリカ人女性
ロシア系アメリカ人のタチアナ・プロスクリアコフは、建築家を目指していたが、大学を卒業した1930年は大恐慌の真っ只中。建築関係の仕事が見つからず、ペンシルバニア大学博物館で遺跡のスケッチをする仕事に就き、グアテマラのマヤ遺跡「ピエドラス・ネグラス」に派遣された。その後、自らもマヤ研究者となり、1960年、暦の日付以外は理解不能だと思われていたマヤ文字解読に関する通説を覆す論文を発表した。
石碑を検証した結果、プロスクリアコフは「上を向いたイグアナの頭の絵文字」は王の誕生、「鳥の頭の絵文字」は王の即位の日付であるという仮説を立てた。そして、個々の石碑は、それまで考えられていたような、神に捧げられたものではなく、特定の支配者の一生を描いているのではないかと考えた。これにより、王家の歴史の解読が可能になった革命的な発見だった。
5. 焚書により、現存するマヤの書物は4冊しかない
マヤ人は、屏風折りになったイチジクの木の樹皮などに絵文書を残した。「コデックス」と呼ばれるこうしたマヤの絵文書のうち、現存するのは「ドレスデン絵文書」「パリ絵文書」「マドリッド絵文書」「グロリア絵文書」(グロリアに関しては真偽に疑問があるとされている)の4冊のみだ。それ以外の絵文書は、メソアメリカの湿気の犠牲になったケースもある。だがその多くは、16世紀にスペインからユカタンに着任したフランシスコ修道会出身の聖職者ディエゴ・デ・ランダの命令で、焼却処分されてしまったのだ。
6. マヤ暦は世界の終わりを予言してはいない
マヤ暦がその日で終わることに由来する「2012年12月21日人類滅亡説」は、ネット上などでかなり騒がれたが、実際は何事もなく2016年を迎えている。もっとも、マヤ研究者たちは、最初からマヤ暦が2012年滅亡説を予言などしていないことはわかっていた。マヤ文明では複数の暦が用いられており、2012年12月に区切りを迎えたのは、そのうちの一つの長期暦であった。
7. 過激な美容法を実践していた
マヤ人には、男女ともに幼少期に頭部を長く引き伸ばそうとする「頭蓋変形」の風習があった。2枚の板で前と後ろから頭をはさんでひもで縛り、変形させていたと考えられるが、細長い頭部は高貴さの証しとされていたようだ。また、前歯に穴を開け、翡翠やパイライト(黄鉄鉱)、ヘマタイト(赤鉄鉱)、ターコイズをはめ込むなどの装飾を施していたことがわかっている。
8. 儀式として浣腸をしていた
マヤ人は、神に近づくために麻薬や酒を摂取していた。飲んでいたのは「バルチェ」と呼ばれる木の樹皮を発酵させてできる液体とハチミツの飲料などだが、早く酩酊するために、肛門から注入していたとされる。実際、壺などに、浣腸が行なわれている儀式の絵が多数残されている。
9. 生贄の体を青く塗っていた
遺跡から採取された「マヤブルー」と呼ばれる鮮やかな青色顔料は、メソアメリカの高温多湿な環境でも、長期にわたって風雨や生物的劣化に耐える優れた耐久性を持ち、考古学者を魅了してきた。一方、このマヤブルーは、雨の神に捧げられた人身御供の体を塗るためにも使用されていたことがわかっている。
10. サウナ風呂が存在した グアテマラのティカル遺跡やベリーズのクエロ遺跡には、石や日干しレンガ造りのサウナ風呂のような構造物が残されている。クエロ遺跡は3000年の歴史を持ち、浴場としては有名な古代ローマの公衆浴場よりも古いと思われる。
11. エクストリームスポーツの競技があった
メキシコのチチェン・イッツァ遺跡には、大きな球技場がある。マヤ人は、この球技場で現在のサッカーに似た「ピッツ」と呼ばれる球技を行っていた。サッカーボール大のゴム製ボールを、手を使わずに高い位置にある輪にくぐらせる競技だが、娯楽ではなく、儀式的な意味合いがあった。負けたチームのキャプテン(勝ったチームという説もある)が、生贄にされたのだ。
12. 七面鳥を家畜化していた可能性がある
今ではアメリカ合衆国の感謝祭のシンボルとして知られる七面鳥(ターキー)だが、歴史上最も早い段階で家畜化していたのはマヤ人だったかもしれない。食用のみならず、七面鳥の骨や羽を使って、扇や各種道具、楽器を作っていた痕跡がある。
13. マヤ文明が衰退した理由は現在も論争の対象である
古代マヤ文明は古典期前期(AD250年~600年)に全盛期を迎えたが、古典期後期の8世紀から9世紀頃に衰退した。全盛期には7万人が暮らしていた、マヤ南部低地の複数の都市が放棄された。その理由については現在も、干ばつ、都市国家間の紛争や略奪、海岸部への移住、人口過剰などいくつかの説がある。
14. マヤ人の末裔は生きている
マヤ文明は何らかの理由で滅び、都市は廃墟となったが、マヤ人がこの世から消滅してしまったわけではない。彼らの末裔は現在も、人口の大多数をマヤ人が占めるグアテマラを中心に、中米で暮らしている。
15. マヤ文明の遺物や遺跡は危険にさらされている
マヤ遺跡では、盗掘・略奪行為が横行している。盗まれた壺や彫像などが違法取引されているほか、盗掘者によって遺跡が破壊される例も少なくない。グアテマラのシュルトゥン遺跡では、ピラミッドが半分に切断されるという事件も起きた。
via:15 Facts About the Maya Civilization
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マヤ文明は、紀元前3000年から16世紀頃まで、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明で2012年12月21日人類滅亡説を予言したことで有名となった。
マヤ文明は当時では考えられないくらいの高度な技術を持っていたことでも知られているが、ここではマヤ文明に関する15の事実を見ていくことにしよう。
1. 未だにピラミッドや遺跡が新発見される
世界中の考古学者が長きに渡って調査対象としているマヤの地から、ピラミッドのような巨大構造物が未だに発見されるのは驚きだが、数年前にメキシコのチアパス州トニナで発見された1000年以上前のピラミッドは、高さ75メートルと、メキシコ最大のものであることが2015年に発表された。天然の丘に隠された状態だったという。また2014年には、やはり鬱蒼とした草木に覆われていた古代マヤ都市の遺跡がメキシコのカンペチェ州で発見されている。
2. チョコレートを食べていた
最初にカカオを食用にしたのは、今から約3500年前、マヤ文明より古いオルメカ文明だとされるが、チョコレート作りを形にしたのがマヤ人だと言われている。グアテマラで発掘された、カカオの残滓が検出された壺などから、おそらく2600年前にはカカオの加工を行っていたと思われる。マヤのチョコレートドリンクは、水やハチミツ、唐辛子、コーンミール等をブレンドして泡立てたようなスパイシーな飲み物で、祝祭や儀式の場で飲まれていた。
3. 複雑な象形文字の体系を有していた
マヤ文字は先古典期後期(紀元前400年~AD250年)に起源を持ち、建造物や石碑、絵文書や陶器などに残されている。それぞれが単独の音節を表す800以上の異なるヒエログリフ(象形文字)から構成され、メソアメリカで最も高度な文字体系だと考えられている。マヤ研究者がこれら象形文字の大部分をようやく解読できるようになったのは、ここ数十年間のことだ。
4. マヤ文字解読に貢献したのは、建築学を学んだロシア系アメリカ人女性
ロシア系アメリカ人のタチアナ・プロスクリアコフは、建築家を目指していたが、大学を卒業した1930年は大恐慌の真っ只中。建築関係の仕事が見つからず、ペンシルバニア大学博物館で遺跡のスケッチをする仕事に就き、グアテマラのマヤ遺跡「ピエドラス・ネグラス」に派遣された。その後、自らもマヤ研究者となり、1960年、暦の日付以外は理解不能だと思われていたマヤ文字解読に関する通説を覆す論文を発表した。
石碑を検証した結果、プロスクリアコフは「上を向いたイグアナの頭の絵文字」は王の誕生、「鳥の頭の絵文字」は王の即位の日付であるという仮説を立てた。そして、個々の石碑は、それまで考えられていたような、神に捧げられたものではなく、特定の支配者の一生を描いているのではないかと考えた。これにより、王家の歴史の解読が可能になった革命的な発見だった。
5. 焚書により、現存するマヤの書物は4冊しかない
マヤ人は、屏風折りになったイチジクの木の樹皮などに絵文書を残した。「コデックス」と呼ばれるこうしたマヤの絵文書のうち、現存するのは「ドレスデン絵文書」「パリ絵文書」「マドリッド絵文書」「グロリア絵文書」(グロリアに関しては真偽に疑問があるとされている)の4冊のみだ。それ以外の絵文書は、メソアメリカの湿気の犠牲になったケースもある。だがその多くは、16世紀にスペインからユカタンに着任したフランシスコ修道会出身の聖職者ディエゴ・デ・ランダの命令で、焼却処分されてしまったのだ。
6. マヤ暦は世界の終わりを予言してはいない
マヤ暦がその日で終わることに由来する「2012年12月21日人類滅亡説」は、ネット上などでかなり騒がれたが、実際は何事もなく2016年を迎えている。もっとも、マヤ研究者たちは、最初からマヤ暦が2012年滅亡説を予言などしていないことはわかっていた。マヤ文明では複数の暦が用いられており、2012年12月に区切りを迎えたのは、そのうちの一つの長期暦であった。
7. 過激な美容法を実践していた
マヤ人には、男女ともに幼少期に頭部を長く引き伸ばそうとする「頭蓋変形」の風習があった。2枚の板で前と後ろから頭をはさんでひもで縛り、変形させていたと考えられるが、細長い頭部は高貴さの証しとされていたようだ。また、前歯に穴を開け、翡翠やパイライト(黄鉄鉱)、ヘマタイト(赤鉄鉱)、ターコイズをはめ込むなどの装飾を施していたことがわかっている。
8. 儀式として浣腸をしていた
マヤ人は、神に近づくために麻薬や酒を摂取していた。飲んでいたのは「バルチェ」と呼ばれる木の樹皮を発酵させてできる液体とハチミツの飲料などだが、早く酩酊するために、肛門から注入していたとされる。実際、壺などに、浣腸が行なわれている儀式の絵が多数残されている。
9. 生贄の体を青く塗っていた
遺跡から採取された「マヤブルー」と呼ばれる鮮やかな青色顔料は、メソアメリカの高温多湿な環境でも、長期にわたって風雨や生物的劣化に耐える優れた耐久性を持ち、考古学者を魅了してきた。一方、このマヤブルーは、雨の神に捧げられた人身御供の体を塗るためにも使用されていたことがわかっている。
10. サウナ風呂が存在した グアテマラのティカル遺跡やベリーズのクエロ遺跡には、石や日干しレンガ造りのサウナ風呂のような構造物が残されている。クエロ遺跡は3000年の歴史を持ち、浴場としては有名な古代ローマの公衆浴場よりも古いと思われる。
11. エクストリームスポーツの競技があった
メキシコのチチェン・イッツァ遺跡には、大きな球技場がある。マヤ人は、この球技場で現在のサッカーに似た「ピッツ」と呼ばれる球技を行っていた。サッカーボール大のゴム製ボールを、手を使わずに高い位置にある輪にくぐらせる競技だが、娯楽ではなく、儀式的な意味合いがあった。負けたチームのキャプテン(勝ったチームという説もある)が、生贄にされたのだ。
12. 七面鳥を家畜化していた可能性がある
今ではアメリカ合衆国の感謝祭のシンボルとして知られる七面鳥(ターキー)だが、歴史上最も早い段階で家畜化していたのはマヤ人だったかもしれない。食用のみならず、七面鳥の骨や羽を使って、扇や各種道具、楽器を作っていた痕跡がある。
13. マヤ文明が衰退した理由は現在も論争の対象である
古代マヤ文明は古典期前期(AD250年~600年)に全盛期を迎えたが、古典期後期の8世紀から9世紀頃に衰退した。全盛期には7万人が暮らしていた、マヤ南部低地の複数の都市が放棄された。その理由については現在も、干ばつ、都市国家間の紛争や略奪、海岸部への移住、人口過剰などいくつかの説がある。
14. マヤ人の末裔は生きている
マヤ文明は何らかの理由で滅び、都市は廃墟となったが、マヤ人がこの世から消滅してしまったわけではない。彼らの末裔は現在も、人口の大多数をマヤ人が占めるグアテマラを中心に、中米で暮らしている。
15. マヤ文明の遺物や遺跡は危険にさらされている
マヤ遺跡では、盗掘・略奪行為が横行している。盗まれた壺や彫像などが違法取引されているほか、盗掘者によって遺跡が破壊される例も少なくない。グアテマラのシュルトゥン遺跡では、ピラミッドが半分に切断されるという事件も起きた。
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