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旧ソビエトの調査団が撮影した広島・長崎原爆投下直後の映像が初公開

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 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、米軍は日本の広島市に対して世界で初めて核兵器、原子爆弾を実戦使用した。その3日後の8月9日午前11時02分、長崎県長崎市にも原子爆弾が投下された。

 原爆投下直後の広島と長崎の様子は旧ソビエト連邦の調査団も撮影しており、この映像を今年6月、日本に来日したプーチン大統領側近のナルイシキン下院議長が安倍総理大臣に寄贈した。

 ロシア側から原爆に関する映像が公開されるのは今回初となる。映像には原爆により廃墟となった被爆地の様子と調査団の姿が映し出されている。


原爆投下後の映像公開=旧ソ連調査団が撮影-広島平和記念資料館


 広島の爆心地付近から北方向を撮影した映像は、原爆が投下された1945年(昭和20年)の秋頃に撮影されたものとみられている。一面に広がるがれきの奥に、爆心地からおよそ150メートルの距離にあった、広島護国神社の鳥居が映っていて、原爆がもたらした被害の甚大さがうかがえる。

 また、長崎市内の映像は原爆投下のおよそ1か月後の9月16日に、爆心地から200m離れた場所で撮影されたものとみられている。映像には、爆風と熱線で建物が崩れ落ち、骨組みがむき出しになった三菱製鋼の軍需工場や、旧ソビエト軍の関係者が爆心地付近の状況を視察している様子が記録されている。

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 この映像は、広島、長崎両市の原爆資料館が公開したもので、旧ソ連の調査団が広島、長崎を視察した記録はあるが、調査団の映像を入手したのは初めてだという。

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via:dailymail.

☆俺の叔父は、原爆投下の翌日、広島に調査に入り肺癌、胃癌になったが88歳まで生きました!

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かつての豪華列車が朽ち果てた状態のまま眠る。ベルギーの線路上で風化していくオリエンタル特急列車

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 1883年、国際寝台車会社によって運行が開始されたオリエント急行は、優雅で贅沢な列車の旅の象徴として当時人々の羨望を集めていた。だがより速く安価で移動できる高速列車や旅客機の台頭により、2009年にその運行を終えた。

 とは言え旅のニーズが多様化する昨今では、そうしたクラシックな車両の旅を求める人々もいる。ベニス・シンプロン・オリエントエクスプレスは、1920年代~1930年代に製造された車両からなる贅沢な観光列車だ。レジャー会社のベルモンドが運行しており、同社は新品同様に修復されたクラシックな列車で満喫するグローバルな旅を提供している。

 だが第二の人生のチャンスを与えられる列車はほんの一部に過ぎない。脚光を浴びた現役時代を終え、人知れず腐食が進んで風化していく車両は無数にあるのだ。

 これはベルギーで遺棄されたオリエント急行の列車の現在の姿だ。

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image credit:Urbex.nl
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☆マニアには、たまらんやろねぇ!

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刑務所内を大改造。3部屋にキッチン・バスルーム完備。ブラジルの麻薬王の豪華すぎる隠し独房が公開される

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 南米パラグアイの首都アスンシオンにあるTacumbu刑務所に服役中のブラジル人、ハルビス・チメネス・パバオ受刑者は、南米で最も危険な麻薬密売人の一人とされ、「ブラジルの麻薬王」として知られている。

 7月下旬、パバオ受刑者が脱獄を計画しているとして、警察が服役している監房の中を強制捜査したところ、そこはさながらVIPルーム。

 キッチン、バスルームが完備された3部屋には、プラズマテレビや多数のDVDコレクションやソファ、快適睡眠ができるベッドなどがあり、とても独房内とは思えない豪華な暮らしをしていたという。


Un recorrido por la celda VIP de Jarvis Chimenes Pavão en Tacumbú


 信じられないだろうがこれは刑務所の中の独房である。
 キッチンにはダイニングテーブルが設置されている。

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 ブラジルの麻薬王として知られているハルビス・チメネス・パバオ(Jarvis Chimenes Pavao)。マネーロンダリング(資金洗浄)の罪で8年の禁錮刑判決を受けた。

 今回この独房に強制捜査が入った理由は、刑務所内で爆弾が発見されたためだ。パバオ受刑者はこの爆弾を使って独房の壁を破壊し脱獄を企てていたとみられている。

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 壁にはタイルが敷き詰められ、豪華な家具が設置されている。
 インテリアにもこだわっている風だ。

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 DVDコレクションの数々は大型プラズマテレビで視聴していた。かつてコロンビア最大の麻薬密売組織「メデジン・カルテル」を創設した悪名高き麻薬王「パブロ・エスコバル」のテレビドラマシリーズは全巻そろっていたそうだ。

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 ベッドルーム
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 キッチンの一部
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 シューズ棚
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 クローゼットまである
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 あまりの豪華さに受刑者の間では「VIP監房」と呼ばれていたそうだ。パバオは他の受刑者に対し、このVIP独房でレンタル業も営んでいたそうだが、人望は厚く、皆に慕われていたという。

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 なぜ刑務所内でこんなことが可能なのか?

 監房を快適住居にする為、パバオ受刑者は看守はもちろん法務省関係者や刑務所管理者ら、6~7人に多額の賄賂を送っていたという。

これを受け、カーラ・バシガルーポ法相は更迭されたそうだ。

 Tacumbu刑務所はパラグアイで最も過密で暴力的な刑務所と言われている。暴動は頻繁に起きるし、餓死者も出ると言う。

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via:dailymail

☆やっぱ、世の中銭や!

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大人なぜなに科学相談室。回答するまでにとんでもなく時間がかかった10の科学的疑問

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 科学的手法とは、大きな疑問でも小さな疑問でも、その根本を突き止める作業にほかならない。問いに答えがある限りは非常に有用なツールである。いずれは宇宙を計算できる量子コンピューターも完成するときがくるだろうが、それもやはり科学的手法の結果なのだ。

 だが、ときにはその歩みが遅々としていることもある。俗世のことから地球外に関する疑問まで、ここで紹介するのは答えにたどり着くまでにとんでもなく時間がかかった10の疑問だ。

10. 火山雷の原因1_e56

 激しく噴上げる火山の噴火は、噴煙に関連する電気現象を見せてくれる。安全な距離から見るだけなら思わず感嘆するような光景だが、大地と結びついた雷とは明らかに違うことから、はっきりとした原因はわからないままだった。

 ミュンヘン大学の研究者によれば、その答えは火山灰にある。吹き上がる灰の微細な粒子にはマグマによって電気が供給されている。ここでは乱気流が複雑な電荷分布を生み出し、やがて静電放電が起こる。それは通常の下向きの雷とは異なり、灰の上昇に応じてしばしば上向きに広まる。

 この答えはただ好奇心を満足させるだけではない。雷の頻度と灰の総量との相関関係が明らかにされ、図らずも火山雷から火山灰雲の大きさを正確に予測できるようになった。おかげで、それまで以上に優れた避難計画の立案や空気の質に関する警戒が可能になっている。


9. 亀に甲羅がある理由2_e48

 亀が甲羅を進化させた理由など簡単に答えられそうだ。動きの鈍い彼らは捕食者の格好の獲物である。硬い甲羅には明らかに進化上の利点があるだろう。しかし、亀の進化プロセスはその説明が間違いであることを告げている。亀の動きが鈍いのは甲羅を支えるために必要となる幅が広く平な肋骨せいなのだ。ゆえに甲羅があるから動きが鈍いということになる。

 では甲羅は何のためにあるのか? もちろん身を守るためだ。だが捕食者からではない。亀が進化をした南アフリカの砂漠の厳しい環境からだ。甲羅は地下を掘り、熱と乾燥から逃れる穴を作るために進化した。

 この説はかねてから存在していたが、よくやく確認されたのは、南アフリカの8歳の少年が保存状態のいい”原始の亀”の化石を発見したときだ。幸いにもその子の家族が標本を地元の博物館に持ち込んでくれたおかげで、ノロノロと歩き続けた疑問に決着をつけることができた。


8. 時差ボケが方角に影響を受ける理由3_e47

 よく飛行機に乗る人ならば、西から東へのフライトで感じる時差ボケは東から西の場合よりも強いことにお気づきだろう。これは長い間気のせいか、社会的な迷信のようなものだと考えらえてきた。だが、最近になって事実であると確認されている。それは概日リズムと脳のタイムゾーンの移動に対するシンクロのしやすさが関連している。
 
 体内時計は24時間よりわずかに長く設定されている。よって体は自然に24時間より長いリズムに合わせようとする。このリズムは脳内の特定の細胞によって制御されているが、この細胞もまた日光の変化に制御されている。

 1日の時間が伸びて、日光を長く浴びるとき、依然として”信号(日光)”が存在し、こうした細胞に情報を与えている。しかし、細胞は日光がない状況、すなわち日が短くなった状況では混乱してしまう。これが体内時計を直撃する。西から東への移動では1日が短くなるような効果があるため、長くなる1日に適応するよう設定された生来の傾向に反する。そのために体内リズムはより強い打撃を受けるのだ。


7. こぶしがポキっと鳴る理由4_e42

 こぶしがポキっと鳴るのは関節液の泡がはじけた音だと聞いたことがあるかもしれない。そしてこれを信じていた人も多いことだろう。だが、これが単なる推測でしかなかったということが、アルバータ大学でこぶしを鳴らす名人の手を徹底的に調査した結果判明した。

 カイロプラクターでもあったこぶし鳴らしの名人ジェローム・フライヤーは、ある理論を携えて大学を訪れた。それはこぶしの音は関節液に空洞が突然形成されることが原因であるというものだ。泡がはじける音ではない。形成される音だ。関節の表面が突然離れると、そこを満たすだけの関節液がなくなる。このとき空洞が形成され、これに伴って音が発生するのだ。
 
 なお、こぶしを鳴らすと関節炎になるという話もあるが、それもほぼ間違いなく正しくない。今回の研究はそうした話が誤りであることを証明してしまうかもしれない。いずれにせよ関節の問題には早期の治療が一番だ。


6. 盲腸の機能d061ce08e

 昔から盲腸は退化した内臓の名残だと考えられてきた。ゆえに、ときおり取り除かなければ命を奪うような時限爆弾を作動させる以外の役割はない、と。ところが、盲腸がなくとも人が生きていけることは確かに間違いない一方で、盲腸の隠された役割が明らかになっている。それは危険な感染と戦う善玉菌の援軍を待機させておくための兵舎であるという。

 これはコアラの盲腸を調査することで判明した。実は彼らの盲腸は長く大きい。ユーカリの葉しか食べないコアラは餌を消化するために補助を必要とするからだ。そのために、もしコアラの餌が数千年をかけて変化したのだとしたら、盲腸も人間のものと同じように短くなるのではないかと推測されている。

 こうした結果があるとはいえ、これは何が何でも盲腸を手放すべきではないということではない。虫垂炎になったときは素直に医師の診断に従おう。


5. 記憶を受け継ぐことは可能か
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 後成的遺伝学とは、遺伝子が環境によって変化し、それがDNAに書き込まれて後世に伝えられる仕組みを研究する学問だ。例えば、食習慣や環境毒への曝露のようなものは、子孫に特定の食物や化学物質への感受性を受け継がせる場合がある。最近までわからなかったことは、経験も同様に後世に遺伝されるかどうかだ。例えば、親がトラウマになるような子供時代を送っていたとして、それは子供のDNAを変えるのだろうか。

 テルアビブ大学の研究では、これが実際に起きることを確認したのみならず、詳しいメカニズムまで明らかにした。小RNA分子にDNA修飾の受け継ぎを容易にするうえで重要な役割があることは以前からわかっていた。蠕虫での後成遺伝的な反応を測定することで、小RNA分子が複製していることを示す酵素の単離に成功。これによって数世代にわたって後成遺伝的反応が伝わることが確認された。

 さらに、このスイッチを操作することで、後成遺伝的反応(例えば、前世代が学んだ恐怖の継承)を思い通りに続けさせたり、終わらせたりする方法も発見した。つまり人間においても、同様のスイッチを操作することで、肉体的な条件のみならず、感情的あるいは精神的な条件さえも植え付けることができるということだ。


4. 亜原子粒子が結合する理由7_e27

  素粒子物理学において、あらゆる粒子の最小粒子はクォークとされている。クォークがさらに小さな要素で構成されているかどうかはまだ明らかにされていない。これはある力によって互いに結合し、陽子と中性子を形成する。その力が何か、最近まで謎であった。今でそれは別の種の粒子であることがわかっている。

 f0(1710)あるいはグルーオンと知られるそれは、粒子同士をくっつける文字通り糊のような働きをしている。これは自身には質量がないという点で光子に似ている。また光子が電磁力の原因であるのと同様、グルーオンは強い核力を担っている。重要な違いは、光子が自分の力に影響を受けないのに対して、グルーオンは受けるという点だ。つまりお互いにくっつくのだ。

 直接観測するにはあまりにも存在時間が短いグルーオンは、検出された崩壊率を調べることで発見できる。正確には、結合したグルーオンの集まりであるグルーボールこそが、宇宙全体をつなぎとめているものだ。


3. 重力の本質8_e26

 アインシュタインの特殊相対性理論や一般相対性理論は、おそらく他のいかなる科学理論よりも真実に近い。半導体の開発はその成果の1つであり、相対性理論がなければ、あなたがこの記事を読むこともなかった。しかし、このようなもっとも堅固な理論でさえ穴はありえる。相対性理論における穴とは重力である。

 アインシュタインの理論では、光や音をはじめとする実質的にすべてのものと同じく、重力も波あるいは振動として発現していると仮定している。これは相対性の最後の主要な予言であった。数十年間、一般にこれは正しいとされてきたが、実際に確認されたのは最近になってのことだ。

 科学者は超高感度の器具を用いて2つのブラックホールが衝突したときの音を記録。そのかすかな音は、宇宙にある全恒星のエネルギーの50倍ものエネルギーを持つ衝突のエネルギーを表しており、重力波として観測された。アインシュタインの見解が完成された科学史上に残る偉業である。


2. オスが存在する理由9_e26

 ヒトは非常に効率的な生命体に進化した。しかし、厳密に言うと、私たちが選んだ生殖の方法は効率性の点ではふさわしくなさそうに思える。そこから悦びを感じることはあるだろうが、有性生殖は多くの生物が行うような無性生殖に比べて効率の面では劣る。ヒトがもっとも有利な進化の道筋を辿ったのであれば、性は1種類(女性)で事足りるのだ。それなのになぜオスが存在するのだろう?

 その答えはコクヌストモドキの研究で見つかった。研究では、オス90匹とメス10匹を一緒にしたグループと、オスとメスがそれぞれきちんとペアになるようにしたグループを観察。50世代後、健康な子孫を残すうえで雌雄選択が大きな役割を果たしているらしきことが判明した。

 配偶者の選択が有害な遺伝的突然変異を排除している可能性がある、とイースト・アングリア大学のマット・ゲージは話す。つまり、私たちにとって無性生殖は非効率的であるばかりか、仮にこれを採用していれば絶滅していた可能性もあるということだ。


1. 宇宙人はいるのか10_e20

 私たちは宇宙で孤独な存在なのかという問いは科学最大の問いの1つである。それと同じくらい重大な問いとしては、かつて地球外生命は存在したかというものだ。文明の存続可能期間についてきちんとした基準はない。それが存在した宇宙のタイムラインについても不明だ。物理的な証拠もない。それでも、この問いに対する非常に強力な状況証拠がある。

 なんと答えはイエスだ。1961年、天文学者のフランク・ドレイクが宇宙人文明と遭遇する確率を推測するための7要素を提示した。それは毎年恒星が誕生する数や生命が進化する惑星の割合などだが、最後の要素として文明の平均的な存続期間が挙げられていた。これまで、それぞれの変数の具体的な数値は不明であり、このドレイクの方程式を用いて何らかの回答を導きだすことはできなかった。

 しかし最近、いったいいくつの惑星が存在するのかに関する知識が爆発的に増えた。ここからドレイクの方程式に数値を代入して、この問題にいくばくかの光を当たられるようになった。アダム・フランクとウッドラフ・サリバンの論文はこう論じている。「ハビタブルゾーンにある惑星で文明が進化する確率が100億の1兆倍分の1以下でない限りは、人類が最初ではない」。ドレイクの方程式に関する議論では、かなり悲観的な説でも文明が形成する確率は惑星あたり100億分の1とされていた。しかし彼らの発見によれば、その悲観論に拠ったとしても1兆個の文明が宇宙の歴史に存在したことになる。

☆半導体は相対性理論のおかげかいや!

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知っておくと面白い。先人の知恵が凝縮された面白い10の法則・効果

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 マーフィーの法則やピーターの法則くらいなら聞いたことがあるかもしれない。だが、世界には人生や人間などを理解するための知恵が凝縮された法則はたくさん存在する。

 ここでは目からウロコの面白い10の法則や効果ひも解いていこう。

1. ピザ定理
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 ピザ定理は「ピザの任意の点をとり、そこから均等な枚数に切り分けられる」と説く。交互に並ぶスライスの面積の合計は等しくなる。ピザを分ける相手が自分ともう1人だけのときは便利だ。が、もっと簡単なピザ定理もある。厚さ(a)と半径(z)を用いてピザの体積を計算するのだ。公式は次の通り:pi z z a(ピザ)


2. アーカムの剃刀
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 オッカムの剃刀は、「問題を解く、あるいは結果を予測するために、1つ以上の説明があるのならば、一番シンプルなものがおそらくは正しい」と説く。その真逆の法則がアーカムの剃刀だ。これはフィクションの世界、特にコメディで当てはまる。すなわち、「ある出来事について複数の説明があるならば、一番ありえないものが真実だ」というものだ。コメディのエッセンスは奇想天外さなのだ。


3. ストライサンド効果
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 何かを隠そうとしたら、逆効果になってしまうのがストライサンド効果だ。これは歌手のバーブラ・ストライサンドに由来する。彼女は2003年に上空から自宅の写真を撮られ、これをプライバシーの侵害であるとして、政府公認のカリフォルニア海岸記録計画を訴えた。訴訟前にこの写真について知る者はほとんどいなかったが(6回しか閲覧されていなかった)、今では誰もが知るところとなった。ちなみに彼女は裁判で負けている。


4. ベターリッジの見出しの法則

 ベターリッジの見出しの法則は、「疑問符で終わっている見出しの答えは『ノー』」と説く。答えが「イエス」ならば、見出しは単純に断定的になるのだ。見出しの疑問は次のいずれかを示唆する。1) 筆者には答えに確信を持つだけの証拠がない、2) 得られる情報をセンセーショナルにする、3) 筆者は読者の意見を率直に求めている。アカデミーの世界にはヒンチクリフの法則という同じ法則がある。


5. バター猫のパラドックス
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 矛盾する2つの法則があるとき、それをパラドックスという。バター猫のパラドックスは次のようなものだ。バターを塗ったトーストを落とすと必ずバターを塗った面から落ちる。猫は必ず足で着地する。なら猫の背中にバター塗りのトーストをとりつけて落としたら、猫もトーストも地面には落ちないはずだ。この現象のポテンシャルエネルギーの利用も考えられる。だが、実証して見せた者はまだいない。
 

6. コーエンの法則

 ジェフ・コーエンの観察によれば、「承認待ちのグループがモデレーターを作るかどうかについていずれ大ゲンカをする確率は時間とともに1に近づく」。これをコーエンの法則という。


7. スキットの法則

 他人の文法やスペルの誤りを指摘するコメントを残したくなる人は、スキットの法則を覚えておこう。つまり、「他人の投稿の誤りを指摘する投稿には少なくとも1つの誤りが含まれている」のだ。どこかカルマらしきものも感じるが、これについて投稿者の意図についてより寛大な見方もある。つまり、「投稿に間違いが含まれる確率は、それによって投稿者が感じる恥ずかしさに比例する」というのだ。この法則を指摘したのはスキットが最初ではない。1990年に提唱されたベルのユーズネットの第一法則が一番古いものだろうが、一番簡単に覚えられるのは1992年のマフリーの法則(Muphry’s Law)だろう。これはマーフィーの法則(Murphy’s Law)の誤記だ。


8. カニンガムの法則

 これはスキットの法則とも関連がある。カニンガムの法則によれば、「ネットで正しい答えを得る最善の方法は質問するのではなく、間違った答えを投稿すること」だ。ネットの住人は助けを求める声はすぐ無視するが、最初の投稿主よりも自分の方が賢いことをひけらかす衝動には耐えられないのだ。


9. ゴドウィンの法則
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 海外で人を評するうえで最悪のものは、ヒトラーに似ているということだという。 ゆえに必要もないのに、ヒトラーとの比較が持ち出されたとしてもそれほど意外でもないだろう。

 マイク・ゴドウィンはネットにこうした傾向があることに気がつき、1990年にゴドウィンの法則と呼ばれるようになった。この法則は、「オンラインでの議論が長引くと、ナチスやヒトラーとの比較が行われる確率は1に近づく」と説く。実は、ヒトラーに言及した人物はその点について付け加える情報は何ら持っておらず、その議題が好きではないことを強調したいと願っている。


10. シャーキーの法則

 クレイ・シャーキーの著書は大半がネットや新しいメディアをメインテーマとしているが、シャーキーの法則は世界にすら当てはまる。それが説くところは、「制度はそれが解決すべき問題を維持しようとする」だ。例えば、ある組織が手順を簡単にしようとしているとする。そのために委員会を設置したり、新しい管理レベルを作ったりする。が、こうして官僚的な層を追加するほどに、手順はますます複雑になっていく。


☆今度、ネタにつこたろ!

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呪いをもたらしたと言われている盗まれた10の遺物

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 科学が、迷信や魔術と相いれる余地はない。歴史を通してみても、科学的な疑問に対して魔術的な答えが出た試しはない。

 しかし、考古学の世界は実に奥が深い。偏見のない考古学者ですら、どう見ても科学では説明できない力をもっているとしか思えない古代の遺物の存在を信じているというのだ。

 ここではそんな呪いがつきまとう10の遺物について見ていくことにしよう。

10. ローマ帝国が使用した投石の石1_e53

 1980年代後半、イスラエルとシリアの国境付近で、ローマ帝国が敵の防壁を破るために使った原始的な投石用の石が発見された。記録によると、古代都市ガムラがローマ帝国に防壁を壊されて攻撃され、9000人の市民が囚われの身になることを怖れて峡谷に身を投げて死んだという。

 2015年、博物館の中庭にこれら投石が2つ、忽然と現われるまで、これが盗難にあっていたことに誰も気づかなかった。石と共にメモがおいてあり、それによると、この石は1995年に盗んだものだが返却するとあった。「これらは、ガムラの頂のふもとにあった居住地から発掘されたものだが、1995年7月にこの石を盗んで以来、悪いことばかり起きる。古代遺物は盗まないほうがいい」と書かれていたという。


9. ポンペイ人の遺物2_e45

 伝説によると、ローマ軍に聖地を破壊されてから、ポンペイは神に呪われたらしい。ポンペイの考古学者、マッシーモ・オサンナは、一年の間に100もの小包を受け取った。中身はモザイクタイル、フレスコ画のかけら、無傷の像など、皆、ポンペイ遺跡から盗まれたもので、盗んだ者たちが返却してきたのだ。

 添えられていた手紙によると、これらの品々を盗んでからというもの、不幸なことばかり起こるという。5つの小包を返却してきたあるスペインの泥棒は、家族全員に呪いがふりかかったという。オサンナは「わたしがポンペイから持ち返ったもの」と題して、受け取った手紙をすべて展示しようと考えている。さらにサブタイトルをこうつけるといいかもしれない。「思わぬ不幸のお土産つき」と。


8. セニキアヌスの指輪3_e44

 この指輪は1700年代後半に発見され、現在はナショナル・トラストが所蔵している。12グラムの金でできたとても大きな指輪で、手袋の上から親指にするものと思われる。ラテン語で「セニキアヌス、神とともにあれ」と刻印されている。

 発見から数十年後、この指輪のことを書いた古代ローマの石板が発見された。そこにはシルウィアヌスという名の古代ローマ人によって、ノーデンス神に指輪が盗まれたことが知らされ、「指輪がノーデンスの神殿に戻ってくるまでは、セニキアヌスという名をもつ者は皆、健康を害する」と書かれている。

 この話にピンときたとしたら、それはオックスフォードの教授で作家であるJ・R・R・トールキンが呪いの指輪の話にヒントを得た作品を読んだことがあるからだろう。指輪の実物が『ホビットの冒険』の初版本ととも展示されることも多いという。


7. マオリ族のクジラの骨でできた鞭の持ち手4_e40

 ジェームズ・レディ・クレンドンは、最初にニュージーランドに入植したヨーロッパ人のひとりで、原住民のマオリ族とヨーロッパ人の対話を橋渡しをした。ニュージーランド初の銀行頭取であり、初のアメリカ領事でもあった。

 ニュージーランド、ラウェネにあるクレンドンハウスは、生前の彼のさまざまな所蔵品、多くはマオリ族の工芸品を展示している博物館だが、ここからクジラの骨でできた鞭の持ち手が盗まれた。手癖の悪い不届き者は、これらマオリの品には、扱い方を間違えると自然と呪いが宿ることを知らなかったようだ。

 この鞭の持ち手はクレンドンの長男のものだったが、盗難から一ヶ月もたたないうちにクレンドンハウスに戻ってきた。当の泥棒の知人という人間が直接届けてきたのだが、どうやら盗難後、泥棒に災難という災難が次々とふりかかったため、返却することにしたらしい。罪には問われなかったようだが、警察によると、これを所有した者は、なにかに失敗をするたびに地獄の苦しみを味わったという。


6. エジプトの彫刻物5_e32

 あるドイツ人男性が2004年にエジプトを訪ねたとき、象形文字が刻まれたある遺物を失敬してきた。この彫刻物は、のちにベルリンのエジプト大使館に返還されたが、返したのは当の本人ではなく、その義理の息子だった。本人は死んでしまったため返すことができなかったのだ。

 その男性は旅から戻ってすぐに、原因不明の麻痺や発熱に襲われ、急にガンを発症して死んでしまったという。男性の魂が安らかに眠れるよう、また義理の息子や親戚に盗難の咎が及ばないよう、その彫刻物は返還されたというわけだ。大使館は真偽のほどを調べるためと称してこの彫刻物をエジプトに送り返したが、できるだけ遠くへ手放したかったのかもしれない。


5. ゲティスバーグ古戦場の石6_e26

 ポンペイ遺跡と同様、ゲティスバーグ公園もまた毎年、たくさんの小包を受け取っている。古戦場跡から記念品として持ち出されたただの小枝や石などなのだが、添えられている手紙は一様に、これらのものにはみんな呪いが宿っていると嘆いていたという。

 手紙を送ってきたある者は、仕事中に怪我をしたり、何度も手術を受けたり、人間関係がうまくいかなくなったりした。またある人は、妻や息子や家を失い、9年も刑務所に入るはめになったという。パークレンジャーたちは、訪れる人たちに優しく諭している。

 ここの歴史の一部を家に持って帰りたいと思ったとしても、どんなに小さなものであっても、そのままそってしておいてもらうほうがいいのだと。


4. ヴァージニアシティの墓石7_e25

 町のあちこちに無造作に埋葬されている死者たちの問題をなんとかしようと、1867年にネバダ州の鉱山町ヴァージニアシティに一大墓地がつくられた。しかし、寂れていたこの町が、2000年に史跡として再開されて以来、たくさんあったはずの墓石がなくなってしまった。結局、それがごっそり戻ってくることになったのだが。

 墓地の責任者のキャンダス・ウィーラーは、泥棒たちがなぜ墓石を盗むのかを調べた。すると、彼らは墓石をドアストッパーや、庭の装飾など、ごくありふれたことに利用していた。だが、それも彼らに財政難や離婚や死などの不幸がふりかかるまでのことだった。泥棒たちは、自分たちの呪いがとけるよう、墓石がそれぞれの墓にきちんと戻されたかどうかをしきりと知りたがったという。


3. ネイティブアメリカンの遺物8_e24

 1905年、モルモン教徒の移住者が住み始めてから、ユタ州の小さな町ブランディングは、アナサジ族の遺物の宝庫として知られるようになった。

 1950年代、地元の考古学者ウィンストン・ハーストはまだ少年だった頃、陶器のかけらや、矢じり、ありとあらゆる雑多な遺物が地面に雑然と転がっているのを発見した。1960年代までに、住人たちがときに重機を使って、このあたりをもっと深く掘ってしまった。

 ハーストはこれは略奪であり、冒涜にほかならないと思い始め、こうした遺物を貪欲に自分の懐におさめ、売りさばいていた友人たちと仲たがいした。

 1986年にFBIが乗り込んできて、公有地から不法に持ち去られた900点以上の遺物を押収した。こうした手入れのおかげで、違法な収集は少なくなったが、インターネットの出現で密かな売却は後を絶たなかった。

 2009年には、150人のFBI捜査官がこの小さな町に押し寄せた。盗んだ遺物を売りさばいていた罪で逮捕された者の中には、保安官のきょうだいや地元の医者までいた。医者のジム・レッドはハーストの幼馴染で、彼がこれらの遺物を初めて見つけたときにも同行していた。レッドは逮捕の翌日自殺をはかり、事件に関わったほかのふたりも数ヶ月以内にやはり自殺した。


2. ヴィガンゴの木製彫刻9_e24

 ゴフとは、ケニヤの部族内に昔から続く男だけの社会のことで、熟練の彫刻師が硬木から、ヴィガンゴという込み入った彫り物を作る。これは、部族の死者に捧げられるだけでなく、死者の魂に実際に形を与えたものと信じられている。

 ヴィガンゴは、芸術品として西洋人に重宝され、盗まれたものが高値で取引された。しかし、ヴィガンゴの呪いは盗んだ泥棒ではなく、部族にふりかかった。

 ヴィガンゴは、生贄や神酒を捧げてきちんと保管しなくてはならないし、あった場所から動かしてはいけないことになっている。1999年にある考古学者が部族を訪ねると、いくつかの像が行方不明になっていて、その罰なのか、何年も日照りが続いたり、部族内の何人かが急死したりした。何年もの法廷闘争の末、ヴィガンゴはケニアの博物館に返還され、それがゴフに戻された。これらは金属のケージで守られ、二度と盗まれないよ
うになっているという。


1. 化石の森国立公園の珪化木10_e19

 アリゾナ州にあるこの公園には、つい失敬したくなる誘惑にかられる土産物が、至る所にある。ここには、世界最大の色彩豊かな化石化した木、珪化木が集積しているのだ。

 特に巨大な集積は、レンジャーの間で"良心の山"として知られ、泥棒たちによって何年にも渡って返還されたものなのだ。これらの返却物には、少なくとも1200通の手紙がそえられていて、1934年にさかのぼるものもあった。ふたりの作家が、そのうち驚くような内容のもの50通あまりを抜粋して、本にまとめた。泥棒にも道義心があることに、作家たちが飛びつかないわけがなかったのだ。

 「家に帰ると、まず義母が腎臓疾患になったことがわかり、飼い犬が死んだ。自分自身、ひどい交通事故で九死に一生を得たし、トラックが大破して大修理をしなければならなくなり、飼い猫も死んだ。昨夜は・・・・家のガス漏れのせいで、しばらく避難しなくてはならなくなった。お願いだから、これ以上不幸が起こるまえに、この化石を元に戻して欲しい」

 ローマ人もマオリ人もエジプト人も、原住民の呪いも、とてつもなく古い木にはかなわないようだ。

via:10 Stolen Ancient Artifacts That Carried Curses

☆呪いなんか、信じる奴おったんやなぁ!

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歴史に大きな影響を与えた10の古文書

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 歴史の真実を紐解くのは容易なことではない。何千年も前にもさかのぼる人類の歴史を調べるときは、これまで見つかっているほんのちょっとしたヒントを総動員して類推するしかないのだ。だが発見された昔の文書が、過去の有名な出来事の詳細をつまびらかにしてくれることもときにはあるようだ。

10. サイラス・シリンダー1_e4

 1879年、考古学者のホルムズ・ラッサムがメソポタミアでの発掘調査で、たくさんの粘土板を発見した。これらが、これまでの認識をくつがえすような古代世界の詳細を見せてくれた。そのひとつ、サイラス・シリンダーには楔形文字で、世界最古と言われる人権宣言が書かれていた。

 このシリンダーは、紀元前538年頃に作られた。ときはペルシャのキュロス王がバビロンを征服したすぐ後のこと。書かれている内容によると、キュロス王はバビロニアの神マルドゥクに選ばれた解放者として、信仰を弾圧して人民を奴隷化した非道なナボニドゥス王の統治から市民を解放し、武力を行使せずに町に入った。バビロニアの人々は、ナボニドゥスを引き渡して、キュロス王の統治を受け入れた。

 一人称で書かれているシリンダーは、その後、キュロス王は勅令を出したと説明している。前任者が人民に課した強制労働を廃止し、国外追放された者たちを呼び戻し、これまで禁止されていた信仰や神殿も従来どおりに戻すと約束したという。

 イランは、このサイラス・シリンダーが人権宣言であることを公式に認めているが、メソポタミアの王が王座についたときに出す普通の声明にすぎないという声もある。しかし、歴史家たちは、さまざまな信仰や国民性の人民でひしめく現実の社会を、いかに治めるかを初めて記した記録とみている。キュロス王のアケメネス王朝は、現在のパキスタンであるインダス谷からヨーロッパのバルカン半島まで占める、古代の歴史の中でもっとも巨大な帝国となった。


9. 血の手紙2_e3

 14世紀、崩壊しつつあったブルガリア帝国がついに、オスマン帝国に征服、吸収された。その後、1870年代半ばに、ブルガリア人たちが再び主権を取り戻そうと立ち上がった。これが、ブルガリア国民全体がオスマン帝国の支配に反旗をひるがえした、1876年の四月蜂起につながった。

 蜂起の主要なリーダーのひとり、チューダー・カブレシュコフは、プロヴディフの町でも蜂起してオスマントルコを破り、町から彼らを追い出した経験から、パナギュリシテの反乱軍仲間たちに同様に行動を起こすよう鼓舞する手紙を書いた。このとき、殺したトルコ軍将校の血を使って署名したことが、のちに革命のシンボル、血の手紙として知られるようになった。

 実際の蜂起はうまくいかなかった。トルコ側がbashi-bazoukという非正規の傭兵を投入したため、カブレシュコフは裏切りにあい、トルコに捕えられ、牢獄の中で自害した。

 この傭兵たちは、ひどく残忍で、すぐに規律にもまったく従わなくなった。アメリカの戦場記者ヤヌアリウス・マクガハンは、住居を焼き払い、住民を皆殺しにしたトルコ兵の非道を報道している。

 このため、世界中からオスマン帝国に対する批判が高まった。ロシアはこれをトルコの影響力を弱体化するチャンスとみて、和平交渉が決裂した後、1877年に宣戦布告した。ロシアは東ヨーロッパの国々の助けをかりて、この戦いに勝利した。1878年のベルリン条約締結後、ブルガリアは500年近いオスマン帝国の支配から解放されて、再び自治権をもつ国となった。


8. 令義解と令集解3_e1

 何世紀もの間、日本は、律令制度という法のもとに統治されてきた。これは、唐王朝時代の中国で採用されていた法システムで、儒教の影響を受けている。近江令は668年の天智天皇の治世に、日本で初めてまとめられた律令体系で、22巻から成ると言われているが、原本が存在せず、他からの類推にすぎないだけかもしれない。

 689年には、近江令は飛鳥浄御原令に改訂された。近代の内閣にとって替わられるまで、日本の最高位の行政体だった太政官制度のような古い法律令に改訂を加えている。いずれにしても、原本は存在しないので、推論の域を出ない。

 701年に制定された大宝律令は、行政から刑罰までの法律を含む最初の改訂版だが、これもまた原本が存在しない。続いて718年に養老律令がまとめられたが、757年まで公表されなかった。833年に、日本の学者によって編纂された令義解(令の注釈)が出され、これには養老令の行政法がほぼすべて網羅されている。数世紀後、日本と中国の法律の比較研究結果としてまとめられた令集解によって、養老令が補完された。歴史家たちはやっと、現存する唐朝の令を使って刑法も一緒に合わせて、養老令を完成させることができた。


7. デル・エル・メディーナ・パピルス4_e2

 このパピルスは、わたしたちに古代エジプトの豊富な情報をもたらしてくれる。王家の谷に墓が建てられたとき、この小さな村には多くの商人や職人、古文書にたずさわる専門職がいた。働く人が初期の健康管理システムの恩恵を受けていた証拠がすでに見つかっている。しかし、このデル・エル・メディーナは、史上初のストライキの記録でもある。

 この出来事の詳細は、アメンナーテという人物が書いたパピルスに記されている。紀元前1155年頃のラムセス三世の統治時代に起こったことらしい。デル・エル・メディーナの職人たちが、18日間給料が支払われていないことに苦情を申し立てた。そこで彼らは働くのを拒否して、メンケペルラー神殿の裏で座り込みをしたという。これはおそらく史上初の座り込みストライキの記録だろう。

 このストライキは数日間続き、職人たちは自分たちの言い分が大臣に届けられるよう圧力をかけた。結局、大臣がデル・エル・メディーナに出向き、ストライキのリーダーと交渉した。パピルスには、こうしたストライキは珍しいことではないと記されているため、記録として残っているものとして最古ということで、これが労働者の初めてのストライキではないようだ。


6. ブレイントリー指示書5_e2

 アメリカの独立戦争を引き起こすきっかけになった出来事はいくつかあるが、おもな原因は、英国が植民地に有無を言わさず課した税だ。「代表なくして課税なし」これは、1765年に英国議会が不平等な印紙税法を通過させたときの、植民地人の強烈な不満の現われだ。この法律は、植民地で発行されるほぼすべての印刷物に、ロンドンで発行された印紙を貼らなくてはならない、つまり課税されるという法律。

 この法律は、植民地からの収入を増やそうという英国の狙いが見え透いていたため、アメリカで大不評で、抗議運動が起こるきっかけとなった。北米での英議会権威に対する最初の公式の抗議書のひとつ、ブレイントリー指示書の発行にもつながった。

 1765年9月24日、マサチューセッツ州ブレイントリーの町は全体会議を開き、約50人がマサチューセッツ州議会に提出する予定の書類に賛同して署名した。書類は、英国議会の行為が大憲章(マグナカルタ)に違反しているとして激しく非難している。

 このブレイントリー指示書は、『マサチューセッツ・ガゼット』紙や『ボストン・ガゼット』紙に掲載され、この文書が広まるにつれて、その論拠や言葉が印紙税法に異議をとなえるあちこちの州で引用されるようになった。

 ブレイントリー指示書は、これを書いたのがジョン・アダムスだったことで有名になった。政治活動家としての彼のキャリアが、このときまさに始まろうとしているところだったが、彼は独立戦争のときに重要な役割を演じ、のちに合衆国第二代大統領になったのだ。

5. 基本的人権憲章6_e2

 1681年、ウィリアム・ペンが、ペンシルヴァニア地区の憲法として、政治の枠組みを立ち上げた。オリジナルは1685年5月5日に採択され、新しい政府機構は一年後とさらに1696年に、基本的人権憲章として知られる最終版で採択され、1701年に批准された。このバージョンは、1776年まで有効だった。この憲章の50周年を祝って、ペンシルヴァニア議会は議事堂用の新しい鐘を注文した。これが、国じゅうでもっとも大切にされているリバティ・ベルだ。

 ペンの作った政府の枠組みの遺産は大きく広がり、今やさまざまな地域で自由と権利を求める真の民主主義に向かうための重要なステップとして認識されている。ウィリアム・ペンはクエーカー教徒だったが、宗教の自由を擁護し、アメリカ先住民の部族とも平和的に交渉した。イギリスに戻ると、彼はその信念のせいで何度も逮捕されたが、牢獄の中でひたすら小冊子を書いて過ごし、さらに自分の考えを主張した。

 ペンの新しい憲法の言葉がヨーロッパに伝わると、その考えに共感した人たちの間で支持が広がった。フランスの思想家ヴォルテールは、ウィリアム・ペンはこれまでとは違う黄金時代を地球にもたらしたと言った。


4. 「我が国民たちへ」7_e2

 1914年7月29日、「我が国民たちへ」と題した声明文が、オーストリア=ハンガリー帝国じゅうに配信された。皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の一日前の署名がされていたこの声明文は、セルビアとの戦争を正式に布告したもので、これが第一次世界大戦の始まりとなった。

 文書の中で皇帝は自らを平和の男とし、セルビア王国からの絶え間ない挑発のせいで、国の名誉と君主制を守るために、やむなく戦争に突入するとしている。「我が国民たちへ」というタイトルは、戦争宣言書としてはごく普通の表題だ。ヨーゼフは"国民たち"と複数形を使って、オーストリア=ハンガリー帝国は、ふたつの同等な君主制に、自治権のあるクロアチア=スラヴォニア王国を加えた多民族帝国であることを示している。数日のうちに、文書は帝国内で使われているあらゆる言語に翻訳され、小冊子とプロパガンダポスターも配布され、すべての新聞にも掲載された。

 声明は7月危機のピークと見られ、フランツ・フェルディナンド大公の暗殺に続いて、セルビアとオーストリア=ハンガリー間の戦争は避けられないと思われた。オーストリア=ハンガリー側は、セルビアに最後通牒を突きつけることで平和的な調停をしようとしたが、その内容は、セルビア側にはとうてい受け入れられるものではなかった。こうした始まった戦争は、オーストリア=ハンガリー側の思惑どおりにはいかなかったと言うにとどめておこう。この大戦の終結はオーストリア=ハンガリー帝国の死をもたらし、ハプスブルグ家の支配は終わりと告げた。


3. ローマ教皇ウルバヌス二世の指示書8_e1

 1095年頃、ビザンティン帝国の皇帝アレクシウス・コムネヌスは、ローマ教皇ウルバヌス二世に、小アジアの自国領土を攻撃してくるセルジュークトルコを撃退するための軍隊を要請する手紙を送った。それに応えて教皇は、フランスのクレルモンで大勢の聖職者や貴族を含む教会会議を招集した。そこで、ウルバヌスは歴史上もっとも有名なスピーチのひとつと言われている名演説をした。これが何世紀にもわたってヨーロッパに大きな影響を与えた出来事、十字軍のきっかけになった。

 会議は11月18日から28日まで続き、ウルバヌスのスピーチは27日だった。現在、これが第一回十字軍の始まりと考えられている。教皇は今こそ、東西のキリスト教徒が一致団結して、イスラム教徒に対抗するときだと説いた。翌年、何万という兵士が東へ向かった。1099年にエルサレムを奪還すると、十字軍は最高に盛り上がったが、ウルバヌス自身はこの知らせがヨーロッパに届く数週間前に亡くなった。

 クレルモン教会会議でのウルバヌスの演説について、6つの情報源があるが、そのうちの5つは信憑性が議論されている。これらは、十字軍戦士がどのような許しを認められるのか、もともとの目的はビザンティン帝国を助けることなのか、聖地を再び奪還することなのか、といった問題について、それぞれ詳かいところが違っているのだ。

 6番目の情報源は、1095年12月にウルバヌス自身がフランダースに集結した十字軍兵士たちに宛てて書いた指示書だ。これは、クレルモン教会会議の内容をカバーしていて、中世ヨーロッパ史におけるもっとも重要な出来事を裏づける情報源として、一番信頼できるものだ。


2. メイフラワー誓約9_e1

 プリマスは、北米でもっともよく知られた英国の最初の植民地のひとつ。現在では、ピルグリムファーザー(巡礼始祖)や感謝祭の祝いなどは特に、アメリカ文化に深く染みついている。ピルグリムは分離主義者と言われることが多く、英国を逃げ出して、新たな地で自分に合った信仰を信じようとする敬虔な人たちのことだ。そんな彼らを象徴する1620年のメイフラワー号での旅は、アメリカの民間伝承の基本中の基本の話だろう。

 メイフラワー号に乗船していたピルグリムは実際は少数だった。100人ほどの乗客の半分以上と25人の乗組員たちは、分離主義者ではなかった。船はもともとヴァージニアに向かっていたが、嵐の危険性と物資の不足のせいで、新たな土地に入植するほかなかった。厄介なことに、定住地が決まっても、分離主義者でない者はピルグリムのルールに従うつもりがないことがわかった。彼らに言わせると、自分の自由を自由に行使する権利があるという。

 これが、結果としてメイフラワー誓約が起草される結果となった。アメリカにおいて初めて記述され、制定された政府の枠組み草案だ。上陸前にすべての男たちは署名をしなければならず、文書は、市民主体の政治に公正で平等な法律を制定する権限を与えるとしているが、運営組織はほとんど分離主義者たちで構成されていたため、彼らが権力を持ち続けるのは確実だった。メイフラワー誓約は憲法ではないが、プリマス政府の基礎となり、植民地全体がマサチューセッツ湾植民地に取り込まれる1691年まで、力を維持し続けた。


1. デ・ロメの手紙10_e1

 1898年4月25日、アメリカとスペインの間で戦争が勃発し、3ヶ月以上続いた後、アメリカの勝利で終結した。その後、かなりアメリカ優位なパリ条約が締結され、スペインはキューバ、グアム、プエルトリコ、フィリピンを手放さざるをえなくなって、北アフリカの数か国を除いて、海外の領地をすべて失うことになった。かつて決して日の沈むことのない国として知られていたスペイン帝国の終焉だと誰もが思った。

 戦争前、アメリカ国民の意見は割れていた。低俗で煽情的なイエロージャーナリズムのパイオニアであるウィリアム・ランドルフ・ハーストとジョゼフ・ピュリッツァーは戦争に賛成したが、メディアを使って大衆を煽ることを非難された。この関連で、1898年2月にデ・ロメの手紙を入手したハーストは大穴を当てた。

 エンリケ・デュピュイ・デ・ロメは、駐米スペイン大使で、スペインの外務大臣宛てにキューバにおけるアメリカの関わりについて、辛口の手紙を書いた。この中で、マッキンリー米大統領は、弱腰の最低な政治家だと書いていたのだ。しかし、キューバの革命騒ぎのどさくさでこの手紙はちゃんと届かずに流出した。ハーストがこの手紙を見つけ出して、ニューヨークジャーナルに「史上最悪の侮辱を受けたアメリカ」というタイトルをつけて発表した。これがアメリカ国中でスキャンダルになり、国民は国に確固たる行動を求めた。2ヶ月後、ハーストたちの望み通りの展開になった。

 スペイン側は、戦争で国際競争力や威信を失ったが、98年世代として知られる作家や詩人、思想家たちの新しいうねりのせいで、国が知的に生まれ変わることができた。

via:10 Documents With A Profound Influence On History

☆勉強が足りんのじゃ、知らんのばっかり!

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廃墟化した動物園に隠された悲しい末路。アメリカ「キャッツキル・ゲームファーム」

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 廃墟写真家、マシュー・クリストファーはアメリカニューヨーク州北部で廃墟化した動物園を発見し写真に収めた。彼はこの施設の歴史的背景を知り、衝撃を受けたという。

 1933年にオープンしたその動物園「キャッツキル・ゲームファーム」は、最初は小さな農場だったが、第二次世界大戦後のベビーブームに乗り、一時期は大盛況を博した。だがここにも栄枯盛衰の波は訪れる。

 ついに朽ち果てていったこの動物園の末路には悲惨な現実が隠されていた。

 「キャッツキル・ゲームファーム(Catskills Game Farm)」の”ゲームファーム”とは、狩猟用などの用途のために動物を繁殖させる農場を意味する。

 1933年、ローランド・リンデマンがこの動物園を開園した当時、ロバとヤギが各1匹ずつ、鹿が2匹の合計4匹しかいなかった。だが第二次世界大戦が終わると、様々な動物が世界各国から輸入され、1960年代の全盛期には2000匹以上もの動物たちが年間50万人を越える来園者たちを楽しませていた。

放棄された畜舎
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
雑草に覆われた施設
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
 来園者の中心は第2次世界大戦後のベビーブームで生まれた子供たちで、子ヤギや羊の餌やりや、珍しい希少動物を一目見ようと大勢で施設にやってきていた。それはとても無邪気な時代だった、とクリストファーは語る。

入口の木製のフェンスにはキリン型の飾りがついた跡がある。
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
畜舎
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
 しかし、1980年代の終わりになると来園者の数は減り始め、2006年に閉園を迎える。それは悲惨な終わりだった。

 多くの動物たちは狭い土地で行われるトロフィーハンティング用の獲物として売られていった。それ以外の動物たちは時には薬殺されたりした。

 かつて子供たちを楽しませ、共にふれあっていた動物たちの悲惨な末路を知ったクリストファーは衝撃を受けたという。のどかな光景という夢から醒めた瞬間であると同時に非常に恐ろしく辛い現実に対峙した瞬間でもあった。

ミニチュアゴルフの施設
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
アフリカの動物収容区画入口
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
老朽化した保育場
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
 クリストファーはこの動物園の写真集を発売する予定だ。この施設の始まりから終わりまでを、当時の関係者たちのインタビューとともに詳細に記していくという。

 悲惨な閉園を迎えたキャッツキル・ゲームファームだが、現在は買い手がつき、新オーナーたちはその歴史を保存するアイデアを模索している。小規模な宿泊施設やオートキャンプ場、博物館にする計画もあるようだが、再び動物園にする気はないという。それでも当時の面影をしのばせる部分を残して欲しい、という人々の意見を汲むつもりのようだ。
 

保育場のプレイハウス
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
かつて動物たちがいた檻
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
施設の建物の一部
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
農場の屋内
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
朽ちかけた子ども用ゲーム
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
カメラのフラッシュライトの箱
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America
クリストファーの新しい著作の表紙
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imege credit:Matthew Christopher/Abandoned America

☆廃墟マニア必見か!

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人体に仕込まれたカオスな世界。19世紀の木版画に描かれた歌舞伎役者人体解剖図

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 19世紀、江戸時代の長い鎖国後の開国によって、日本には海外の影響が流入した。西洋医学もそのひとつだ。この時代の色鮮やかな浮世絵風木版画には、こうした移り変わりがちゃんととらえられている。歌舞伎役者が体内機能のプロセスを表わしていたり、仏教徒の神がコレラやはしかと戦っている様子が描かれている。

 カリフォルニア大サンフランシスコ校(UCSF)は、400点以上にわたるこうした日本の木版画の豊富なコレクションを所蔵している。特に目を引くのは、歌舞伎俳優を含む多くのキャラクターを使って人体に直接描かれた解剖図で、体内の機能を的確に表している。

作者不詳「近来流行歌舞伎噂見物の腹」
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 この消化機能を表わした絵は、有名な江戸の浮世絵師、歌川国貞の作品に似ている。昨年12月サザビーズが売却した作品は、魚の皿を前に酒を飲む男の体に描かれた小さなサムライが、胆汁の制御指令を出す胆嚢や、燃えさかる心臓、生命のプロセスを導く本の山などでせっせと働いている様子が表わされている。

 UCSFは、医学部の学生たちが利用する図書館に、大規模な木版画の複製コレクションを所蔵している。作品は、日本で内科医学が飛躍的に理解されていたことを表わしている一方、開国によって、日本国民が新たな感染病の影響を受けたことも表わしている。

 伝染病は外国人のせいにされることが多く、1861年の作品では、仏教徒の神がコレラを追い払っている。人体のメカニズムを表わしている小さな人たちは、19世紀の日本医学における精神、文化、医薬の複雑な融合の一部なのだ。

国貞の弟子による「房事養生鑑」(性生活のルール)19世紀
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image credit:木版(サザビースより)

歌川国貞「飲食養生鑑」(健康的な食事モデル)19世紀
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image credit:木版(サザビーズより)

作者不詳「背中に腹、子供遊び」(背中と腹に子供の遊び)19世紀 
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image credit:木版(UCSF特別コレクション蔵)

歌川国輝「体内十界之図」(体内の10の領域)
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image credit:木版(UCSF特別コレクション蔵)via:hyperallergic

☆文字も読みたいがな!

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この密度がたまらない。ソ連時代の建築家がエッチング版画で描いた幻想構造

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 1970年~1980年にかけ、低迷した経済状況にあった旧ソ連で、建築家らは歴史的建築遺産の損失を目の当たりにした。崩壊の危機にさらされた共産圏の中でペーパー・アーキテクト(紙の建築家)のアレクサンドル・ブロツキー(1955年-1993年)は、同級生のイリア・ウトキンとともに、エッチング版画による時代を風刺したユーモアやSF溢れる幻想構造図を作り上げた。

※画像クリックで拡大表示

1.Hill with a Hole , 1987年~1990年
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3.現代建築美術館、1988年~1990年
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4.ディオメーデース、1989年~1990年
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5.人形の家、1990年
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6.くまのプーさんの家 1990年
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7.グラスタワーII、1984年~1990年
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8.愚か者の舟、ジョリー会社の木造のスカイタワー 1988年~1990年
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9.ヴィラノーチラス 1990年
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via:thisiscolossal

 なおアレクサンドル・ブロツキーは、ペレストロイカ以降から実作も手がけおり、サンクトペテルブルクの「カフェ・アトリウム」などが代表作である。

☆確かに細かい!

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哲学者が考えた奇妙な10の思考実験

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 知の探求者であるところの哲学者というものは常に何かを考える病に取りつかれているものだ。そしてそれを検証しようにも、倫理的観点から実験できないこともあるし、折角実験の許可が与えられたとしても、単純に現実的にできないこともある。

 そうした場合に頼りになるのが思考実験だ。ここでは哲学者たちが世界を理解しようと考案してきた10の奇妙な思考実験をご紹介しよう。

10. ビュリダンのロバ1_e8
 1匹のロバが2本の分かれ道のそれぞれの先にまったく同じ量の干し草を見つけた。干し草までの距離はまったく同じだ。お腹がすくにつれ、どちらに進むかの決断はますます重要なものとなってくる。どちらの干し草がよりお得だということはない。さあ、どちらを選ぶのか? 決断がつかないままにロバは餓死してしまう。

 これは14世紀の哲学者が考案したとされる思考実験で、アリストテレスも類似の問題を考察している。実際にやってみればいいのだろうが、ロバを入手しても、まったく同じ餌を探すのは非常に難しいだろう。理性や理論を強調しすぎると死んでしまうので、自由意志が必要であることのたとえ話とされる。


9. 洞窟の比喩2_e6
 プラトンが考案した洞窟の比喩は、彼の現実に対する考え方を説明する。プラトンにとって現実とはより高次の現実の影に過ぎなかった。すなわちこうだ。

 あなたは洞窟の中で鎖につながれていたとしよう。見えるのは目の前の壁だけだ。そばに同じく鎖につながれた人々がいるようであるが、姿を見ることまではできない。背後には炎があるらしく、壁を照らしている。炎と壁の間を人が通るたびに、壁に影が映り、音がこだまする。あなたが知ることができるのは、そこにある影だけである。

 あるとき自由になり、後ろを振り向いた。するとそこには炎とそれに照らされ影を伸ばす物があった。また洞窟からも抜け出すことができた。太陽の光で目がくらむが、現実をついに知ることになる。だが、鎖につながれている他の人々に現実の真の姿を伝えても頭がおかしいと思われるだけだ。


8. 中国語の部屋3_e6
 あなたは中国語がまったくわからないとしよう。ふと気がつくと、ある部屋の中に閉じ込められており、そこには1冊の中国語の本とあなたの母国語の指示書が置かれていた。

 すると中国語が書かれた1枚の紙が差し入れられてきた。そこで指示書にしたがって、そこに中国語を書き込み、部屋の外に出した。部屋の外にいた人は、まるであなたが中国語を完全に理解しているかのような印象を受けるだろう。

 これはジョン・サールがチューリングテストを発展させて考案したものだ。もしコンピューターを相手に私たちがまるで会話をしているかのような感覚に陥ったとしたら、それは知性があるということなのだろうか? 部屋の中の人はコンピューターと同じ働きをしている。わけがわからないままにただ文字を書いているだけなのだ。


7. パーフィットの分離脳4_e3
 デレク・パーフィットは心身一元論を研究した人物で、永続的に安定したアイデンティティという概念を疑った。

 たとえば、完全な脳移植が実現したとしよう。そこで、あなたの脳を取り出して、2つに切り分け、それぞれをクローンの体に移植した。2人のクローンが目覚めると、あなたの記憶を思い出し、あなたであるかのように考え、感じるようになった。どちらもあなたであると主張している。今やあなたは2人いるのだろうか? それとも、あなたを半分にしたことであなたは破壊されたのだろうか?


6. スワンプマン(沼男)5_e3
 まるで古典美の響きを持つ「自心を知ること(Knowing One’s Own Mind)」という論文で、ドナルド・デイビッドソンは心身一元論を発展させた。

 ある日、男が沼の中を歩いていた。そして不運にも雷に撃たれて死んでしまう。神の悪戯か、さらに沼に2度目の落雷があり、そこにあった原子に化学反応を起こし、その男とまったく同じ構成のものを再現してしまう。この新たに誕生した沼男は沼から這い上がり、死んだ男と同じようにそれまでの生活を送るようになった。自分がまるで違う存在であることなどつゆも知らず。

 はたして死んだ男は本当にひどい目に遭ったのだろうか? 沼男は死んだ男と同じ存在なのであろうか? この問いに答えるには、転送器の発明を待たねばならない。

5. 水槽の脳6_e2
 実はあなたは自分の目でこの記事を読んでいるのではないとしたらどうだろうか? 本当のあなたは水槽の中に沈められた脳なのだ。

 あなたは様々な状況を認識していると思い込んでいるが、それは剥き出しの脳に感覚データが与えられている結果だ。あなたが見聞きし、触れるものすべては灰白質に流れる電気信号でしかない。このシミュレーションシステムが完璧なものであれば、あなたの存在の性質を反証することはできない。


4. 功利の怪物(Utility Monster)7_e2
 功利主義とは、最大多数の最大幸福を旨とする規範だ。いかにも完璧に聞こえる教条の限界を示すのが、この思考実験である。

 ある科学者が普通の人よりも物事から功利を引き出せる存在を作り出したとしよう。私たちはケーキを食べれば、一定の幸せを感じるだろう。しかし、功利の怪物はその1,000倍の幸せを感じることができる。もしケーキが1つしかなかったとしたら、最大の幸福を得るためにそれを功利の怪物に与えるべきだ。ケーキが2つであっても、2つとも与えるべきだ。功利の怪物が一般人よりも多くの幸福を得ている限り、功利主義では大多数の人々を不幸にすることになる。それでも世界全体で見た場合の幸せの総量は最大のものなのだ。


3. ヴァイオリニストの比喩8_e2
 功利主義については、個人の権利を重視する立場からも批判されている。今、臓器移植を待つ人がいるとしよう。あなたは臓器の入った歩くバッグのようなものだ。あなたは幸せかもしれないが、数名の患者に臓器を与えれば、それ以上の幸せが生まれることだろう。したがって、功利主義に従えば、あなたを殺して臓器を与えるべきことになる。

 ジュディス・ジャービス・トムソンは次のような思考実験を考案した。ある朝、あなたが目をさますと、ある意識不明のヴァイオリニストにつながった状態であることに気がつく。その人物は病気で、生かし続けるにはあなたの血液が必要だった。そこである音楽の愛好家の一団が前日の晩に医師に金を払い、あなたの循環器を利用できるようヴァイオリニストにつなげさせたのだ。

 ヴァイオリニストが完治するには9ヶ月かかるという。もしチューブを引き抜けば死んでしまう。さて、あなたとヴァイオリニストを離したら、それは殺人になるのだろうか? あなたが手術に同意していない場合でも、ヴァイオリニストに対して責任を負っているのだろうか?


2. カブトムシの箱9_e2
 各人に自分だけが中を見れる箱が1つ与えられているとしよう。箱の中には”カブトムシ”が入っている。誰もが箱の中身をカブトムシと呼んでいるが、それを他人のカブトムシと比べあわせたことはない。各人は自分が持つ箱の中だけを見て、それがカブトムシであると考えているのだ。他人の箱の中身がまったく別物であるということもあり得る。実は箱には何も入っていないということもあり得る。

 この実験の肝は、他人が知ることのできないものについて言及しているということだ。どんな子供でも、ある時点で彼らの目に映る青い色が他人が見ているものと同じであるかどうか疑問に思う。あなたが痛みを感じたとき、それが他人の感じる痛みと同じであるとどうしてわかるだろうか?


1. メアリーの部屋10_e2
 メアリーは世界でも超一流の科学者だ。色に関して、彼女はありとあらゆることを知り尽くしている。色について、彼女が知らない物理的、化学的、神経生理学的な事象はない。が、1つだけ欠けているものがある。それは彼女がこれまですべての研究を白黒の部屋の中で行ってきたということだ。

 ある日、彼女は部屋から外に出て生まれて初めて色を目にした。知らなかった事象はない。前から知っているものばかりだ。ところで、実際に色を見たことで何らかの知識を得たのだろうか?

 この思考実験はフランク・ジャクソンが「メアリーが知らなかったこと(What Mary Didn’t Know)」という論文で発表したもので、哲学で最も深い問題の1つを扱っている。すなわち、知識とは何か、である。純粋な思考実験の領域においてさえ、私たちが知っているものとは何か知ることができないのだ。

via:10 Weird Philosophical Thought Experiments

☆頭が痛くなるから、真剣に考えるのは辞めましょう!

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進化してもその名残は体の中に。知られざる10の人体の不思議

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 20万年以上にも及ぶ時間の中で、私たちの身体は大きく変わって来た。いわゆる進化というやつだ。だがそれでも未だに必要無いと思える10の器官や部位は存在する。

 盲腸などがいい例だが、ここではそんな10の体のパーツを見ていくことにしよう。

1.尻尾1_e49

 まだ母親のお腹の中にいる頃、我々にも尻尾があった。

 全ての哺乳類は子宮にいる間に尻尾を獲得していくのだが、人間だけは極めて稀なケースを除いて、尻尾を胎児の段階で無くしてしまうのだ。尾てい骨というのはその名残であり、貴方の先祖に尻尾がついていたという証拠なのである。


2.第三のまぶた2_e44

 我々の目の涙腺のすぐ横の目尻には第三のまぶたの名残があるという。

 多くの爬虫類や鳥類、そして少数の哺乳類は第三のまぶたと言われる「瞬膜」を持っている。瞬膜はまぶたから水平方向に動く半透明の膜であり、眼球に水分を補給し、異物から眼球を保護する役割を持っている。現在、人間の身体にある瞬膜は眼球の水分を絶えず交換する為に水分を涙管へと送る役割を担っている。


3.親しらず3_e42

 親不知に苦しめられいる人も多いだろう。

 この最後に生えてくる奥歯は、私たちがまだ顎の大きかった原始時代に、木の実等を噛み砕く為に使われていたのではないかと考えられている。文明が発達した現代において、この奥歯は全く意味を成さず、欧米では取り除かれる事が多い。


4.ダーウィン結節4_e0

 地球上の人類の4人に1人が持っていると言われている「ダーウィン結節」は、耳の上部に少しだけ突き出た部位である。かの進化論学者チャールズ・ダーウィンにちなんで名づけられた。この部位は多くの猿に存在し、私たちが他の霊長類と同じ道を辿って来た事を証明する部位なのだと言われている。


5.耳だけを独立してピクピク動かせる人5

 まるで猫のように耳をぴくぴくと動かせる人がいる。その人は外耳介筋を動かしているのである。猫や犬などの哺乳類は音を集中して聴くためにこの筋肉が発達している。

 我々の先祖はそういった能力を持つ必要が無くなったため、次第にこの部分の筋肉が衰えて行ったのである。耳をピクピク動かせるからと言って、聴力に優れているわけではないのが残念だ。


6.もう一つの鼻「ヤコブソン器官」6_e23

 ヤコブソン器官は象からトカゲに至るまで、多くの生物に存在する重要な嗅覚器官である。写真に写されているのはメキシコドクトカゲであり、彼もまたこの器官を持っている。

 幾つかの研究において、人間の鼻腔内にはまだこの器官が備わっていると言われている。しかし人体の構造上、ヤコブソン器官と思われる場所には神経が繋がっていないので、特に意味の無い器官になっていると言えるだろう。


7.長掌筋7_e22

 人類の85%は長掌筋という肘から掌の付け根を繋げる節が存在する。

 サル目の中ではこの筋を木登りに使ったりするものが存在し、猫や他の生物の間では爪などをしまう為に存在している。この筋を持っているかどうかを簡単に調べる方法は、同じ手の小指と親指をくっつけてみる事だ。もしもあなたにこの筋が存在しているのであれば、ぽっかりと浮かび上がってくる事だろう。うん、私もあった。


8.ベビー・アニマル・グリップ8_e21

 手掌把握反射と言われるこの条件反射は原始反射の一つであり、まだ5ヵ月未満の幼児に見られる掌の反射運動である。

 この反射運動は原始時代、私たちが母親の体毛にすがりつくために身についた物であり、5ヵ月未満の幼児の掌に何か重いものを乗せると指が反射的に握りしめる動作をする。


9.鳥肌9_e21

 恐いものを見た時や、少し寒くなった時に現れる鳥肌は毛穴の周りに存在する小さな筋肉「立毛筋」が収縮する事によって毛が立ちあがる現象が発生するのである。

 私たちの先祖は何かに恐れを抱いた時、立毛筋を引き締め、毛を立てる事で自らを大きく見せていたのではないかと言われている。また、毛と毛の間に空気を取り入れる事で体毛による保温効果を引き上げていたとも言われている。


10.ブランチ・グラッバー10_e16

 足底筋を持たない現代人は10人に1人しかいないという。例え人体にあったとしてもあまり意味を成さない筋肉の一つである。

 足底筋は類人猿の生活で重要な器官であった。かかとの少し後ろにある足底筋はつま先まで続く長い筋肉であり、主に足裏で小枝や物を掴むために使われるのだ。


☆ちゅことは、まだ進化の途中と言うわけか?

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人類の闇。昔から現在に引き継がれてきた身も凍る15の精神的拷問

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 肉体的拷問よりも過酷な精神的拷問。中世やそれ以前の時代、数多くの精神的拷問が行われていた。そうした手法の多くは現代にも引き継がれており、政府の秘密機関などで今も利用されている。

 精神的拷問によって肉体が傷つくことはないが、その爪痕は心の奥深くに残る。もっとも有名なものは取り調べなどで行われる睡眠妨害や感覚の遮断だろう。また、肉体に危害が加わることはほとんどないとはいえ、精神的拷問と肉体的拷問は密接に関連している。肉体的拷問による苦痛や恐怖それ自体が精神的なダメージを引き起こすからだ。

 以下では人類が作りあげた狂気の精神的拷問を紹介する。いずれも心を衰弱させ、恐怖を植え付けるには効果的な手法であることが証明されている。

15. 強請り(強迫)1_e1

 強請りは精神的拷問の1つだと考えられている。メリアム・ウェブスター辞典によれば、強迫(blackmail)とは、言うことを聞かなければ秘密をばらすと脅す犯罪のことである。その目的は金銭であることもあれば、パートナーが自分のもとに留まるよう強制するといった人間関係であることもある。

 イングランドではある強請り事件がきっかけで2015年に法律が施行されている。恋人から別離を切り出されることを恐れた男性が、別れるなら自殺すると脅迫したのだ。また、彼は恋人のSNSを監視し、友人関係も束縛した。この男は強制と支配の罪で15ヶ月の懲役刑が科された。


14. 長時間におよぶ尋問2_e1

 尋問では自白を取り付けるために精神的拷問が利用される。これは必ずしも法で認められているわけではないが、捜査当局の常套手段だ。

 尋問で使用される方法の合法性、あるいは残虐、非人道的とされる方法については、以前から様々な議論がある。赤十字国際委員会が発行した精神的拷問に関する文書によれば、尋問の際の拷問には、身体を物理的に攻撃するものや、実際に肉体的な苦痛を引き起こすもの以外の手法も含まれている。尋問で使用される精神的な手法としては、人の感覚や人格を乱すようなものもしばし挙げられる。

 警察の尋問では、長期間拘束し、質問や非難、あるいは脅しなどが行われることがある。警察は容疑者に自白を促し、罪を認めさせる様々な手法を用いている。


13. 睡眠剥奪3_e

 2014年、アメリカ上院諜報活動特別委員会が公開した報告書では、9/11同時多発テロ事件後にCIAが行っていた拘禁と尋問について取り上げられた。それによれば、睡眠剥奪がもっともよく利用された”強化尋問技法”の1つだったという。
 
 睡眠剥奪による拷問を行うには、最大180時間隔離する必要がある。この間、対象者は立ちっぱなし、あるいは無理な姿勢をとらされる。睡眠を剥奪された人間は幻覚などに苦しむようになる。

 これは消耗性の精神的拷問で、生物機能の深部に打撃を与える。人間の精神および肉体的健康は、適度な長さの睡眠に依存する。睡眠不足が極端なまでに進行すれば、肉体に対する拷問以上のダメージと苦痛が引き起こされる。

 睡眠剥奪による初期症状は、疲労、苛立ち、集中力の欠如だ。これがさらに進むと、読解力や会話能力の低下、判断力の低下、体温の低下、食欲の増加といった症状に苦しめられるようになる。


12. ガスライティング4_e

 ガスライティングとは、犠牲者に自分の記憶、認識、正気を疑わせるよう仕向ける行為だ。加害者が以前に行った嫌がらせを否定したり、犠牲者を当惑させるような奇妙な出来事を起こして見せたり、様々なやり方がある。
 
 この用語は1938年の演劇『ガス燈』にちなんだもので、臨床や学術研究論文でも使用されている。

 ガスライティングは社会病質者やナルシストが意識的あるいは無意識的に好んで使う。社会病質者はしばしば社会規範や法律に違反し、他人を利用するが、一見魅力的で自信に溢れている。こうした人物は自分の不正を否定し、そのあまりに被害者が自らの認識を疑うことすらある。

 別のよくあるケースは配偶者に対するガスライティングだ。例えば、加害者側のパートナーが自分の暴力行為について頭から否定するといったことがよくある。


11. 独房監禁5_e

 独房監禁は数世紀にわたって利用されてきた精神的拷問の手法だ。現在でも行なわれており、囚人を狂気に陥れる。

 人が完全に隔離された状態で、何もすることもなく数日、数週間、数ヶ月と過ごすと心からの恐怖を味わうようになる。人との関わりが絶たれるとかつて精神的に安定していた人物であっても鬱や不安症を患うようになる。

 独房監禁された囚人は孤独と戦うために独り言を口にし始める。同じ目に遭っている囚人がほかにいたとしても、お互いに会話できるような場所にはいない。これにより精神的な苦痛はおろか、肉体的な苦痛まで生じるようになる。

 今日では独房監禁は人権問題であるとみなされることが多い。また、独房監禁の適用には人種差別的な色合いも見て取れる。それを示唆する証拠がありながらも、アメリカにおいて独房監禁に関する統計を残す義務は存在しない。


10. ホワイトトーチャー6_e

 ホワイトトーチャーとは、感覚の遮断を用いた精神的拷問で、光、音、臭い、触覚、味といった刺激を一切遮断してしまう。イランなどの中東諸国で政治犯を対象によく使用される。また、CIAでもテロの容疑者から自白や情報を引き出すために使われるようだ。

 視覚や聴覚を遮断するために目隠し、フード、耳栓などをよく使用する。また、より複雑な器具を使って、嗅覚、触覚、味覚、さらには温度や重力に対する感覚まで奪うこともある。

 特に光や音を奪うことで、人間の心理状態に劇的な影響を与えることができる。犠牲者は幻覚を見たり、嗅覚が鋭敏になったり、さらには部屋の中に何か邪悪な存在がいると錯覚するようにもなる。


9. ノータッチトーチャー7_e

 ノータッチトーチャーはかつてアメリカで使用されていたと噂されるものだ。今日、政府はこうした拷問が行われているという主張を否定している。

 拷問に使われる技術は国家機密に分類されており、これを耐え抜いたアメリカ市民からのリーク情報があるだけだ。どうやら、復讐、罰則、取り調べ、行動の矯正に使用されていたらしい。しかし、この類の拷問は信頼性に乏しく、しばしば虚偽の自白を引き出すことになる。

 ノータッチトーチャーの手法としては、躁鬱状態、記憶の改ざん、電気ショック、不安や恐怖、強制的に病気にする、性的に不快なポルノグラフィー、個人的あるいはスピリチュアルな中傷、心理的脅迫などを利用するものがある。人を限界に至らせるまでに数日から数ヶ月かかることもある。


8. 永久的かつ重度の外見損壊をほのめかす脅し8_e

 人の外見を永久的かつ重度に傷つけるとほのめかす行為も精神的拷問だ。実際に外見を損壊させる必要は必ずしもなく、脅迫だけで精神的には相当堪える。また、精神状態を変化させる物質あるいは感覚や人格を阻害する手法の使用をほのめかすこともある。

 定期的に肉体的拷問をチラつかせることで、慢性的あるいは長期的な精神的なダメージを与えることができる。この類の拷問では、その暴力行為の程度を徐々にかさ上げしつつも、怪我はまったく負わないために、犠牲者が外傷の影響を軽視するようになる。

 また、こうした性質ゆえに、例えば訴訟などにおいて、このタイプの拷問を味わったことのない人がその苦痛を理解することは難しい。


7. 羞恥刑9_e

 公で辱める行為は精神的拷問独特のものと言えよう。例えば、知らぬ間に裸の写真を撮られて、それを公の不特定多数に配布するようなことがあれば、羞恥刑の一種である。

 これは学校でのネットを介したいじめの一形態としてよく見られる。中高生は誰かに見られるとは少しも思わずに、不用意に自分のヌード写真を人に送りつけることがある。するとそれをもらった人物がクラス全員にばらしてしまうのだ。また、こうしたことはコミュニティでもしばしば発生し、多くのケースで被害者が恥ずかしさや悲しみに耐えられずその地域を去ることになる。

 原始的な部族社会では、羞恥刑の矛先は本人だけでなく、その家族にまで及ぶ。血縁関係にあるという理由だけで、被害者になってしまうのだ。


6. 中国式水責め10_e

 この精神的拷問は水滴を拘束された人間の頭部に延々と垂らし続ける。水滴は肉体に直接触れているが、それ自体は肉体を傷つけることがないために精神的拷問に分類される。それでも執拗なまでに垂れ続ける水滴は、意識を朦朧とさせ、多大なまでの精神的苦痛となる。

 この拷問は15、16世紀イタリアのヒッポリトゥス・デ・マルシリース(Hippolytus de Marsiliis)が編み出したものだ(その名称は、ハンガリー生まれの手品師ハリー・フーディーニが考案した中国式水責め房に由来すると思われる)。岩に垂れ続ける水滴が、やがては穴を開けるところを見た彼は、これを人体でも試してみたのだ。

 かつての中国式水責めでは、犠牲者を裸にして見物人に嘲笑させたりといったこともあったと言われている。


5. 音楽の拷問11_e

 楽しいはずの音楽は拷問にも使われることがある。音楽の拷問は、拘留中の人物に対して、大音量の音楽を絶え間なく聴かせるものだ。現在、欧州人権裁判所と国連が取り調べ中に大音量の音楽を流すことを禁止している。
  
 極端に音量の大きい音楽が作り出す振動は、人間の骨にまで響き、精神的な苦痛を与える。音楽の拷問は20世紀の全体主義政権下でよく使用されたものだが、様々な状況において中世から現在まで続く精神的拷問だ。

 大音量の音楽は今日の文化において他人に大きな迷惑をかけるものと認識されている。音楽を無理やり聴かされることで、睡眠まで妨げれてしまう。
 
 ちなみに、CIAでもっともよく使用されるのは、エミネムの「The Real Slim Shady」、ドープの「Take Your Best Shot」、クリスティーナ・アギレラの「Dirrty」、デヴィッド・グレイの「Babylon」だそうだ。


4 環境操作12_e

 環境操作は、ほとんど気がつかないような変化に対して段階的に適応させることで、抑留者に心理的な強制を強いる環境を作り出すことをいう。各段階は非常にささいな変化であるので、そこに強制を生み出す効果があったとは気がつくのは、せいぜいずっと後になってのことだ。集団の中で行うことも可能で、犠牲者はしばしば仲間だと思っていた人物に騙されることになる。

 環境操作は心労をを引き起こし、認知プロセス、価値観、考え、態度、規範、推論、意思決定といった能力に影響を与える。また、こうした行為には、情報や意見を突然拒絶し、話し合える話題を制限し、コミュニケーションを厳しく統制するといった行為も含まれる。

 自分の意思によらぬ環境の変化によって無力感に苛まれるようになる。当然、不安感も増大する。


3. ストレスポジション13_e

 ストレスポジションとは、体の筋肉に過大な負荷がかかるような姿勢のことで、服従ポジションとも言われる。例えば、つま先立ちを強いられたり、しゃがんで太ももが地面と水平になるよう強いられたりするような状況だ。最初は強い不快感を覚えるが、やがては激しい痛みに変わってくる。

 これはグアンタナモの収容キャンプでよく行われていた。そこでは座った者に座り直すことを許さなかったり、立っている者に起立の姿勢を強制するといったことがあった。

 また、吊るし刑もこの一種だ。肩に過度な負担がかかり耐え難い苦痛が生まれ、ときには脱臼、あるいは神経や靭帯が損傷を受けることもあった。


2. 薬物による拷問14_e

 罰則あるいは情報を引き出すために向精神薬などの薬物を用いることである。精神的苦痛、不安、精神的混乱、金縛り、見当障害などのストレスを与えることで、服従を強いるためのものだ。

 薬物による拷問は中東でよく使用された。依存性のある薬物を無理やり投与し、禁断症状が現れる頃を見計らって投与を中止。尋問を開始する。言うことを聞けば薬物を与えるが、服従しない場合は禁断症状によって苦しむことになる。

 ブラジルでは70年代に薬物による拷問が行われていた。その手法は、舌や陰嚢にアルコールを注入したり、てんかんを起こすような薬物を投与したりするものだ。また、電気ショックを与える際に筋弛緩剤を与えると、肉体的な怪我を最小に抑えることができるという。


1. 恐怖症の利用15_e

 これは犠牲者が自分の苦手とするものを知られてしまった場合に利用される。加害者はその人間が特に恐怖を覚えるような状況を作り出す。例えば、蛇が大嫌いな者を蛇だらけの部屋に閉じ込めたりといった具合だ。あるいは蜘蛛嫌いならタランチュラがうじゃうじゃいる部屋に閉じ込める。剛毛の生えたタランチュラが体の上を這い回る恐怖は如何ばかりだろうか?
 
 このトラウマになるような恐怖に向き合うより、しばしば人は心を閉ざし、放心状態に陥る。加害者は高所に対する恐怖や血に対する嫌悪感などありとあらゆるものを利用することができる。

 こちらもCIAのお気に入りで、グタンタナモの収容所、アフガニスタンやアメリカなどの施設でもよく使われていた。

via:15 Most Shocking Forms Of Psychological Torture Used On Humans

 みんなはこの15の精神的拷問の内どれが一番きついと思った?私はある種の恐怖症を持っているので、その恐怖症を利用されるとかなり大打撃となるな。睡眠剥奪とかもやばいかも。

☆ネット拷問はないんかいな!

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人類が近い将来遭遇する可能性がある10の深刻な戦争

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 どうして戦争はなくならないの?その問いに答えるのは至難の業だ。人類の歴史は戦争と共にあるといっても過言ではない。文明がいかに進もうと、科学技術がいかに変化しようと、人類同士の戦いがなくなることはないのかもしれない。問題となるのはそれがいつ起きるかだけである。

 アメリカ系海外サイトにて、今後数年内に起こりうる可能性のある10の戦争がまとめられていた。それは地域的紛争や世界的なもの、大規模なものから小規模なものまで様々だ。共通点はそれが確実に私たちを戦慄の恐怖に陥れるということだ。

10. 中露シベリア戦争1_e32

 現在、中国とロシアはウラル山脈の東でにらみ合いを続けている。両国ともに巨大な軍事力と核兵器を有し、両国ともに拡張政策を採っている。そして、両国ともにシベリアの領有権を主張している。

 人口は少ないが資源が豊富なシベリアは、かねてから中国が狙っていた土地だ。最近、中国はシベリアを買い占めようと画策したことで、ロシアの不興を買った。北京の見解によると、シベリアの少なくとも東部については歴史的な領有権を有しており、大勢の中国系民族がロシアの国境を越えて移住しているという。当然、クレムリンがこれを認めるわけがない。
 
 シベリアの領有を賭けた中露戦争には2つの帰結があるだろう。中国軍がロシアを蹴散らすか、ロシア軍が核戦争を勃発させるかだ。いずれにせよ、悲惨なまでの死者がでることはまちがいない。


9. バルト地域戦争2_e23

 プーチン大統領がクリミア半島を編入したことで、ヨーロッパとロシアとの間には戦争の可能性が芽生えた。元NATO副司令官アレクサンダー・リチャード・シレフによれば、それはほぼ必然なのだという。

 同地域にある緊張の火種として、ロシアがNATO包囲に対して懸念していることをシレフは指摘する。早ければ2017年5月にも、モスクワはクリミアからロシアへ続く回廊地帯であるウクライナに進軍するだろう。その後はバルト諸国だ。エストニア、ラトビア、リトアニアはいずれもNATO加盟国であり、そうなればロシアと西側諸国との戦争に突入するかもしれない。

 なお、シレフによれば、NATO介入に対する牽制としてロシアが核の使用をチラつかせることもあるということだ。

8. 北朝鮮の春3_e25

 今年夏、ロンドンに駐在していた北朝鮮高官が韓国に亡命した。これは金正恩体制のきしみを示唆する最新の事例でしかない。

  金正恩は中国をはじめとする最も強力な同盟国を遠ざけている。エリート層に贅沢な生活を約束することもできない。安価になったスマートフォンによって国民が外国の生活を目にする機会もできた。また一方で、同国は1994年の飢饉が可愛く見えてしまうような食糧不足にも備えなければならない。

 その結果、北朝鮮史上かつてなかったような革命が起きる可能性がある。国民が通りを占拠し、軍は派閥に分裂。そして地獄の蓋が開く。共産党による独裁政治が暴力的に崩壊したもっとも最近の事例はルーマニアである。そこでは、10日足らずで1,100人以上が殺された。金正恩はそれ以上の血を目にするだろうか。


7. ヨーロッパ対イスラム国の市街地ゲリラ戦4_e21

 空襲、経済的な混乱、軍の進軍。イスラム国は崩壊の瀬戸際にある。だが、彼らがこのままおとなしく消えるとは思えない。追い詰められたイスラムの聖戦士たちがヨーロッパへの直接攻撃を仕掛ける可能性もある。

 規模は小さくとも、市街地でのゲリラ戦はヨーロッパ大陸を荒廃させることだろう。ヨーロッパの各主要都市が墓場と化す。一般市民を標的とした銃撃や爆撃がひっきりなしに続き、そこかしこの通りで警察とイスラム兵が戦闘を行う。

 彼らの主要な標的はフランスとベルギー、次いでドイツとイギリスだろう。安全な都市などなく、政治家も役には立たない。この混乱はイスラム国最後の兵士がいなくなるまで続く可能性は高い。


6. ベネズエラ内乱5_e19

 カラカスの街中は無法地帯だ。生活必需品を買うことは不可能。インフレ率は500パーセントを超え、1,600パーセントも荒唐無稽な話ではなくなってきた。抗議や暴動が多発し、これに対応すべき警察や政治家の汚職などが蔓延している。

 この無政府状態の帰結は内乱だ。

 マドゥロ政権は辞職を拒んでいるが、満足に物も食べられない怒り心頭のベネズエラ国民が武装蜂起する可能性は高い。警察や軍の大量亡命もあり得る。コロンビア民族解放軍のような隣国の左派組織が介入してくる恐れもある。

 全面戦争に突入するかもしれないとは言え、クーデターはベネズエラにとってもっともありそうなシナリオかもしれない。ラテンアメリカの歴史が何らかの参考になるのだとしたら、そうした流れは大規模な抑圧と流血につながる前触れであると言えよう。


5. 第二次中国文化大革命6_e17

 毛沢東による文化大革命ではおよそ150万人が犠牲となっている。汚職の蔓延、人々の不満、裏切られたという思いが沸騰して大量虐殺の引き金を引いたのだ。2016年現在、こうした状況に再び陥りつつあるようだ。

 中国は農民による謀反の歴史で彩られている。毛沢東自身が800万人を処分して権力の座についた。その数十年ほど前には、義和団の乱で10万人以上が犠牲となった。さらにその数十年前は、太平天国の乱で推定2,000万~3,000万人(7,000万人という説もある)が処分された。

 歴史的な文脈で言えば、新たなる文化大革命が絶対に起きないとは言い切れない。現在ですら中国は毎日500人の抗議者を粛清している。年あたりでは10万もの暴動が起きている。指導部には汚職がはびこり、若者は反乱を口にする。今後、大規模な金融危機が起こり、生活を直撃するようなことがあれば、次の流血の口火となるだろう。


4. 第二次ボスニア紛争7_e16

 1990年代、世界はボスニアの悲劇を目撃した。10万人の市民が民族浄化の名目で命を奪われた。1995年のデイトン合意によって紛争に終止符が打たれ、1国に2つの国が誕生。ボスニャク人とクロアチア人のためのボスニア・ヘルツェゴビナとセルビア人のためのスルプスカ共和国だ。

 しかし、新しく作られた国家も不安定だった。民族が住む区域によって分けられたことで、緊張はますます高まり、悲劇や復讐の火種が燻った。また、現在でも貧困に喘いでいる。失業率は60パーセントを超え、セルビア人とクロアチア人が分離独立を望む一方、ボスニャク人は統一を望んでいる。

 最近、スルプスカ共和国の政府はこの権力闘争の火に油を注いだ。ボスニアからの独立の是非を問う国民投票を実施することにしたのだ。おそらくは支持者が多数を占めるだろう。だが、これが内乱につながらないとも限らない。


3. サウジアラビアの革命8_e15

 サウジアラビアのアラブの春は事実上座礁した。チュニジアとエジプトでは独裁政権が瓦解し、リビアで政権が打倒され、シリアは燃え上がった。しかし、サウジアラビアの王族はどうにか権力を手放さずに済んだ。
 
 が、そうでもないのかもしれない。アメリカのシンクタンクによると、サウジアラビアの現在の情勢はエジプト革命当時のそれとよく似ているのだとか。つまり、爆発寸前ということだ。

 原油価格の暴落によって、王室は破産寸前に追い込まれている。若者の失業に改善の兆しはない。高学歴の20代の人々も大いに怒りを募らせる。サウード家はムバラク政権と同様に私有化を推し進めて不興を買っている。少数派であるシーア派による暴動もある。さらにイスラム国のテロ。イエメンでの戦争もうまくいっていない。

 市民が不満を募らせた結果、革命が起きたとしても不思議はない。そうなれば、エジプト、リビア、シリアが再現されるだろうか。それを知るのは時間のみだ。


2. インド・パキスタンの核戦争9_e14

 2008年冬、世界は終わりかけた。
 
 国家が支援するテロ問題を巡るパキスタンとインドの対立がエスカレートして、核戦争寸前まで突き進んだのだ。結局は世界各国の外交努力によって事態の沈静化が図られた。だが、両国の緊張は相変わらずで、こうした事態にいつまた再び発展するともわからない。

 インド・パキスタンの核戦争はデリー、ムンバイ、カラチ、イスラマバードを火の海にするだろう。数千万人単位の人間が焼かれることになる。これによる核の冬はアジアの作物に波及し、大規模な飢饉が発生。それによる死者の推計は20億人にも上る。

 その引き金になりそうなものとして、カシミール問題、パキスタン政府の破綻、パキスタンが裏で手を引くインドへのテロ攻撃などが考えられる。つまり、潜在的な火種が大量にあるということだ。


1. 南シナ海と第三次世界大戦10_e14

 インド・パキスタンが散らす火花以上に恐ろしいのは、中国とアメリカの対立だ。さらにフィリピン、韓国、日本などの国家が関連するのだからなおさらだ。南シナ海。ここは第三次世界大戦すら引き起こしかねない火種が眠る地域だ。

 ここ数年、中国は同地域に積極的に進出している。これはアメリカの同盟国でもある小国を無視する形で行なわれている。アメリカ政府は警告を発しているが、これ対する中国からの回答は脅しだ。両国ともに引くつもりはない。

 これが戦争にまでエスカレートしたとすれば、全世界が巻き込まれ、無数の命が失われることになる。第二次世界大戦すらしのぐ人類史上最悪の悲劇が訪れるだろう。


via:10 Horrifying Future Wars We Will Live To See

☆Facebookでシリアの人と友達になったけど、戦争は悲惨やぞ!

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君は名探偵コナンになれるか?思考の盲点を突く10の推理問題を解いてみよう!

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 今から上げる10の謎を解くには細心の注意を払って問題を読み、思考の盲点にまで考えを至らせねばならない。だが、答えを導くために必要な情報はすべてそこにある。

 さあ、これらの問題をすべて解くことができるだろうか?
 名探偵コナンになったつもりで、これらの推理問題を解いてみよう。

 回答はすべての設問の後に記述してある。

10. 宝石店の盗難の謎1_e28

 ある宝石店に覆面をかぶり、ショットガンを携えた1人の男が押し入り、ダイヤモンドを盗んだとの通報が警察にあった。

 警察の捜査によって、現場からそう遠くはない場所にあった植物が生えた区画から盗難品が発見。さらにG・ V・ヒギンズとエドウィン・マクベインという2人の容疑者も特定した。だが、取り調べをすることもなく、犯人はヒギンズであることがわかった。いったいなぜだろうか?


9. コナン・アーサーの死2_e20

 10月のある重苦しい晩、コナン・D・アーサーの死体が7階建アパートの付近で発見された。死因が窓からの転落であることは明らかだった。

 1人の刑事が呼ばれ、捜査のためにアパートの中に入った。最初に調べたのは、死体発見現場に面したアパートの2階だ。すると彼は窓を開けて、コインをトスし、床に落とした。そして、コインをそのままにして、3階へと進む。そこでも2階とまったく同じように窓を開けてコイントスをした。

 残りの全階でも同じことを繰り返した。各階を回ると1階へ戻り、男性は自殺でなく殺されたのだと告げた。一体、なぜわかったのだろうか?


8. フィリス・ドロシーの死3_e21

 数時間前に死んだフィリス・ドロシーの家に警察が到着した。彼女は頭部をこめかみの部分から撃ち抜かれていた。その手にはリボルバーが握られていた。また、机の上にはカセットテープ式のレコーダーがある。刑事がこれを再生すると、おそらくフィリスと思われる女性の声でこう話していた。「人生はままならない。もう無理よ」と。そして銃声が鳴り、テープはそこで終わった。

 刑事はにやりと笑った。自殺ではないとわかったからだ。なぜわかったのだろうか?


7. 出張中のセールスマン4_e17

 ジョー・ネスボは出張中のセールスマンで、仕事のためにホテルに滞在していた。その晩、夕食をとりながらの長引く商談を予定してたため、昼過ぎに一旦昼寝をすることにした。

 すると、ドアをノックする音で目が覚めた。見知らぬ男が入ってきた。「ああ、なんと大変失礼を。部屋を間違えてしまいました。どうかお許しください」と詫びながら男性はゆっくりと振り返り部屋を出た。ネスボは起き上がり、ドアに鍵をかけた。昼寝前にドアにカギをかけることを忘れていたようだ。そして、またベッドに横になる。が、突然飛び起きるとロビーに電話し、泥棒がうろついてくると告げた。なぜ、そう思ったのだろうか?


6. ランズデール兄弟5_e16

 トム・ハイスミスは自宅のアパートで刺殺死体となって発見された。容疑者は5人。ジョセフ(Joseph)、レオナルド(Leonard)、マーク(Mark)、ハップ(Hap)、リチャード(Richard)のランズデール兄弟( Lansdale brothers )である。5人とも動機があり、殺害するチャンスがあった。だが、誰がやったのかははっきりしない。困っていた刑事に匿名の投書が送られてきた。これを読んだ刑事はすぐさま真犯人に思い至った。投書にはこう書かれていた。「?ランズデール。彼が犯人だ」

 いったいハイスミスを刺し殺したのは誰だろうか?


5. クリスティン・アガサ殺人事件6_e15

 刑事はかなり不思議な殺人現場に到着した。クリスティン・アガサは死んでいる。殺されたことは明らかだ。凶器は大型のハサミ。だが、切られたのでも、刺されたのでもない。それどころか、部屋には一滴の血はおろか、争った形跡すらない。この大きく、鋭く尖ったハサミで、クリスティン・アガサはどう殺されていたのだろうか?

4. サマンサ・ハメットの死7_e14

 太陽が燦々と照らす、よく晴れた日、サマンサ・ハメットは夫のダシールに殺された。現場は公共の場であり、殺人の目撃者は大勢いた。だが、誰もそれを止めようとはしなかったのだ。それどころか、ダシールの行為を咎める者すらいなかった。法的に彼は殺人犯ではなかったからだ。それゆえに逮捕も、告訴されることもなかった。事実、妻を殺した後、ダシールは普通に帰宅している。なぜ、こんなことが可能なのか?


3. コリン・デクスター裁判8_e14

 コリン・デクスターは生涯3度目の逮捕となり、リンゼイ・ジェフリー判事の前に立っていた。過去2回の裁判で、デクスターがもう二度とこのようなことはしない誓ったため、その言葉を信じたジェフリー判事はかなり寛大な判決を下していた。さすがの判事も3度も法廷に立った彼を目にすると、まるで自分が馬鹿にされたかのように感じられ、デクスターに教訓を与えるべきだと思った。そして、こう告げた。「3日以内に手紙を書きなさい。もし、あなたが正直に書けば、10年の懲役刑を科しましょう。ですが、嘘を書いたなら、その日のうちに絞首刑に処します」

 ジェフリー判事はこの判断に満足だった。それがデクスターへの教訓になると思っていたからだ。自分の命を危険にさらしてまで嘘を吐くなずがない。事件の真相を書くだろうし、しかも重い刑罰を与えることもできる。一挙両得だと思った。

 3日後、すっきりとした顔のデクスターから手紙が提出された。それを読んだジェフリー判事の顔から血の気が引いていく。そして、「デクスター氏を釈放する」と判決を下した。デクスターは手錠を外され、法廷から出て行った。

 一体、手紙には何と書かれていたのだろうか?


2. キャンピングカーの衝突事故9_e13

 高速で起きたひどい事故現場に警察が到着した。キャンピングカーが不意にセンターラインを越えてきたため、トラックと正面衝突したのだ。トラックの運転手とキャンピングカーに乗っていたレオナルド・エルモアとエルロイ・ジェームズは死亡。唯一の生存者はチャンドラ・レイモンドである。

 警察がレイモンドに事情聴取すると、運転していたのはエルモアで、彼とジェームズは後部でビールを飲みながらトランプで遊んでいたと答えた。レイモンドによると、ジェームズがシートから立ち上がってビールを取ろうとしたときに衝突して、後ろに吹っ飛ばされたという。そしてバックドアの取っ手に後頭部を打ち付けた。レイモンドは事故の際にきちんと座っていたので死なずに済んだようだ。検視官もジェームズの死因はドアに後頭部を強打したことであると確認した。

 検視報告書とレイモンドの調書を読んでいた刑事は、彼を殺人の罪で逮捕することにした。なぜか?


1. アンジェラ・レーハン殺人事件10_e11

 パトリック・レーハンとアンジェラ・レーハンは結婚7年目の夫婦である。当時、パトリックは3ヶ月の長期出張に行っていた。ようやく出張先から家に帰る日になって、彼はアンジェラを驚かせようと、こっそり家に忍び込み、寝室にいるアンジェラを見つけた。驚いた顔を写真にとろうとカメラを構える。そして、撮影された写真が上記のものだ。

 アンジェラは彼を見て嬉しそうに抱きついた。そして、夕食を食べに出かけようと誘った。彼女はおめかしをして、気の利いたレストランに出かけ、楽しい夜を過ごして帰宅。そのとき、パトリックは何もかもが完璧に思え、幸せな気分で家に着いた。だが、翌朝、パトリックが目を覚まし、昨晩の妻が微笑む写真を見ると、銃を手にして妻を撃った。

 パトリックは一級殺人罪で起訴。検察官は動機なき、冷酷な犯行として死刑を求刑した。が、彼は第二級殺人罪であり、懲役刑がふさわしいと反論。その証拠として例の写真を提示した。なぜ、パトリックはこれを減軽の証拠として用いたのだろうか?

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さあ、答え合わせだ。

◆解答
10. 植物はサボテン。ヒギンズは切り傷だらけだった。

9. 刑事は全階で窓を開けなければならなかった。男性が飛び降りたのなら、窓の1つは開いていなければならない。ということは、被害者を突き落として、窓を閉じた犯人が別にいることになる。

8. 自殺だったなら、フィリスはどうやってテープを巻き戻したのだろうか?

7. 自分の部屋ならばノックなどしないだろう。

6. マーク。投書を声に出して読むといい。クエスチョンマーク・ランズデールとなる。

5. クリスティン・アガサは生命維持装置につながれていた。そのチューブをハサミで切った。

4. サマンサは死刑囚で、ダシールは死刑執行人だった。

3. 「私は絞首刑にされる」。彼が絞首刑になるとすれば、文面は真実であり、絞首刑は適用されない。しかし、彼を絞首刑にしないのならば、文面は嘘となる。したがって、嘘にも真実にもなりえない。

2. ジェームズは事故で死んでおらず、レイモンドがドアノブに彼の後頭部を打ち付けて殺した。仮にジェームズが衝撃で飛ばされたのだとしたら後方ではなく、前方に飛ばされたはずである。

1. アンジェラは浮気をしており、パトリックの帰宅時に不倫相手を部屋の中に隠していた。扇風機のコードをたどると、ヘッドボードとマットレスの隙間に男の顔、特に目が写っている。via:10 Crime Riddles That Will Boggle Your Mind1

☆考える気にも、ならなんだ!

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鳥が動くアニメーションとか!オーストラリアの次世代紙幣5ドル札が凄かった!

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 2016年9月1日より流通が始まったオーストラリアの5ドル紙幣だが、オーストラリアでは今後7年間で全ての紙幣をハイテク化する「次世代紙幣プログラム」を実施しておりこれはその第一弾である。

 表が女王エリザベスII世の肖像、裏面がキャンベラ国会議事堂という構図は変わらないものの特筆すべき点は偽造を不可能とする最先端の技術が採用されていることだ。

 また、紙幣を傾けると、オーストラリア東部に生息する鳥、キリハシミツスイがフワフワと羽ばたくアニメーションを見ることができる。

Next generation of Australian banknotes: New $5 (60 second video)


 5オーストラリアドルは日本円に換算すると現在391円。一部透過加工が施されており鳥のアニメーションを見ることができるとか、おみやげにもらいたいレベルだ。原価いくらだよこれ。

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 裏面も角度を変えると浮き出るホログラム風
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 更には視覚障がい者の為のエンボス加工された触覚点字機能は、その数でいくらの紙幣かがわかるようになっている。

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 オーストラリア準備銀行は、世界でトップクラスの紙幣の開発に取り組んでいる。9月1日より流通が始まった新紙幣だが、自動販売機や小売店ではまだ対応ができておらず、使用できないというケースが相次いでいるらしい。

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via:imgurheraldsunなど

☆おしゃれやがな!

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あれも嘘、これも嘘とな?うっかり拡散されてしまった15のフェイク画像

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 ネット上では一度出回ってしまった画像や映像は、取り返しがつかないほど拡散され、更には尾びれ背びれ胃袋4つくらい混入され、新たなるストーリーまでついちゃって、1度ならず2度3度と、周期的に取り上げられてしまうのが通例となっている。

 もうネタ元がどこなのかなんてさっぱりわからなくなっちゃって検証するにもできない場合すらある。ここではそんな15枚の画像をそのストーリーと共にみていこう。

15.グリズリーを攻撃するシャチ1_e11

 カナダ・バンクーバー島の住人が作ったエイプリルフール用のジョーク画像である。当初画像には「これはバンクーバー島でのみ見られる光景である。シャチは交尾相手を探す為に川上を目指すのだ」と書かれていた。


14.フライドチキンオレオ2_e9

 多くの人が大好きなフライドチキンとオレオ、それが一緒になったというのが嘘だったと知った時の人々の落胆は凄まじかったそうだ。

 この嘘を信じた人が多かった理由は、元々オレオが数多くの不可思議な味を発売しているからだろう。海外のオレオには様々な珍しい味や色のものが存在する。

 この画像は元々moorestyle10というユーザーによってインスタグラムに投稿された画像であり、残念ながら今の所フライドチキンオレオ発売の予定はない。


13.雷が砂に落ちて作り上げた彫刻3_e9

 この画像が偽物である事は確かなのだが、「実際に雷が砂の上に落ちたらどうなるか」を説明しよう。雷が砂に落ちると、フルグライト(和名:閃電岩)と言われる物質が生成され、それはこの画像と非常に似ているのだ。

 しかし、ここで注意しておきたいのはフルグライトという物質は砂の中に生成されるのであって、砂の上に生成されることはない。

 ちなみにこの画像はFlickrにてSandcastle mattという人物が投稿したものであり、流木に砂がかけられて出来た物体である事が確認されている。


12.グリッチ家具4_e6

 「グッドバイブレーション」家具として出回った画像だ。グッドバイブレーションという家具はフェルッチオ・ラヴィアーニという人物により作られ、特殊な技法が用いられる事で有名だ。

 この画像が多くの人々によって信じられてしまった理由としては、彼が実際にこういった奇妙な家具を作る事で有名だからである。


11.黒いライオン5_e5

 アルビノや白変種もいる、黒変種もいるのだから、黒いライオンが発生する確率は稀ではある。だから信じてしまうものが多かったそうだがこれはフェイクである。

 この画像は単純にフォトショップでライオンの皮膚や毛並みを黒色に変えただけであり、元々はアルビノ(白色)のライオンの画像だったという。devianart.comでPAulie-SVKというユーザーが作り上げたものだ。


10.ムーン・メロン(青いスイカ)6_e5

 四角いスイカやハート形のスイカなど、様々な手の込んだ果物を作り上げてしまう日本人なら作ってもおかしくないだろうということで、日本発のスイカとして世界中に出回った画像である。当然のことながらコラである。

 
9.サラ・ペイリン(元アラスカ州知事)のビキニ姿7_e5

 元アラスカ州知事サラ・ペイリンはいじりのターゲットとして様々なコラ画像が出回った。この画像もその一つで、ビキニ姿になっているがコラである。

 元々の画像は全く別の人物であり、サラ・ペイリンの頭部を元々の画像に貼り付けただけだ。この画像はジョン・マケインが米国副大統領候補として名をあげた次の日に投稿されたものだが、誰がこの画像を作り上げたのかは未だに判明していない。


8.タクツァンの修道院8_e5

 左の画像は「ナイン・カン・タクツァン修道院」として出回ったものだが、そんな修道院は実在しない。フォトショップで加工されたものである。

 Graffiti Labというプロジェクトの一環であり、Reality Cuesという団体によって作られたものである。元の写真は中国湖南省武陵源という場所を映したものである。


7.スーパームーン9_e4

 この美しい画像も残念ながら偽物である。記録されている最大のスーパームーンでもここまで大きくなった事は一度も無いのだ。この画像は国立公園保全協会の公式ツイッターでリツイートされてしまう程精巧に作られた偽物なのだ。

 元となった写真はセコイア国立公園の絶景を写したもので、そこに月の画像が合成された。


6.宇宙での皆既日食10_e3

 未だに多くの人々によって広められてしまっている画像だ。国際宇宙ステーションから映された皆既日食だとして拡散していったが、その後ツイッターでイラストであることが判明した。最初にこの画像をツイッターに投稿したのはA4size-skaというユーザーである。コメントによると、これはもともとは、創作の作品としてpixivに投稿された事がきっかけで、その後に他人がtwitterへ勝手に月蝕と偽って投稿し拡散したイラストだったそうで、作者も被害をこうむった例だといえるだろう。


5.飛行機から自撮り11_e0

 まずこれに騙される人がいることが不思議だと言えるだろう。これほど高い場所なら気圧の差で呼吸が出来ないはずなのに、何故彼は自撮りが出来るのだろうか?

 元々何もない空を映した画像であり、その後に飛行機と人間が追加されただけのシンプルなコラ画像なのだ。


4.富士山上空のレンズ雲12_e0

 これも見たことがある人は多いだろう。レンズ雲自体は存在し、北カリフォルニアのシャスタ山ではよく見られる光景である。この富士山の画像も、一番下のレンズ雲は本物である。しかしその上にある雲は全て偽物であり、フォトショップで後々付け加えられたものである。


3.スペースシャトルが雲を突き抜ける13_e0

 最初に問うべき問題は「誰がこの写真を撮ったのか」という事である。仮に誰かがスペースシャトルと同じ高度で飛んでいたとしても、何故スペースシャトルの間近で撮影を行うような危険な事をするのだろうか?

 そして二つ目に、仮にこれが本物であるとすれば、シャトルから噴射される燃料の光と共に、シャトルを中心として円を描くように雲が開けて無ければいけないのである。察しの通り、この画像は何もない雲の中に、発射前のスペースシャトルを置いただけの加工画像である。


2.キッシング・アイランド(口づけする島)14_e0

 これはアイスランドの「キッシング・アイランド」という島を撮影したものだという。しかしアイスランドに暮らしている人は分かるかも知れないが、そんな島は実在しない。この画像の半分と似た島は存在するが、その島の形状をフォトショップで変えてしまっているのである。


1.アラスカのアマガエル15_e0

 アラスカンアマガエルと名付けられたこの画像は海外掲示板、redditのユーザーによって投稿された物だ。彼が説明するには、このアマガエルはアラスカでしか見られず、冬になると心臓を止め、夏に解凍されるまで冬眠するというのである。

 むろんそんな生物は存在せず、この画像もまた作られたものなのだが、この嘘を信じる人は思いの他多かったようだ。

via:15 Shocking Viral Photos That Turned Out To Be Fake

☆全部嘘かいや!

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脳を損傷してから才能が開花した10人の天才

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 頭を打ってから頭が良くなったとか、逆にサイコパスっぽくなったとか、とにかく脳に打撃を与えることで何かが変わることはあるようだ。いったいこれはどういう作用がもたらされているのだろうか?頭を傷つけた代償として神が才能をもたらしたのだろうか?

 ここでは脳を損傷したことで才能が開花した10人のアーティストや学者たちを見ていくことにしよう。

10. デレク・アマート(音楽の才能)1_e22

 2006年、悪夢が現実となった。プールに飛び込んだデレク・アマートは底に頭を痛打。失神し、病院に搬送される。聴覚が失われ、慢性的な頭痛にも悩まされるようになった。また、記憶障害も残る。それでも、彼はこの事故が生涯最高の出来事だったと考えている。素晴らしい音楽の才能を授かったからだ。

 事故以来、デレクは目を閉じると白と黒の「音符の流れ」が見えるようになったという。それまで音楽を学んだことはなかったが、突然ピアノで複雑なメロディを奏でられるようになった。なぜそうなったのかはまったくわからないが、毎日この才能に感謝していると彼は語る。


9. ジェイソン・パジェット(数学の才能)2_e20

 2002年のある晩、家具のセールスマンだったジェイソン・パジェットは強盗に襲われ、繰り返し頭を殴られた。激しい光のようなものが見え、次の瞬間、コンクリートの上に倒れていたという。

 この事件でひどい脳震盪が残り、視界も歪んでしまった。普通に見えるのであるが、物が線と形状に分解されたかのように見えるのだ。高校を中退した彼であったから、それが数学方程式の幾何学的表現であることに気づくまでには時間がかかった。

 こうして彼は怪我から数学の才能を授かった。実験で、パジェットに等式を見せつつ脳波を検査すると、視覚の処理中枢が発火していることが確認された。その後、彼は大学に入り、自身の状態や不可思議な視覚の謎について研究を進めることにした。


8. ジョン・サーキン(絵と彫刻の才能)3_e18

 生まれて30年、ジョン・サーキンはごく普通の男性だった。妻と子がおり、職業はカイロプラクター。ゴルフが趣味で、株式にも興味があった。が、ある日死にかけた。

 1988年、ゴルフのプレイ中に脳出血に見舞われる。病院に搬送され、外科手術で脳の一部が切除された。目が覚めると、カイロプラクターは消え、芸術家がいた。

 シュルレアリスム的な夢を見るようになり、創作への衝動が生まれる。絵に専念するため仕事を辞め、絵画と彫刻に没頭。間もなくマスコミにも注目されるようになった。事故から30年が経った今でもサーキンは絵を描いている。その作品は世界中のギャラリーに展示される。


7. リー・エルセグ(数学と芸術の才能)4_e19

 2009年、リー・エルセグはコロラドの牧場で谷底に転落。頭部と脊椎を損傷し、一生車椅子生活を余儀なくされると思われた。だが予想に反して脊椎は完治。一方で頭は少々違うものになった。

 事故によって記憶喪失になってしまったのだ。自分の子供時代も母親のことも、それまでの人生についても一切覚えていなかった。しかし、その空白を埋めるかのように新しい才能が芽生えた。数学への関心が高まり、それを表現するために芸術を選んだのだ。作品を制作するとき、彼女はこう話す。数学の方程式に基づくイメージを創作しているのだ、と。


6. Z氏(分解してそれを元通りにする能力)5_e16

 こうした脳の損傷から才能を授かる現象が必ずしも幸せにつながるわけではない。80年代、ある心理学者がZ氏という患者について記している。

 Z氏は9歳のときに額を銃で撃たれた。銃弾は頭部を貫通し、部分的な麻痺に加えて、会話もできなくなった。論理的な思考すらままならなくなったが、代わりにあらゆるものを分解し、それを元に戻すという能力を授かった。さらに1度しか訪れていない通りの名前など、物事を絶対に忘れないようにもなった。だが、こうした並外れた才能にもかかわらず、障害のために一生苦労し続けたという。

5. フランコ・マグナーニ(過去の記憶を正確に描写する能力)6_e14

 1960年代、サンフランシスコ在住のフランコ・マグナーニは熱で倒れ、せん妄状態に陥った。そして、その間に夢を見た。イタリアに住んでいた子供のころの夢だ。目が覚めるとその夢を描き始めた。子供のころのありとあらゆる場面をだ。

 その絵は、10年以上前に見た景色をまるで写真のような完璧さで描き出していた。高熱で脳に損傷を受けたことで、子供時代の場面を詳細に思い出す能力が備わったのだ。彼が病気に倒れてから20年以上経って、ある写真家がマグナー二の故郷を訪れた。そこには絵画とまったく同じ景色が広まっていたという。


4. アンソニー・チコリア(作曲の才能)7_e12

 1994年、アンソニー・チコリア博士が公衆電話で電話をかけようと近寄ると、どこからともなく眩しい光を感じた。それは受話器に命中し、跳ね返った受話器が顔を直撃。その衝撃で後ろに倒れた。彼の言を借りると、体から追い出されたらしい。気がつくと自分を助けようと駆けつけた人々を上から見下ろしていたという。それから、激しく体の中に叩き戻された。

 彼は落雷に遭ったのだった。

 それから数ヶ月、日常生活を取り戻そうとするが、どこかおかしい。仕事に集中できず、記憶も途切れ途切れだ。だが、それもやがて元に戻り、日常を取り戻したかに見えた。だが、2度目の衝撃を受ける。それは抑えられない作曲の衝動だ。

 彼は夢の中で音楽を聴いたが、それを表現する方法がなかった。そこでピアノを借りて練習を始め、ますます音楽にのめり込んでいった。まるで掻いても治まらない痒みのように、暇さえあれば音楽の中で過ごした。妻が彼の許を去っても、それは止まなかった。

 神経科学者のオリバー・サックスによれば、この激変は落雷による側頭葉の発作が原因だと思われるという。とはいえ、それだけでこの現象のすべてが説明されるわけではない。


3. ヘザー・トンプソン(絵の才能)8_e11

 2011年3月、ヘザー・トンプソンは荷物を車に積んでいる際にリアハッチに頭部を強打。そのまま倒れた。医師の診断は軽度外傷性脳損傷。特に深刻な怪我とは思われなかったが、トンプソンの生活は一変した。光がやたらと眩しく、色彩も極端なまでに鮮やかに感じられるようになったのだ。きつい刺激から逃れるために、暗い寝室に閉じこもり、家族も仕事も失った。

 そんなとき、心配した隣人が絵筆を差し入れて、絵を描けばリラックスできると勧めてきた。最初は馬鹿にしていたトンプソンだが、試しにやってみると止められなくなった。アンソニー・チコリアやジョン・サーキンの例のように、彼女もまたまるで異なる人格を叩き込まれた。離婚し、街も離れた彼女であったが、画家として再出発した今の人生は以前よりずっと幸せだという。


2. オーランド・セレル(記憶力)9_e11

 オーランド・セレルが有名になったのはその後天的なサヴァン症候群のためだ。1979年、まだ少年だった彼が野球で遊んでいたとき、頭部をボールが直撃。倒れこむが、そのまま起き上がって、再びプレイを開始した。そのときは知る由もないが、彼の人生はこの瞬間に一変した。

 頭痛が起きて、数日間ズキンズキンと頭が脈打った。やがて頭痛が治ると、セレルはあらゆる物事を記憶できることに気がついた。着ていた服や天気、あるいは朝食など、日常のあらゆるものを忘れなかった。

 過去の直観像記憶に加え、セレルは未来を知る力まで授かる。まるでカレンダーアプリのように、それが数百年後の未来であっても特定の日付の曜日を瞬時に答えられるようになった。今、37歳となった彼は、脳損傷が人間の知能に果たす役割を理解しようと努める研究者に協力している。


1. ジム・キャロロ(数学力と記憶力)10_e8

 ジム・キャロロは14歳のとき、交通事故で人生が破壊された。この事故で母親は死亡。ジムも昏睡状態に陥った。脳の損傷もひどく、医師からはもって数週間だろうと思われていた。

 しかし、彼は生き残った。6週間後、昏睡から目覚めると、長いリハビリ生活が始まった。まもなく学校にも復学。そして、自分がもはや普通のティーンエイジャーではないことを悟る。

 事故以前のジムは数学にはまったく関心がなかった。だが、今や数学の問題は呼吸のように易々と解けてしまう。勉強することなしに幾何学の試験をパス。微積分に移るがこれも余裕。記憶力も飛び抜けており、1日で円周率を200桁まで暗記。毎日、数字がジムの頭の中を駆け巡った。

 39歳になった彼の頭の中にはまだ数字がいる。事故後、普通の日常を取り戻した彼は言う。数字はまるで旧友のように穏やかになった、と。

via:10 People Who Gained Genius from Brain Damage

☆羨ましい!

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現在も進行中。歴史上、最も長い時間がかかっている11の科学実験

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 1596年、フランドル人の地理学者アブラハム・オルテリウスはある日地図を見て、ふとある事に気付いた。「全ての大陸の海岸は繋げれば元々一つの大陸だったのではないか?」という事である。オルテリウスのこの仮説が証明されたのは、彼がこの仮説を立てた300年後の事である。

 1人の人が一生涯をかけても終わらない実験は数多い。ここではそのうちの12の長期間に及ぶ科学実験を見ていくことにしよう。

1. ピッチドロップ実験 86年(現在も進行中)
オーストラリア、セイントルーシア1_e0
1927年、クイーンズランド大学のトーマス・パーネル教授はピッチという固体が実際には「室温では極めて粘性が高い液体である事」を証明しようとした。

トーマス・パーネル教授は漏斗にピッチを入れて熱し、液体状になったところで蓋をした。そこから約3年の月日をかけて室温へと戻ったピッチが漏斗から出てくるように、漏斗の底を切り落としたのである。

 1930年から始まった実験だが、トーマス・パーネル教授が存命中に落ちたピッチは2滴だけである。ピッチの落下速度は1滴に対しておよそ8.5年である事が現在確認されており、パーネル教授が1948年に亡くなって以来、この栄光ある実験はまだ続けられているのだ。2009年までに落ちたピッチの数は8滴で、80年たった今、9滴目が徐々に出来上がっているのだ。

 あまりにも突然起こる現象のため、ピッチが落ちる瞬間を見た人物は未だかつて居ないのである。2000年にウェブカメラが設置された事もあったが、技術的トラブルに見舞われ、8滴目を逃してしまった。

2. べヴァリー時計 152年(現在も進行中)
ニュージーランド、ダンデイン2_e10
 アーサー・べヴァリー氏によって考案されたこの時計は永久機関とも呼ばれていた。密閉されたガラス空間の中は外部の大気圧によって影響され、その変化によって時計が動かされているのだ。この極めて精巧に作られた時計は1864年に制作されて以来、一度も止まっておらず、時を刻み続けているのだ。

 内部の機械である錘を1ポンド上げ、時計が1日分動くには摂氏プラスマイナス6度の気温変化が外部で起きなくてはいけない。この時計の量産型として有名なのが「アトモス時計」である。


3. オックスフォード・エレクトリックベル 170年(現在も進行中)
イングランド・オックスフォード4
 170年前から常に一定間隔で鐘を鳴らし続けているのがオックスフォード・エレクトリックベル(別名グラレンドン・ドライ・パイルとも)である。

 2本の乾電池(何で出来ているかは不明)の下に繋がれた2個の鐘から成るこの機械は、1840年に発明されて以来、常に等間隔に両方の鐘を鳴らし続けているのだ。乾電池の残り残量が無くなれば機械は停止するはずだが、それが何時止まるのかは誰にもわからないのである。

 常に音を鳴らし続けるこの機械は、まるで誰かがスヌーズモードを解除させないようにしているかのように厚い二重構造のガラスで守られている。


4. ビール教授の発芽実験(現在も進行中)
ミシガン州、イーストランシング4_e11
 1879年、ウィリアム・ジェームズ・ビール教授はミシガン大学のキャンパス内にこっそりとある物を埋めた。それは50種の植物の種を湿った土に混ぜた物を含んだガラス瓶である。教授は当時20個のガラス瓶を口の開いた状態で逆さまに埋め、数年後に再度掘り起こしすことで「どういった種類の植物の種が発芽能力を何年維持し続ける事が出来るのか」という事を実験したのだ。

 ビール教授がガラス瓶を最後に埋めたのが137年前である。彼はこの実験がこれほどまで長く続く物だとは到底思っていなかった事だろう。本来は5年ごとに掘り返される筈だったガラス瓶も、ビール教授の後継チームが冬季に「土が硬すぎる」という理由で掘り返すのを断念して以来、20年ごとに掘り起こすように実験内容が変更されたのである。

 これによりビール教授が最後に埋めた20本目のガラス瓶が掘り起こす作業は今から80年以上あとの西暦2100年の事になるのだ。


5. ヘンリエッタ・ラックス女史の細胞実験 66年(現在も進行中)
世界各国5_e11
 ヘンリエッタ・ラックス自身は1950年に子宮頸がんで亡くなり埋葬されているが、彼女の分身は今世界中に存在している。

 彼女の死の間際、彼女の細胞は彼女の知らない所で採取され、科学者たちの間で「ラックス腫瘍」として実験に使用されていたのである。

 彼女の細胞は「ヒーラ細胞(HeLa細胞)」という不死の細胞群としての可能性を秘めている事をとある医者が発見して以来、彼女の細胞は株を分けられては育てられ、無限に増殖を続けているのだ。彼女のこの細胞は極めて稀であり、現在に至るまで何の問題なく「人間の細胞の模型」として使用されている。

 当初はポリオワクチンの実験に使用されていたこの細胞は現在癌、AIDs、放射能や化学物質の細胞への変化、ゲノムマッピング等、多岐にわたる分野で使用されている。現在ヒーラ細胞の使用をめぐり、1万1000種類の特許が存在しており、科学者が過去50年に作ったヒーラ細胞の総量はおよそ20トンにも及ぶ。

 しかし、ヒーラ細胞の増殖率力を問題視する事件も幾つか存在する。

 ヒーラ細胞はその増殖力ゆえに、何度かラボのヒーラ細胞汚染が発生しているのだ。ヒーラシア細胞は取扱いに気をつけねば、少しでも意図しない場所に紛れ込んでしまった場合、全ての実験が有効性を失う可能性を秘めているのだ。


6. レンスキーの「長期的進化論実験」 28年(現在も進行中)
ミシガン州6_e9
 進化の速度は一定ではなく、環境によって変わってくる。その変化を人間の一生で見る事は非常に難しいのかもしれない。しかし、科学者たちはそれを可能にしようと「長期的進化論実験」という実験を考案した。

 1988年、リチャード・レンスキーによって考案されたこの実験は、彼が大腸菌であるE.coliを20年かけて別々に培養した事から始まる。彼の実験チームは新しいE.Coliが増殖するたびに、その内の1%を新しいフラスコに移し、それを幾度となく繰り返したのである。これにより彼は12種類の別々の世代の大腸菌の培養に成功したのである。そして驚くべき事にその内の1種は他の大腸菌には見られないクエン酸への耐性を獲得していたのである。

 未だに続けられているこの実験は過去に数百から数千万の進化による多様性を見せて来たが、大腸菌が継続して獲得し続けるに値する進化は10個から20個しか無く、他の進化は後の世代で消えてしまっていた。

 2011年2月、実験はおよそ5万種の世代を作り上げた。ちなみに私達ホモサピエンスがこれまで獲得した進化の世代は7500種のみである。


7. 火星環境研究「バイオスフィア・ツー」
アリゾナ州、オラクル7_e6
 過去2年に渡り、科学者たちは火星環境の研究の為、バイオスフィア・ツーという施設に精神を注いでいた。ついに完成したこの施設の内部は火星の環境に類似していた。このバイオスフィアは世界中で行われているバイオスフィア実験の中で最も長い実験内容を持つバイオスフィアなのだ。

 だがこの実験は最終的には失敗したそうだ。

 それは人為的・心理的な要因からだ。この環境下で生活し始めたバイオスフィアン(バイオスフィア内で暮らす人々)は時間と共に憂鬱になり、お互いを嫌悪し始めたそうだ。この実験結果は別段珍しい物ではなく、閉ざされた環境に人間が置かれると、こういう問題に直面するのはよくある事なのだという。

 近年行われた8ヶ月に及ぶスペースステーション疑似体験実験でも同じような事が起きている。実験が始まってからおよそ6ヶ月経つと、実験に参加していた二人の宇宙飛行士は拳での殴り合いをしてしまった。話によると、カナダ人の女性はロシア人の男性宇宙飛行士にキスされそうになり、セクハラによる喧嘩が起きたのだという。

 その後バイオスフィアの一件もあり、こういった閉ざされた空間での心理現象に対する学問を「環境心理学」と呼ぶようになったのだ。

8. 人間スピーチオム・プロジェクトとボーイフッド (まるまる3年)8
 マサチューセッツ工科大学のデブ・ロイ教授によって始められた「人間スピーチオム・プロジェクト」という実験は、子供が3歳までにどうやって言語を獲得するのかを調査する研究である。彼は自身の息子を実験の被験者とし、家にマイクとカメラを設置し、息子の行動を1分1秒も逃さぬように記録し、子供が言語を獲得する段階を記録したのだ。

 この環境下での実験はおよそ1024テラバイトの実験データを必要とし、教授が獲得した実験データは今も彼の地下倉庫に眠っている。


9. ラボラトリー・オブ・アダルト・デベロップメント 144年
マサチューセッツ州 ボストン9_e5
 「縦断的研究」とは個人や集団を一定期間追跡し、その発達や変化を調査する為の研究の総称である。時には数十年という長いスパンでの追跡を必要とする研究法だが、中でも人目を引くのはハーバード大学の「ラボラトリー・オブ・アダルト・デベロップメント」によって行われる実験で、ハーバード大学を1939年から1944年までに卒業した生徒と同じ時期にボストンに居た人々たちを対比した研究である。

 2年毎に被験者には社会的地位、肉体的健康などの数多くの分野のチェック項目があるアンケート用紙が渡され、ストレス・幸福度・病気の遺伝等の記録が行われた。72回目の実験結果が収集された時、科学者たちはこの研究で「本当の幸福とは何か」を確かめようとしたのである。


10. オルガン2/ASLSP (2001年~2640年終了予定)
ドイツ、ハルバーシュタット10_e3
 聖ブキャルディ教会で演奏されているASLSPという楽曲は世界で最も長い演奏曲である。2001年に始まった演奏は2640年に終了する予定であり、人間が如何に長い間一つの音楽作品を演奏し続けられるかという実験と言えるかもしれない。


11. 動物の家畜化実験12_e1
 動物を家畜とするのは人類始まって以来、最も長く続けられてきた実験と言えるだろう。

 記録に残っている家畜化実験の中で最も記録が残っているのは銀狐に関する実験群だ。1959年にソビエト連邦の科学者であるドミトリ・ベルイェブは「狼が犬になった」現象を理解しようとしていたのだ。その後彼は51年間にわたり、捕えた銀狐を育て、ペットとしての銀狐を作り上げたのである。

via:Atlas Obscura's Guide to the Longest Running Scientific Experiments

☆くだらん研究もあるような気がするが・・・!

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海に住む魅力的な生き物をガラスで再現したクリーチャージュエリーがナウオンセール

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 海に住む様々な造形をした生き物たち。その神秘的フォルムは心踊らされること請け合いだ。そんな海洋生物たちをガラス細工で表現したアクセサリーの数々が、カナダ、バンクーバーを拠点として活動しているアーティストのindolentjellyfishによって生み出され、Etsyにて絶賛販売中だ。

 アオウミウシのペンダントヘッドとか、どう考えても欲しすぎだろう。

 精巧に作られたガラス細工の海洋生物。手作りなので同じ形はこの世に存在しないというのも付加価値の一つだろう。クラゲ、イカ、カイなど、そのフォルムはリアルながらかわいいテイストに仕上げられている。

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 お値段は2000円~3000円弱。
 一つは欲しい海産物ガラスジュエリーなのだ。

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