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動物たちの妊娠中のお腹の中ってどうなってるの?15のレントゲン写真

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 さて前回、アラスカンマラミュートの妊娠中のお腹のレントゲン写真を見ていただいたが、ネット上では様々な動物たちの妊娠中のお腹のレントゲン写真を見ることができる。妊娠期間も動物によってだいぶ違う。例えば象の妊娠期間は24か月だが、オポッサムは14日。そして人間は280日とみんな違ってみんないいのだ。

1. 亀
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2. オナガザル科フランソワルトン
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3. ヘビ
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4. キーウィ (鳥)
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5. 猫
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6. モルモット
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7. ホエジカ
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8. アライグマ
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9. コウモリ
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10. アカオノスリ (鳥)
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11. チンチラ
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12. 猫
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13. カメ
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14. アゴヒゲトカゲ
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15. コウモリ
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via:X-Rays Of Pregnant Animal Bellies That We Can’t Decide Are Cute Or Creepy

☆へびは卵や思っとった!

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古代・中世の遺物に刻まれる謎めいた10のルーン文字

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 ルーンと聞くとうっかりゲーム内の技やアイテムを思い出してしまいがちだがそうではない。“ルーン”の語源はもともと、スカンジナビア地方の古代語で”秘密”を意味する語である。そこに描かれたルーン文字はとてもミステリアスで人々の興味をかきたてる。

 現在確認されている最初期のルーン銘文は2世紀あるいは3世紀頃のものであると言われている。現在は、ラテン文字に取って代わられて使用されなくなったが、スカンジナビア地方では中世後期まで用いられた。

 一部の地域ではルーンの知識は初期近代まで民間に残存していた不思議な記号から文字として発達した後でさえも、それは神秘的な特性を保ち続けた。警告や呪いなど、様々な方面で書かれており、北欧のアイデンティティのエッセンスと言えるものだ。

 地球上にはまだまだ先人の残したミステリアスに満ち溢れている。ここでは発掘された興味深い10の遺物に描かれたルーン文字について見ていこう。

10. 世界最古のルーン「ヴィーモーセの櫛」
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image credit:Wikimedia
 160年頃に作られたヴィーモーセの櫛には、知られている中では世界最古のルーンが刻まれていると言われている。

 古フサルク(Elder Futhark)で記載されたそれは「Harja」と読める。デンマークのフュン島で発見されたこの櫛は、兵士の持ち物だったと考えられている。スカンジナビアの兵士は2本のベルトを身につけており、外側のものは頑丈で、ナイフ、火を起こす道具、財布などを携帯するために使った。この櫛も外ベルトに携えられていたのかもしれない。

 古フサルクはルーン文字のアルファベットの名前で、最初の6文字の並びにちなむ。2~8世紀頃、ヨーロッパ北西部で用いられていた。この24文字でなるルーン文字は宝飾品、武器、石碑などで発見されている。6世紀頃になると徐々に新フサルク(Younger Futhark)が古フサルクに取って代わられるようになる。古フサルクの読み方は忘れ去られていたが、1865年にソーフス・ブッゲが解読した。


9. レーク石碑
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image credit:Wikimedia
 1940年代、スウェーデン、エステルイェトランドで発見。800文字のルーン文字で覆われており、その意味は長い間謎である。きめ細かい花崗岩で作られた2.5メートルの石碑は、800年頃に建てられたようだ。スウェーデン初の文学だと考えらており、息子を亡くしたVarrinが製作者だとされる。
 
 70年間、このレーク石碑には英雄的な業績に関連した複雑に織り成された物語が記載されていると考えられてきた。しかし最近の分析では、謎かけではないかという説も浮上している。前面のメッセージは碑石の読み方を、裏面のメッセージはこれが掘られた過程やルーン文字について言及している。


8. ヴァドステーナの苞
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image credit:Wikimedia
 1774年、トレジャーハンターによってスウェーデン、ヴァドステーナで出土。500年のもので24文字の古フサルク文字がすべて記載れた最古の品である。冒頭の部分はまだ解読されていないが、呪いや魔法の呪文の類だと考えられている。4本足の動物、人間の頭部、鳥が描かれており、オーディンの図象との関連も指摘される。

 金の円形のペンダントは、初期の古代スカンジナビア文化に特有のもの。お守りとして身につけられたと考える見方が多いが、その機能については諸説ある。報告によると、これは財宝の一部だったが、地元の金細工職人によってほとんど溶かされてしまったという。1938年に博物館から盗難され、以降行方知れずとなっている。


7. ルニクス写本
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image credit:Wikimedia
 ルーンで記載されたデンマークの法律の写本。1300年頃に編纂されたもので、西洋と一帯の土着文化との緊張を反映する。11世紀に持ち込まれたキリスト教とそのラテン語の文書は外来のもので、潜在的に危険な思想であるとみなされていた。ルニクス写本はデンマークの価値観を反映させるために、ルーン文字で記されたようだ。

 現在はスウェーデンの一部である、デンマーク王国東部の“スコーネ地方の法”が記載されている。そこにある2行のバラッドは、記録に残る内ではスカンジナビアにおける最も古い世俗音楽とされる。202ページの写本は、27文字の中世ルーン文字で構成され、各ルーン文字はラテン文字に対応する。


6. オーデンセのルーン木片
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image credit:sciencenordic.com
 古代デンマークの魚市場の発掘調査から、800年前のルーンが彫られた木片が出土した。長さ8センチほどで、かつてはお守りだったようだ。「従者トム」と記載されている。神の僕トムという意味だ。また「健康」という文字も見られる。出土時は三つの木片に分かれていた。

 オーデンセ付近のSildebodoren(ニシン屋台の意)で発見された。スカンジナビアでは、11世紀になるとキリスト教の伝搬に伴いラテン文字がルーン文字に取って代わり始めた。古代ルーンは木材や石材などの硬い素材でも容易に彫ることができるという利点があった。一方、ラテン文字を彫り込むことは難しく、スカンジナビア人には高価で手が出なかった羊皮紙に向いていた。


5. “高き者”のアミュレット
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image credit: Museum Lolland-Falster
 今年、オーディンの図象が描かれた金のアミュレットがロラン島で発見された。オーディンはスカンジナビアの戦の神で、アースガルズの王である。彼の数多くある呼び名の一つ、「高き者」という記載からオーディンと判明した。およそ1,500年前のお守りだと考えらている。

 1902年以降、類似のアミュレットは二つしか発見されていない。スカンジナビア地域のものとしては、人物像がある最初期の品。オーディンは馬の上に浮くように描かれ、この神が馬を癒す存在であることが暗示される。このアミュレット以外にも金や銀の品が出土しており、一緒に奉納されたものと思われる。記録から推測すると、紀元536年は日照量の減少と寒冷な気候のために特に厳しい年だったようだ。出土した品々は、神の怒りをなだめ、飢饉を終わらせるために捧げられたのかもしれない。


4. フォットの失われた傑作
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image credit:Emelie Sunding/Upplandsmuseet
 スウェーデン、ハグビーの教会に避雷針を設置していた作業者が11世紀中頃の石碑を発見。長さ1.8メートル、幅1.3メートルほどで、フォットというルーン石碑彫刻師の作品であると考えられている。署名はないが、ルーンの書体が彼の他の作品のものと一致する。ルーンは通常木に彫られるもので、腕のいい石材職人のみがこうした作品を手がけることができた。

 この石碑は200年近く消失していた。発掘現場に建っていた元々の教会にあった17世紀の叙述では確認できるが、19世紀に倒壊したとき、記録では紛失とされていた。


3. Ybdyストーン
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image credit:Lisbeth Imer/National Museum of Denmark
 最近、250年間行方が分からなかった石碑がデンマーク北部で発見された。古い農場の遺跡と一緒に出土したそれは、刻まれたルーン文字にちなんでYbdyストーンと呼ばれている。発見された石碑は、1767年に消失したとされる石碑の描画と完全に一致していた。ヴァイキング時代のシーやリムフィヨルド西部の重要性の証明である。

 最初に発見されてから、さらにルーン文字の上部を含む部分と「nsi」と記された部分が発見された。石碑は八つの断片になっていると考えらえている。


2. ナラガンセット石碑
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image credit:Kayak77
 議論のある石碑である。1983年、重量6トン、大きさ2メートルの岩が考古学者の目に留まった。2行のルーン文字らしきものが刻まれており、初期ヴァイキングが米ロードアイランドの海岸まで到達していた証拠とされた。ナラガンセット湾には、こうしたものが彫られた岩がいくつか存在するという。

 2012年、この石碑は忽然と姿を消してしまう。1年に渡る捜索の末、再び発見されるが、この岩石が動いた原因については分かっていない。いずれにせよ、この一件を受けて、厳重に保管されることになった。

 プロビデンス在住のエヴァレット・ブラウンという65歳の男性が、50年前にルーン状の記号を彫ったと告白したことで、話がさらにややこしくなった。地元の人の話によると、この岩は1950年代後半から存在するのだという。ヴァイキング起源説は怪しいところだ。


1. ビヨルケトルプの呪いの石碑
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image credit:Joachim Bowin
 スウェーデン、ブレーキンゲにある4.2メートルという世界で最も高い石碑には、呪いが込めらている。6~7世紀頃のもので、古フサルクで「我は破滅を予測する」と書かれている。これは二つある記述の短い方で、長い方はこれが力のルーンで、石碑を破壊した者に死と破壊がもたらされると預言している。

 ビヨルケトルプの石碑彫刻師は、ステントフテン、グンマルプ、イスタビーでも仕事をしている。それらは似たような文面であるのみならず、美術的なスタイルも共通していた。1823年に発見されたステントフテン石碑には同じような宣言がなされている。イスタビーの石碑は、Heruwulfaの息子、Hariwulfarへの追悼的な内容である。

via:10 Mysterious Ancient Runes

☆研究する人の数が、圧倒的に少ないんやろなぁ!

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うつ病の女性がうつ病と向かい合うために描き上げた骸骨とのラブコミック

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 アーティストでありロリータファッションデザインを手掛けているヘヌリ(Haenuli)は、フランス、パリにあるオルセー美術館を訪れた時に、マリアンヌ・ストークスのビクトリア朝絵画を見て深い衝撃を覚えた。

 うつ病を患っているヘヌリはそこからあるメッセージを受け取ったという。彼女はうつ病と向き合うため、そこで得られた経験から骸骨と対峙する少女という構図を築き上げた。自らがうつ病と向かい合うための様々なインスピレーションを得られたという。

1.私のプリンセス、私の女王
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2.ここにいるよ
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3.ずっと一緒だよ
3_e3image credit:instagram
4.あなたは私のきらきら星
4_e3image credit:instagram
5.すごく長く、大変な一日だった
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6.どうしてロミオとジュリエットを殺したの?
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7.戻ってきてくれてありがとう
8_e1image credit:instagram
8.知ってるから。もう十分わかってるから。
9_e1image credit:instagram
9.いてくれるだけでうれしいの
10_e1image credit:instagram
10.ハロウィンの衣装なの。ん~、なんて言っていいのかわからないや
11_e1image credit:instagram
11.寒くないの?生きてないしね。
12_e1image credit:instagram
12.デートの準備ができたよ。
13_e0image credit:instagram
13.友達がくるの。ちょっといい服に着替えてよ
14_e0image credit:instagram
14.カワイイ
15_e0via:Death-Inspired Love Comics That I Create To Cope With My Depression

 自分がうつ病であるということが理解できたら一歩リードだ。やるせなさ、倦怠感は自分の弱さと勘違いしてしまい、病院に行くこともせずただただ自分を責めてしまうそこのあなた。辛いのはあなたのせいじゃない。絶望は世界中いたるところに散りばめられている。

 二次元でもいい。一緒に乗り越えてくれる相手がいれば強くなれる。自分を責めるより、どこかに必ず存在する仲間を探そう。

☆ほんまに鬱か!

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監視社会が加速する。2017年に起こるかもしれない10のこと

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 毎年いろいろあるのだが、2016年もいろいろあった。スキャンダル、政治の転覆、セレブの没落、極端な自然災害などなどだ。もちろん良いこともあったのだが、どうしても人は悪いことだけが心に残ってしまうのだ。


 では2017年はどんな年になるのだろう?陰謀系ネット情報によると、すでに来年の恐怖について語られたノストラダムスの予言の言葉は解読されていてるという。それによるとやはり、2017年はバラ色の年とはならないようだ。

 実際、霊能者やさまざまなデータから、2017年はセレブの死亡や離婚、金融不況、セキュリティー侵害などが多発するがっかりな年になると早い時期から予言されている。

 ここではノストラダムスを含めた様々な予言と絡めつつ、2017年に起こりうることを10ほど見ていこう。もちろん予言なので当たるも八卦、当たらなければラッキーなものもある。

1. ついにプライバシーが完全になくなる
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 アメリカにおける裁判所の判決では、国家安全保障局(NSA)がアメリカ国民の電話のメタデータを大量に集めることは違法とされた。にもかかわらず、わたしたちが使っているソーシャルメディアプラットフォームを監視することで、大衆の動向を探る新たなアプリや機器のことが次々に報道されている。すでにロシアではSNSと連動させることで顔画像から個人を特定するアプリが販売となっている。

 今年始め、ツイッター、フェイスブック、インスタグラムが、ソーシャルメディア監視会社スナップトレンズやジオフィーディアとの関係を断ち切った。監視自体は必ずしも違法というわけではないが、ブラック・ライヴス・マター(黒人の命も大切)運動やキーストーンパイプライン計画の監視ツールとしての有用性を売りにしていたために、問題となったのだ。

 我々は、サイバーセキュリティーの崩壊による新たな恐怖に直面している。水道システムや交通システムなど、公共施設へのハッキングによる障害が、日常生活を崩壊させる可能性があるのだ。

 前例のないロシアによる選挙のハッキングのおかげで、国家安全保障の強化が叫ばれている。携帯会社関係者によると、こうした監視アプリは2017年にはますます増えるだろうという。家庭や職場、ソーシャルメディア、インターネット活動の監視が新しい年にはさらに強化されると言われている。


2. インターネットサイトのサーバーダウンが増える
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 2016年10月、ウェブのドメイン管理システムを運営しているイギリスのインターネット管理企業Dynが、DDoS攻撃(サービス妨害攻撃)されたせいで、ツイッター、アマゾン、ネットフリックス、ペイパル、レディット、スポティファイなどが、つながらなくなる障害が出た。

 ハッカーは偽のリクエスト情報でサーバーをパンクさせてネットフリックスへのあなたの要求を遮断し、本物の配信をブロックした。会社側によると、この攻撃を仕掛けた張本人は不明だが、彼らがこのハッキングゲームにずっとかかわっていたのなら、もっと大きなプラットフォームを遮断して、大規模な混乱を引き起こしかねないという。

3. 地球温暖化を発端とした戦争が勃発するかも?
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 トランプ次期大統領は、地球温暖化を嘘だと思っている。大統領のスタンスは基本的にアメリカの姿勢となる。その結果、ノストラダムスのもっとも恐ろしい予言のひとつに導かれることになるかもしれない。

 ノストラダムスは2017年を"地球温暖化をめぐる巨大な世界規模の衝突が、結果的に戦争、あるいは熱い戦争をもたらすだろう"と予言している。

 ノストラダムスは、人類が地球環境に優しい方向へ舵をとるのではなく、地球の資源を食い尽くし続け、その結果、各国の緊張が高まると見ているのだ。

 もし、ノストラダムスの予言が正しいなら、アメリカの地球温暖化に対する姿勢は、大規模な戦争を引き起こしかねないという。


4. ネット上の検閲が進む
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 嘘のニュースが深刻な問題になってしまうのはよく知られている。人々がこうしたガセを信じる傾向が高じて、なんとも皮肉な事態になっている。

 フェイスブックが外部の事実確認会社を使って、事実とガセを選別するようになったのだ。これで問題が片づくかのように思えるが、事はそれほど簡単ではない。

 というのも、フェイスブックは人々が自由に好きなものを投稿でき、米憲法修正第一条で保障された権利(表現や宗教の自由)を行使できる場所だとずっとみなされているからだ。ますます人々が公開ページにアクセスし、基本的になんでもかんでもシェアする力を得るにつれ、フェイスブックはその最強のプラットフォームとしての立場を維持していくために、倫理的基準を無視しなくてはならないこともあるのだ。


5. イタリアの経済が破たん
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 ギリシャの財政破綻を覚えているだろうか?ノストラダムスの予言によると、イタリアの失業とローンがEUの経済危機の震源地になるという。これは、ギリシャやスペインの経済危機よりも壊滅的になると言われている。

 イタリアの銀行制度は既に危機的状況にあるが、これら銀行の倒産は銀行恐慌の始まりにすぎないという。イタリアの債務と貸付残高が増大しているので、経済が元に戻るためには、EU全体に多大な犠牲を強いることになる。


6. 無料音楽ストリーミング全盛期へ
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 2017年はアマゾン、アップル、グーグル、ユーチューブのようなメジャーな会社が、indie faveやサウンドクラウド、スポティファイなどの広告ベースの無料ストリーミングプラットフォームを獲得することになるだろう。

 業界の反発があるにもかかわらず、こうしたストリーミング収入は2017年には10億ドルに達すると言われている。作曲家のジェイ・Zが、自分の定額制音楽配信サービス、タイダルをプリンスの全ディスコグラフィーやライブストリーミングコンサート、ニッキー・ミナージュやビヨンセのコンテンツなどを喉から手が出るほど欲しがる高額の入札者に売り飛ばすのはありそうな話だ。


7. ランサムウェア(押し売りウイルス)がはびこる
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 2017年は、ハッキングがさらに激しくなり、サイバー犯罪者はランサムウェアを使って、あなたの現金をかすめ取ろうとする。

 その仕組みはこうだ。ハッカーは偽のウェブサイトやアプリを通して個人のデータにアクセスし、もれては困る個人情報を探り出す。

 それを手に入れると、暴露されたくなかったら金(身代金)を払えと被害者に圧力をかける。やましいところがなにもないオープンな人にとっては、それほど脅威ではないかもしれないが、こうしたハッカーが世間知らずの人たちに偽の情報を送り込んで、ビットコインを支払わせるように仕向け、位置情報や個人の写真などを違法にシェアして利益を得る可能性は常にある。怖ろしいことだ。


8. あらゆることがライブでストリーミングされる
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 2016年はペリスコープやフェイスブックのようなライブストリーミングプラットフォームが、自らがパーティの様子や、セレブに遭遇したといったことだけでなく、残酷な場面までシェアする道具として使われるようになった。

 フィランド・キャスティルの銃撃や、もっとも最近の例では、トルコ、アンカラのアートギャラリーで駐トルコのロシア大使が暗殺された場面がリアルタイムで全世界に配信された。

 2016年が、ありとあらゆるプラットフォームでみんながシェアしまくった年なら、来年はまるで映画『トゥルーマンショー』さながらに、猫も杓子も自分の生活の一部始終をリアリティ映像として世界中に配信するような年になるかもしれない。

 インスタグラムはそのための都合のいいツールで、ユーザーが自分のフォロワーにナマの自分を見せられるという新たな特徴を打ち出している。(日本でももうすぐ)

 ライブストリーミングでの過剰な自己主張について、つまるところふたつのことが言える。人は皆、なにかを暴露したがるものなのだ。そして名声(短期間で注目を浴びること)のために、いいね!以上のものを狙えるライブストリーミングを求めているということなのだ。


9. あなたになりすまして買い物をする犯罪が増える
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 ネット上では顧客の買い物履歴の追跡技術がどんどん生み出されているが、これは第三者がわたしたちのカード情報を手に入れられる偽のアプリのコピーを作って、勝手にやたらめったら買い物しまくる詐欺行為を助長することになるという。

 さらに怖いのは、こうした詐欺師がアプリにログインするアクセス権を手に入れて、あなたの認証なしに自由に買い物をしてしまうことだ。

 どうして、こうしたなりすまし詐欺が急に増えたのだろう?

 キャプチャAPTCHA(入力者が人間であることを証明させるために、歪んだ文字の画像を入力させたりして確認する方法)のような、2段階認証を模倣する方法をハッカーは知っていて、簡単に個人のパスワードや、カード、追跡情報にアクセスすることができてしまうからだ。


10. ウィキリークスの暴露ニュースがもっと出てくる
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 近い将来、ハッキングがごく普通のことになるのは明らかで、さらにウィキリークスが暴露するスキャンダルが大々的に取り上げられることが予想されるだろう。

 今年の民主党全国委員会やヒラリー・クリントンについてのウィキリークスの暴露ほどひどいものはほかにあっただろうか。2016年がジュリアン・アサンジの力を誇示した年なら、2017年はさらに、セレブや企業、政治文書の厄介な暴露話が出てくる年になりそうだ。

 表沙汰になったらまずいメールのやりとりや、キャリアを台無しにするスキャンダルのせいで、セレブが転落するのを見るはめになるのだろうか? 民主党全国委員会の機密漏えいのようなダメージの大きいリークがこれからあるのだろうか? 

via:therichest

☆やばいがな!

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顔認証アプリで本人を特定。地下鉄で見かけた人を撮影しSNSから本人を特定するプロジェクト(ロシア)

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 技術革新が目覚ましい顔認証システム。個人を特定するのはもちろん、最近では顔を解析するだけでその人の属性や性質までをも解析してしまう技術も開発中だ。

 これまで公共の施設などで利用されていた顔認証システムは、今や一般人が利用できるレベルにまで汎用されている。

 だれでも利用できる顔認証アプリ「find face」は、撮影した画像をもとに、その人物をSNSで公開されたプロフィール画像から割り出すというものだ。

 このソフトを利用して、実際に地下鉄で撮影した見ず知らずの人を解析して本人を特定するというプロジェクトを開始したカメラマンがいる。

顔認証アプリと顔写真でSNSから本人を特定
 ロシアの写真家エゴール・ツヴェトコフ(21)は、このアプリを利用し、ロシア国内の地下鉄で撮影した人々をSNSから探し出しそれを公開するというプロジェクト"Your Face Is Big Data (あなたの顔はビッグデータ)"を行っている。

 彼は数か月以上にわたり、地下鉄で見ず知らずの人々を撮り続け、顔認証アプリ「find face」にそれらの画像を入力し、ロシアの巨大SNSサイトVkontakteから本人を探し出した。にその結果、約70%もの人のSNSアカウントを特定することができたという。

 興味深いのはSNSで使用しているプロフィール画像と無意識に撮影された画像の差だ。左側がエゴールが撮影した画像、右側がプロフィール画像となっている。

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image credit:Egor Tsvetkov
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image credit:Egor Tsvetkov
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image credit:Egor Tsvetkov
 ソーシャルネットワークにおいて、人は他の人から"こんな風に見られたい"と思う自分を示す傾向がある。だがネットに投稿する姿は、通勤の電車の中などの日常生活で人々に見せるものとは異なることが多い。それは心理学的な見地からも当然のことだ。と彼は説明する。

匿名が通用しない未来
 彼はこの一連の作品を、私たちがこのままネット上で自らをさらけ出し続けた場合の未来を明確に説明するものだ、と警告する。

 彼の公式サイトでは、ネット上のプロフィール写真と彼が同一人物であると推定した人の顔写真を並べた作品を全て見ることができる。

via:sobadsogoodbirdinflight

☆このアプリは必要じゃ!

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ブードゥー教の今。現在訪れることができる9か所のヴードゥーゆかりの地

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 呪いのヴードゥー人形はご存知だろう。祈祷師が人間を呪い殺す類のアレだ。だが、このサブカル的なものの根底にあるヴードゥーは、宗教とも文化とも言える非常に複雑なものだ。

 ヴードゥーには、植民地政策によってもたらされたローマカトリックの要素と伝統的な信仰体系、さらに場合によっては魔術的要素が混ぜ合わさっている。例えば、ヴードゥーに伝わる精霊の総称で、人間界と創造主の仲介者として行動するロアは、カトリックの聖者や思想の痕跡が習合したものだ。

ヴードゥーの重要な文化的伝統が根付いた場所
 アメリカン・ヴードゥーの魔除け、薬草、お守りには、持ち主を守ったり、敵に危害をなしたりするよう精霊の力が込められている。

 それが死に重きを置くのは、発生の起源が植民地政策と奴隷売買の暴虐性であるからだ。アカデミックな議論ではとりわけ、呪われて主人のために永遠に何も考えず働くゾンビと人々が関係づけられて論じられている。

 アメリカ人にはルイジアナ・ヴードゥーが最もよく知られているだろうが、西アフリカ・ヴォドゥンやドミニカ/キューバ・ヴードゥーなど、それが起源とするアフリカン・ディアスポラに応じて様々な派生信仰がある。これらは西アフリカから奴隷とともにカリブ地域、南アメリカ、アメリカ南部へと広まり、それぞれの宗派へと枝分かれした。

 ルイジアナ・ヴードゥーは、迷信染みた見世物的パフォーマンスとなり、物珍しい儀式を目当てとするツーリストから利益を上げている。だが中には本物もある

 つまり、中には術者にとって重要な文化的伝統があるということだ。こうした場所に例外はない。あるものは観光客向けのプラスチック製の頭蓋骨やビーズが並ぶショッピングモールのようなものだが、あるものは紛れもない神聖な土地だ。その両側面を兼ね備える場所もある。


現在訪問できる9か所のヴードゥーゆかりの地
1. ジュビリー・ヴードゥー記念碑(Jubilee Voodoo Monument)
ハイチ、アンス・ア・フォルール
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image credit:Nicholas Jackson
 ヴードゥーが発達した地であるハイチの記念碑からは、まさに文字通りカトリックと土着信仰が合わさったヴードゥーを見てとることができる。

 記念碑の起源については諸説あるが、19世紀初頭に宣教師が神が召抱えるとしてカトリックの十字架を建立したというの大方の見方である。その後、ここに落雷があったことで、住民らの間に彼らの神々が彼らのために丘を取り戻したという噂が広まる。それ以来、ヴードゥーの巡礼地となっている。


2. アコデセワ呪物市場(Akodessewa Fetish Market)
トーゴ、ロメ
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image credit:Dominik Schwarz
 この市場ではヒョウや人間の頭蓋骨から、呪物を使い未来を予知したり、病を癒したりするヴォドゥンの司祭までありとあらゆるものが手に入る。

 ヴードゥーを産んだヴォドゥンは、この地域では最も信仰されている宗教だ。そのことは、この露天市場が首都のど真ん中にあることを考えれば明らかである。風邪防止や不妊治療から黒魔術の呪いを解くものまで、様々な魔除けやお守りを見つけることができる。


3. ソ・ドーの滝(Saut-d’Eau Waterfalls)
ハイチ、オー・ソ・ドー
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image credit:Jstplace/Public Domain
 聖母マリアがヤシの木の近くに現れたと噂が広まり、それ以来聖地となった。1世紀以上の間、ハイチ人は、カルメル山の聖母の祝日になると数キロの道のりを歩いてここを訪れ、聖母マリア(あるいはこれと密接な関係にあるヴードゥーのロア、エルズリー・ダントー(Erzulie Dantor))の祝福を祈願した。

 ヤシの木は、これが住民から信仰され迷信が生ずることを危惧したフランス人の僧侶によって切り倒されてしまった。それでも参拝は止まず、この土地自体が聖なるものとみなされるようになった。病気の者や貧しい者は、3日間に及ぶ宗教的祝祭においてヴードゥーとカトリックが混じった様々な儀式を行いながら、滝の水で体を清める。


4. マリー・ラビューの墓(Marie Laveau’s Tomb)
アメリカ、ルイジアナ州ニューオリンズ
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image credit:Lucid Nightmare
 マリー・ラビューは1801年頃、ニューオリンズのフレンチクォーター地区でクレオール人の母親と白人の父親との私生児として生まれた。職業は髪結いであったが、街一番のヴードゥーの術者として有名だった。

 グリグリというお守りの販売、占いや助言など、ニューオリンズのあらゆる階層の人々が彼女の許を訪れた。有罪判決を受けた囚人を処刑から救うほどの力があったと言われている。1874年にラビューがポンチャートレイン湖の湖畔で行なった儀式には、12,000人以上の人々が集まったという。


5. マリー・ラビューのヴードゥーハウス
(Marie Laveau’s House of Voodoo)
アメリカ、ルイジアナ州ニューオリンズ
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 マリー・ラビューの娘は母親からヴードゥーとヴォドゥンを学んだ。ややこしいことに彼女の名もマリー・ラビューといい、2人の逸話はしばしば混同されている。

 過去の話がどちらによるものなのかはっきりしないが、両者ともに強い力を備え、19世紀ニューオリンズ独自の多人種、多宗教社会の中で多くの信奉者を持っていたことが知られている。

 ここはマリー・ラビュー2世が最後の日々を家族とともに暮らした場所だ。現在は博物館として人気の観光スポットになっている。

 訪問者は祭壇にお供え物を捧げたり、世界中から集められたスピリチュアルアイテムや本を購入することができる。奥の部屋では霊媒、呪い、タロットカード占いなどが行われる。また彼女の幽霊が出没するという噂もある。


6. ソウル・オブ・アフリカ博物館(Soul of Africa Museum)
ドイツ、エッセン
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 ソウル・オブ・アフリカ博物館はアフリカにはない。ドイツ、エッセンの小さなアパートの中にあり、ヘニング・クリストフという写真家、民族誌学者、収集家であった人物の所有物を所蔵している。彼は長年、様々な部族で信仰されるヴードゥーを幅広く研究してきた。

 部屋には様々なグループから集めた小さな置物が所狭しと置かれている。マミワタ(Mami Whata)という水の精霊の祭壇は、女神に供物を捧げるためのものだ。また祖先崇拝の儀式で着用される凝った作りの衣装もある。こうした数々の宗教的工芸品のほか、大西洋で行われた奴隷貿易に関連するコーナーもあり、鉄製の枷といった歴史的遺物が展示されている。


7. ソノラ市場(Mercado de Sonora)
メキシコ、メキシコシティ
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 悩みの種があれば、ソノラ市場を覗くといい。メキシコ最大の秘伝の市場であり、神秘主義に関心のある方なら必見の品が揃っている。魔法の石鹸、聖水スプレー、儀式のパンフレットなど、店主に相談すれば日常の様々なトラブルに効く品々を紹介してもらえるだろう。

 ここで扱われているのはヴードゥーに関連するものばかりではない。カルト教団サンタムエルテやブルヘリアといった土着信仰に関する品もある。こうした信仰はカトリック信仰と並んで行われ、中には習合している部分もある。


8. サイデル社(Saydel, Inc.)
アメリカ、カリフォルニア州ハンティントンパーク
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 世界最大のオカルト、スピリチュアル、ニューエイジ、宗教系サプライヤーを自称するサイデル社は、独自の商品展開を行なっている。驚くほど実用的な店舗に入れば、人間とロアの仲介者であるパパレグバ(Papa Legba)の等身大像によって出迎えられる。

 カリブやメキシコなど様々な背景を持つ顧客がいることから、取り扱う品々もアフリカ、メソアメリカ、あるいはローマカトリックに関連するものと幅広い。店内はこうした珍しい土着信仰色で彩られていながらも、陳列棚は郊外にある薬局の趣があり、ロアの像が並ぶかと思えば、祈り用のロウソクなどが整然と置かれていたりする。


9. ニューオリンズ歴史ヴードゥー博物館
(New Orleans Historic Voodoo Museum)
アメリカ、ルイジアナ州ニューオリンズ
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image credit:
 ヴードゥーが街の歴史に結びついている場所といえば、ニューオリンズだ。1971年にヴードゥーに全情熱を捧げた地元アーティストのチャールズ・マシコット・ガンドルフォが設立。ここを訪れた者は、ニューオリンズ・ヴードゥーを作り上げたアフリカ、クレオール、アメリカ南部の文化の坩堝へと誘われる。

 霊媒というサービスまで行なっている。予言や占いはヴードゥー文化に深く根付いた技能なのだ。

via:9 Sacred and Superstitious Voodoo Sites You Can Visit Today

☆訪問できんところに、行きたいんじゃい!

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足を踏み入れた瞬間にめまい炸裂!悪い夢を見ている気分になる幻覚を誘発する錯視部屋

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 ごらん、壁という壁が歪んでみえるだろう?人間の脳ってそういう風にできちゃってるもんだから自分の目の方を疑ってしまう。

 この幻覚体験が楽しめる部屋はオーストリアのグラフィックアーティスト、ピーター・ケーグラーが描き上げたものなんだ。

 ピーター・ケーグラーは30年以上に渡り、ギャラリーやトランジットセンター、ロビーなどの壁に錯視的ラインを描き、訪れる人々を混沌の世界へと導いている。

 ここに足を踏み入れた人は自らの正常性を常に確認しながら歩いていかなければならない。何がおかしくて何がおかしくないのか?自己のアイデンティティすら崩壊する危険もあったりなかったりだ。

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iSigmund Freud Museum, Schauraum, Wien, 2015. Photo courtesy Atelier Kogler
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Galerie im Taxispalais, Innsbruck, 2014. Photo courtesy Atelier Kogler.
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Galerie im Taxispalais, Innsbruck, 2014. Photo by Atelier Kogler.
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MSU, museum of contemporary art Zagreb, 2014. Photo courtesy Atelier Kogler.
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DIRIMART Gallery, Istanbul, 2011. Photo courtesy Atelier Kogler.
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DIRIMART Gallery, Istanbul, 2011. Photo courtesy Atelier Kogler.
 ピーター・ケーグラーの他の作品は公式サイトで見ることができる

 せっかくなので家にいながらにして錯視の世界に入り込める映像を置いておこう。

Optical Illusions That Make You See Things [2015]


☆俺、こういうの大好き!

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ラーメン大好きアメリカ人が選んだインスタントラーメンベスト10

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 手ごろな価格で簡単に食べられるインスタントラーメン(袋麺)は、日本のみならず世界中の人々に愛されている食べ物だ。お湯や鍋があれば作れる手軽さと、懐にも優しいうえに保存が効くという便利さは、海外の学生にも心強い食べ物になっている。
 
 そんな海外におけるインスタントラーメン業界も地道な進化を遂げており、ここ数年で新たな商品が進出し、しのぎを削っているうようだ。というわけで、インスタントラーメンを心から愛するアメリカ人ハンス・リエンズチが以前決定した2013年度ランキングに引き続き、2016年度トップ10を公開していた。
 
 当然ながら日本発のあの商品もランクインしており、なかなか興味深いものがあるぞ。


 以下の盛り付け写真は具を添えたものになっているが、味のレビューは商品のみを食べた時の感想だ。なお、ランキング入りは個人の評価なのでその辺を踏まえて楽しむ気持ちで読んでみてほしい。


10位 ママ/シュリンプクリーミー トムヤムフレーバー オリエンタルスタイル (タイ)
10_eimage credit:foodiggity
 以前食べたときはイマイチな感想だったが、改めて試食したところタイ風ヌードルの中で最高レベルの商品だと再認識した。

 スープは強烈な辛さと爽やかな柑橘系のフレーバーが際立つ本格的なトムヤムクンそのものだ。麺は細麺でコシには欠けるが、噛むとホロホロと崩れる柔らかさが特徴で、今回のリストの中で唯一の食感。エビの風味がしっかり感じられるオリエンタルな一品だ。


9位 パルド/ ココメン スパイシーチキンフレーバー (韓国)
9_eimage credit:foodiggity
 ココメンは白いスープが特徴のインスタントラーメンで、韓国のテレビ番組で行った料理コンテストでコメディアンが提案したスープが大好評となったことがきっかけで商品化された。青唐辛子を効かせた鶏ガラスープが新たな味の旋風を巻き起こした。


8位 農心/ 辛ラーメン ブラックプレミアムヌードル (アメリカ)
8_eimage credit:foodiggity
 アメリカ人であれば農心のラーメンを一度は食べたことがあるはずだ。これはベーシックな辛ラーメンのブラックバージョンで、乾燥牛肉と椎茸が入っており、非常に優れた一品だ。この商品はアメリカで作られている。


7位 サンヨーフーズ/ 札幌一番ソース焼きそば (アメリカ版)
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 インスタントヌードルのトップ10ランキングでは常連の一品。その理由は優れた麺にある。一度湯切りをした後にふりかけを入れることで食欲をそそる香りが一気に広がる。別添えの青のりのパウダーもうれしいおすすめの一品。この商品はアメリカで作られている。


6位 明星/ 一平ちゃん 夜店の焼きそば (日本)
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 焼きそばは本当に素晴らしいメニューだ。湯切りを兼ねた容器に入っており、高品質な野菜も入っていて、なんとマヨネーズまでついている。純粋に味を楽しむことができる一品。

5位 インドミー/ インドネシア風グリルチキンフレーバー カレーヌードル スペシャル(インドネシア)
5_eimage credit:foodiggity
 スペシャルというだけあって、厚さが薄く幅広な麺で食感を楽しめるようになっている。スープは甘さと辛さが完璧なバランスで仕上げられている。


4位 農心/ ジンジャ ジンジャ フラミン ホット&ナッツヌードルスープ (アメリカ版)
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 これまでかなりの時間をインスタントラーメンに費やしてきたが、これは何度食べても楽しめる。高品質の麺、しっかりした辛味、特徴的な豚骨風味にピーナッツと黒ゴマの組み合わせはアメリカのインスタントラーメンの中でもずば抜けた味わいを持っている。


3位 インドミー/ ミー インスタン ミーゴレン (インドネシア)
3_eimage credit:foodiggity
 東南アジアでポピュラーな甘辛い焼きそば、ミーゴレンのルンダン(牛肉とココナッツミルクの煮込み)風味。スパイスが効いた奥深い豊かな味で、ちょうど良い辛さの一品。麺は高品質で硬さも絶妙で非常にうまい。このミーゴレン系のインスタントラーメンは非常に素晴らしい。


2位 プリマ/ テイストシンガポール カレーラーメン (シンガポール)
2_eimage credit:foodiggity
 カレーは大好物の一つだ。こちらは質の良い麺のほかにココナッツパウダーとカレーペーストがそれぞれ別添えされていて、とてもシンプルかつパーフェクト。格別にうまい一品だ。


1位 プリマ/ テイストシンガポール ラクサ ラーメン (シンガポール)
1_eimage credit:foodiggity
 エビや魚のダシをベースにスパイスを効かせた東南アジアの麺料理ラクサをベースにした商品。ココナッツパウダーと本格的なペーストが別添えされている。こちらも麺は高品質でスープは贅沢な味わい。唐辛子入りの赤みを帯びたスープがたまらない。

☆1位、2位共に、メーカーは日本ポイのだが・・・!

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宝くじがなくなる?もしも人類すべてが正真正銘の天才だったら、起こりうるであろう10のこと

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 もし世界中で生きる人々の誰もがIQ200以上の天才であれば、世の中はどうなるだろうか? IQ200という知能は、アルベルト・アインシュタイン、レオナルト・ダ・ヴィンチ、アイザック・ニュートンといった史上最高の頭脳に匹敵する、あるいはそれを凌駕するほどのものだ。

 海外サイトにてもしも人類がすべて天才だったら、この世はどう変化するのかがまとめられていた。これらの結論は、高い知性に付随する特性についての研究を考察して導き出したものだそうだが、極論も含まれているので、異論反論オブジェクションもあるだろうが、”もしも?”という仮の世界を参考程度に見ていこう。

10. 芸術家が増える
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 全人類が天才になったとしても、誰しもが科学、技術、工学、数学の世界へ飛び込むわけではない。そうした人も増えるだろうが、芸術など他の分野に関心を持つ人も大勢いるだろう。

 事実、あらゆる芸術分野に天才が存在する。ごく一例を挙げれば、1970年代のロックバンド、クイーンのギタリストであるブライアン・メイは星間塵の性質に関する研究で博士号取得を目指していたが、卒業前にクイーンとして音楽の道に進むことになった人物だ。彼は2007年に天文物理学の博士号を取得している。

 アメリカの俳優ノーラン・グールドはMENSAの会員である。さらにレオナルド・ダ・ヴィンチは史上最高の頭脳の一人であるが、彼は芸術家として知られている。ほかにもトマス・ピンチョン、カート・ヴォネガット、ジェイムズ・ジョイスなど、天才とみなされる作家は何人もいる。

 実は高い知性と創造性との相関連を示した研究がいくつもある。これらが正しければ、賢くなるほどに、人はそれだけ創造的になるということだ。すなわち数十億の天才が存在すれば、おそらくは芸術作品が大量に増えるということである。


9. 宝くじがなくなる
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 「宝くじは愚者の税金」という格言がある。その正しさを証明する証拠はないが、宝くじは知性の働きを確かめる良い手段ではある。

 知的な人々は必ずしも理論的でも、合理的でもない。彼らには常に正しいわけではないことを承知しつつも直感に従う傾向があり、非合理的な選択をすることもある。

 一方で、生活の様々な側面をより良く理解していることも多い。例えば、数学と確率を理解していれば、宝くじで当たる確率がどれほど低いものか把握することができる。結果、宝くじに費やす資金を別のことに向けるだろう。

 さらに全員が天才であれば、宝くじの裏をかく詐欺が増加するかもしれない。そうなれば、宝くじを運営する旨味も減ることだろう。

 最後に、宝くじは増税することなく資金を集める手段として政府が利用することもある。だが全員が天才であれば、新しい経済理論や税金が考案されるのではないだろうか。

 例えば、国連で開発発展の資金に充てるために考案された”見えない寄付(invisible donation)”という方法がある。

 これはフランス発の飛行機に乗った際に1ユーロ(約120円)のサービス料を課すものだ。2006年から2014年にかけておよそ2,000億円もの財源が確保された。こうした類の革新的金融・経済手法が考案されれば、政府が宝くじに頼る必要もなくなる。


8. 寿命が伸びる
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 誰しもが天才ならば、長生きする人が増える可能性はかなり高い。その理由の一つは、賢い人は単純に長く生きるからだ。

 最初にそれが明らかになったのは1932年のことだ。スコットランド、アバディーンで11歳の子供ほぼ全員に知能テストを実施。その65年後、76歳になっているはずの彼らを追跡調査したところ、IQ15ポイントの差が生存率を21パーセント上昇させていることが明らかとなった。

 つまりIQ115(平均より15ポイント高い)の人は、平均的なIQの人に比べて76歳まで生きている確率が21パーセント高かったということだ。その後、この研究の結果は20回も再現されている。知能が高いほど長生きする理由は不明であるが、確かにそのような事実はあるのだ。

 さらに天才ばかりならば、博士号を持つ人間も増えるだろう。そうなれば医学の研究も盛んになされ、最終的には医学的な革新へと繋がると考えられる。


7. ドラッグの使用が増える
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 直感的には知性の高い人が薬物に溺れることなどないように思える。向精神薬は人体にきわめて有害であり、決して手を出すべきものではない。だが前述したように、天才は必ずしも論理的でも合理的でもない

 カーディフ大学で40年間行われた研究では、カーディフで1970年4月の同週に生まれた8,000人を調査した。研究では5年毎に様々な項目を調査した。その結果、5歳のときに実施したIQテストで平均を超えるスコアを残した被験者は、30歳の時点で過去1年間にドラッグを使用した確率が2倍も高いことが明らかとなった。マリファナだけでなく、コカインやエクスタシーといったドラッグを使用する者もいた。

 1958年にも国立児童発達研究(National Child Development Study)という別の大規模な調査が行われている。ここでもIQ125を超える被験者は、IQ75未満の被験者よりも向精神薬を使用していることがはるかに多かった。

 その理由の一つは、知能の高い人は好奇心が旺盛であるからと考えられている。彼らは好奇心を満たすためにドラッグに手を出す。そうした人が増えれば、国家は薬物を取り締まる法律を施行するために多大なるコスがかかる。何らかの対策が必要となってくるだろう。


6. 精神疾患が蔓延する
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 高い知能と精神疾患との相関関係は大いに議論されているテーマだ。ニコラ・テスラ、デヴィッド・フォスター・ウォラス、ハワード・ヒューズ、エミリー・ディキンソンなど、精神疾患に悩まされた天才たちは数多くいる。そうした研究はやや曖昧であるが、知性の高い人が精神疾患にかかりやすいことを示す傾向にある。とりわけ不安症にかかる可能性が高いとされる。

 グラスゴー大学で実施した研究は、IQの高さと双極性障害に正の相関関係があることを明らかにした。8歳の時点でIQテストを受けたことのある22歳および23歳の1,881名を対象に躁病的な傾向を調査したところ、躁スコアが上位10パーセントに入る被験者は、下位10パーセントの被験者よりもIQのスコアが10ポイント高いという結果が得られた。つまりIQが高いほどに、双極性障害になる可能性が高いらしいことが示唆されている。

 だが同時に天才が世界に溢れれば、脳や精神疾患の謎の解明も進み、それらはもはや問題にもならないかもしれない。

5. 犯罪が減少する
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 最近の研究で、犯罪を犯す男性はそうでない人よりも知能が低いという証拠が提示されている。知能が低い者は、資源や配偶者を得るために直接的な手段に訴えると考えられている。

 例えば、そうした人間はフルタイムで働くよりも盗みや不正を行い、出会い系で女性との出会いを求めるよりも暴行しようとする。さらに知能の低さゆえに、違法行為の結末をきちんと把握することもない。すなわち、誰もが天才であれば、犯罪や暴行は減り、殺人も少なくなることになる。

 だがはっきりさせたいのは、賢い人間なら犯罪など犯さないということわけではない。彼らが殺人を犯すこともあるし、知能犯罪という言葉もある。

 現在、知能犯罪に関する問題は込み入っている。警察はそれを理解し、捜査するノウハウを身につけねばならないだけでなく、検察も法廷で一般から選ばれた陪審員に状況を説明しなければならない。だが残念なことに、検察は高度な金融取引やネット犯罪を説明できるほどの専門家ではない。

 無論、全員が天才であるということは、警察官や陪審員もまた天才であるということだ。警察と犯罪者が大天才であれば、きっと面白いバトルが展開されることだろう。そう、シャーロック・ホームズとモリアーティ教授、あるいはバットマンとジョーカーのような戦いが現実に繰り広げられるかもれない。


4. 世界の謎の多くが解明される
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 多額の資金やマンパワーを浪費せずに難問を解決する手段として、クラウドソーシングは非常に優れている。現在、考古学、宇宙探査、医薬といった様々な分野でクラウドソーシングによるプロジェクトが遂行されている。中にはこれによってブレークスルーがもたらされた事例もある。

 さあ、我々全員が天才であった場合はどうなるのか想像してみよう。クラウドソーシングの威力は一気に強化され、問題などものの数日、あるいは数時間で解決されてしまうことだろう。


3. 宗教の影響力が低下する
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 もちろん類い稀な知性を持ちながらも宗教を信仰する人は大勢いる。
 
 だがある研究によれば、高い知能を持つ人は宗教組織との関わりが薄くなる傾向にあるという。科学と宗教は根本的なレベルで相反するものなのかもしれない。宗教は経験的な証拠なしに信仰することを宗とする。だが科学は完全に経験的な証拠に立脚している。知能の高い人が宗教よりは科学を信じる傾向にあるという証拠に基づけば、おそらく天才だけが存在する世の中において宗教は力を弱めるだろう。

 一方で、多くの科学者はまったくの無神論者ではないという議論もある。神の不存在を証明する証拠もまたないからだ。

 ゆえに本当に興味深いのは、天才の集団が団結して神の科学的証拠を発見するのか、それともその不存在を証明するのかということだ。


2. 憎しみ合うことが少なくなる
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 いくつかの研究からは、若いときのIQテストの結果が平均よりも低い場合、成人してから人種差別や同性愛差別を行う可能性が高まることが示されている。

 もちろん賢い人が偏見や嫌悪感と無縁だというわけではないことに注意してほしい。

 別の研究では、高い知能の持ち主が同性愛嫌悪や人種差別的思想を育む宗教的原理主義者に対して嫌悪感を持っていることが明らかとなっている。つまり、全体の知能が上がれば、人種差別や同性愛差別の問題は減り、彼らが嫌う人種差別主義者も少なくなるということだ。 


1. 今よりも平和になる
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 人間全員が天才だったとしても、完全なユートピアは訪れないだろう。賢くなれば、人はそれだけ頑固で傲慢になる可能性を秘めており、それが人間同士や国家間の問題を引き起こすだろうからだ。頭がいいからといって、必ずしも親切で社交的な人間ばかりではないのだ。

 天才だけの世の中でも様々な個性の持ち主がひしめいており、馬鹿げたことをする人間もたくさんいるだろう。争いや戦争だって起こり得るが、現在それを引き起こしている原因の多くはなくなるかもしれない。

 争いの大きな原因として宗教が挙げられる。だが天才の世の中では宗教が弱体化することはすでに述べた通りだ。天然資源を巡る争いもある。これも才能あるエンジニアが増え、大問題の解決に取り組むマンパワーが豊富な世界ではさしたる問題ではなくなるかもしれない。

 例えば、ソーラーパネルの効率が向上したり、海水から効果的かつ効率的に燃料を作る方法が発見されたりしたらどうなるだろうか? そうなれば石油を巡って争う理由はなくなる。民族浄化という悲しい現実もあるが、人種差別がなくなるであろうことは説明した。

 人間が完璧ではない以上、世界は完璧にはほど遠いかもしれないが、それでも天才で溢れる惑星は今よりもずっと平和になるということだ。

☆ええ事ばっかりやないか!

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神に近づくには地下深く潜るべし。地下につくられた世界10の宗教的・歴史的建造物

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 信仰を捧げるうえで相応しい場所と言えば、神々しい光をふんだんに取り入れるよう設計された高台の建築を想像する人が多いだろう。だがかつては違う発想をする人たちもいた。

 古代では神に近づくために地中深くへ降りることが一般的だったという。アンダーグラウンドな怪しさ漂う世界10の地下にある教会、寺院、神殿などの建造物とやらを見ていこう。

10. ラリベラの岩窟教会群 ― エチオピア
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image credit:Jialiang Gao
 通常、建物を建てるなら部品を積み上げるのが楽だ。その反対に岩を削って建物を削り出すという方法もある。それがこのラリベラの岩窟教会群である。各教会は岩を掘って作られたモノ構造だ。

 ラリベラには12世紀にラリベラ王が着手した一枚岩の教会が11棟ある。イスラム教が中東を支配したことで、エチオピアのキリスト教徒にとって聖地巡礼は危険なものとなった。そこでラリベラは自身のエルサレムを作ることにしたのだ。教会群の1つにはアダムの墓、イエスの墓、キリスト降誕の小屋まである。伝説によると、教会群の建設は昼は数千の労働者が、夜は天使が行なったという。

 現在も使用されているが、一部は観光用に公開されている。


9. 莫高窟 ― 中国
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image credit: Wikimedia
 敦煌はかつてシルクロードの主要な中継地であった。数世紀をかけて街が発展し、街があるところには寺院が築かれる。莫高窟を掘って寺院を作ったのは中国最初期の仏教徒だ。

 建設は4世紀に始まり、現在492の豊かに装飾された石窟がある。壁は宗教的、世俗的場面の両方が鮮やかに描かれ、その様々な様式はシルクロードを行き交う人々に由来するものだ。ベゼクリク千仏洞の壁全体にはブッダのミニチュア彫刻が並んでいる。仏教芸術のほかにもユダヤ教、キリスト教、マニ教との影響も見られる。

 1900年、900年以上も封印されていた石窟が発見され、大量の写本が出土した。この敦煌文献と呼ばれる写本の中には、これまで発見されたものとしては世界最古の印刷された文献もあった。


8. ハル・サフリエニの地下墳墓 ― マルタ
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image credit:Wikimedia
 地下に墓地を作ることにしたとしよう。それには岩石を掘り進む必要がある。近代的な道具があったとしても容易な作業ではない。ここハル・サフリエニの地下墳墓を作った人たちは紀元前2500年にそれを行なった。道具は石と黒曜石と鹿のツノだ。

 数層に広がる墳墓は地上の寺院をモデルにしたようだ。周囲には見せかけの窓や扉が刻まれている。天井は寺院の木製のそれを模して掘られている。遺体は掘って作ったくぼみに安置されていたようだ。そして骨になるまで待ってから取り出して埋葬された。


7. ミトラの神殿 ― イタリア
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image credit:Michelle Touton
 ローマは多神教だったために、新しい神々や複数の神々を信仰することが許されていた。1世紀、兵士たちの間で東方の神であるミトラ信仰が広まる。その教義や儀式についてはほとんど知られていないが、ミトラの神殿という地下寺院が残されている。

 最も保存状態が良いものの1つは、ローマにあるキルクス・マクシムスという戦車競技場跡の下にある。浮き彫りのフリーズは、ミトラが牡牛を殺す場面を表している。同じような表現はローマ世界の至る所で見つかる。ミトラ信仰では牡牛供犠が行われていた可能性を示唆するものだ。


6. シンカ・ベシェの寺院窟 ― ルーマニア
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image credit: Wikimedia
 シンカ・ベシェの地下施設には寺院窟、修道院、運命の寺院といったいくつかの呼び名がある。建設された時期や建設者、その目的ははっきりとは分かっていない。9つの部屋があり、うち2つは教会として利用されていたが、壁にはダビデの星や太極図といったキリスト教のものではないシンボルがある。

 シンボルを掘るために使われた道具の調査からは、寺院が2世紀に作られたことが判明している。だがその目的についてはいまだ推測の域を出ない。

5. ヴィエリチカ岩塩坑:聖キンガ礼拝堂 ― ポーランド
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image credit: Wikimedia
 13世紀、過酷な環境で働く鉱夫たちは藁にもすがる思いだった。神に救いを求めるようになったのも当然だろう。そしてヴィエリチカ岩塩坑の鉱夫は岩塩から礼拝堂を作り上げた。岩塩は少なくとも柔らかいという利点があったのだ。

 岩塩坑を掘り進めるうちに礼拝堂は破壊されたので、正確にいくつ存在したのかは不明だ。だが聖キンガ礼拝堂という素晴らしいものが残されている。

 伝説によると、政略結婚に気乗りしない聖キンガはハンガリーで婚約指輪を岩塩坑の中に投げ捨てた。しかし結局ポーランドへ王妃として嫁ぐことになる。ある日、予感を感じて井戸を掘るように命じた。すると水ではなく塩が発見され、その中に捨てたはずの指輪が見つかったのだという。その場所こそがヴィエリチカ岩塩坑である。


4. シパキラの塩の大聖堂 ― コロンビア
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image credit: Wikimedia
 シパキラの岩塩坑は紀元前5世紀から掘り続けられてきた。そこにある礼拝堂はヴィエリチカと同じような理由で作られた。だが塩から削り出した大聖堂ははるかにモダンだ。1990年代に改築されたからだ。

 地下150メートルまで潜り大聖堂へ行くと、いまだ塩を掘り続ける鉱夫たちの姿がある。14ある礼拝堂それぞれには、十字架の道行きを表す塩の像がある。彫刻や壁はLEDライトで照らされ、光は塩の中に吸い込まれる。現在も使用されているが、大聖堂は主に観光向けとなっている。


3. ダマヌールの寺院 ― イタリア
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image credit: Wikimedia
 ダマヌールとはアルプスの麓にあるエコビレッジ共同体だ。似たような場所は世界中にあるが、”人類の神殿”はここにしかない。
 
 ダマヌールの設立者リベルト・アイラウドは子どもの頃から幻視をするようになった。寺院である。大人になって、それを現実にする場所を探し始めた。1978年、賛同者と一緒に地下寺院の建設を着工する。しかし工事は正式な認可を得ることもなく極秘裏に行われていたため、90年代にこれを察知した当局によって禁止されたこともあった。現在では鏡の部屋、金属の部屋、球体の部屋といった瞑想に使われるいくつもの部屋が存在する。


2. バトゥ洞窟 ― マレーシア
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image credit: Wikimedia
 バトゥの寺院を訪れる巡礼者は272段の階段を登らねばならない。山頂にある聖堂として使われる洞窟内部は天井まで30メートルもある。

 ヒンドゥー教最大の祭り”タイプーサム”では、クアラルンプールからスカンダを信仰する者が巡礼に集まる。信者はカヴァディという供物を担いで運ぶ。印象的なのは、頰、鼻、耳といった部分に針を通した苦行姿だ。皮膚にフックを引っ掛けている信者もいる。頂上では僧侶が聖灰で巡礼者を祝福し、それから色彩鮮やかな洞窟内へと入って行く。


1. ネアンデルタール人の洞窟 ― フランス
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image credit:Wikimedia
 17万5,000年前、何者かがフランスのとある洞窟に足を踏み入れ、暗闇の中を300メートルも奥へと進んだ。そこで鍾乳石や石筍を壊し、環状に並べた。そのうち400個は同じような長さに砕かれている。何者の仕業であろうと、その正体は人間ではない。

 この構造物が置かれたのは、ヨーロッパに現代人が到達する10万年も前のことなのだ。最も有力な説は、ネアンデルタール人が作ったとするものだ。

 サークルの場所や限られた規模から、生活スペースであったとは考え難い。燃やされた骨の破片といった火が使われていた証拠は、人工的に着火させたものであることを示している。

via:10 Amazing Underground Temples

☆わしゃ神道じゃ!

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70年以上を経た今でも海や森の中にひっそりと横たわる、第二次世界大戦中の爪痕

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 1945年に終戦となった第二次世界大戦だが、今でも世界各地にその爪痕が残されている。陸地の森の奥深く、密林の中、海の浜辺、そして海底にも、当時使用されていた軍用機、兵器、施設などの残骸が眠っているのだ。

 海外サイトにて、北マリアナ諸島、ソロモン島、パラオ共和国のロックアイランドなどで撮影された第二次世界大戦の爪痕がわかる航空写真などが特集されていた。

1.北マリアナ諸島サイパンのチャラン・カノアビーチの浅瀬に沈むアメリカ軍のM4シャーマン戦車
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image credit:dailymail

2.ソロモン諸島のンゲラ島に取り残されたアメリカ海軍の輸送船
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image credit:dailymail

3.ソロモン諸島のンゲラ島、トウキョウ・ベイ(Tokyo Bay) でマングローブに絡まり廃船となった大日本帝国軍の睦月型駆逐艦・菊月
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image credit:dailymail

4.ソロモン諸島のガダルカナル島の森の中には大日本帝国軍の零戦の残骸が今も残されている。
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image credit:dailymail
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image credit:dailymail
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image credit:dailymail
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image credit:dailymail

5.ガダルカナル島、タサファロンガ・ビーチに沈んだ状態の大日本帝国軍輸送船・鬼怒川丸と、その浜辺で遊ぶ地元の子どもたち
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image credit:dailymail

6.北マリアナ諸島のパガン島の草原にて墜落した大日本帝国軍A6M零戦の残骸
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image credit:dailymail

7.ガダルカナル島で大日本帝国軍によって使われたタイプ96、15センチメートルの榴弾砲
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8.ガダルカナル島にはいたるところに第二次世界大戦の爪痕が
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9.ソロモン諸島ガヴツ島に残る大日本帝国軍が使った桟橋
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10.北マリアナ諸島サイパン島のガラパンにある大日本帝国軍の収容所跡地
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11.北マリアナ諸島パガン島に墜落したA6M零戦
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12.ソロモン諸島ンゲラ島に浮かぶ菊月
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13.北マリアナ諸島サイパン島にある大日本帝国軍最後の司令塔跡地
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14.ガダルカナル島に残るアメリカ海軍水陸両用トラクターの残骸
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15.鬼怒川丸の航空写真
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16.ソロモン諸島の浅瀬に沈む零戦
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image credit:dailymail

17.ガダルカナル島、米国海兵隊の水陸両用車両
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18.菊月から育つ小さなマングローブの木
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image credit:dailymail

19.ガダルカナル島のバラナ・ジャングル奥地で撮影された写真には、岩の上に日本兵と思われる人物のヘルメットが残っている。
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20.ガダルカナル島に残されたタイプ96、15センチの榴弾砲
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image credit:dailymailvia:From rusting ships in lush green jungle to tanks in crystal clear ocean: Amazing aerial photos show WWII wrecks in watery graves off remote Pacific Ocean tropical islands

☆売れそうな気がするが・・・!

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世界6の家に憑く精霊とそれをなだめる方法

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 家には人ならざらぬ超自然的なモノが住み着いているという概念は世界各地に伝わっているようだ。その精霊たちは、幸運を約束してくれる半面、機嫌を損ねると災いを運んでくると言われている。彼らの要求をちゃんときいてあげないと、物がなくなったり、皿が壊れたり、不幸な未来が待ちうけるという結果になりかねない。

 古代ギリシャのかまどの女神ヘスティアから、イングランド北部のホブまで、古今東西、人間と家に憑く精霊の関係が歴史に残されている。

 年末年始の準備をしているこの時期、家を守ってくれる精霊たちを怒らせないためのコツを知っておこう。

ドモヴォーイ(スラブ地方)
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 スラブ地方の伝説が起源で、毛むくじゃらの小さな精霊。それぞれの家には特定のドモヴォーイがいて、たいてい戸口やストーブの下、かまどの中に棲んでいるという。もともとは家を守る家長の精霊と考えられていた。

 子どもくらいの背丈で、長く白い髭を生やした小さな老人の姿をしていて、その家族の先祖、または現在の家長の姿を映しているという。ネコやイヌ、ヘビなどの動物の姿をしていることもある。

 ドモヴォーイを怒らせないためには、皿を洗い、片付けて、食べかすを残さないなど、家の中をきれいにしておかなくてはならない。さもなければ、彼のために小さなテーブルを用意する。

 ドモヴォーイが満足すれば、夜に出てきて家や庭の雑事をやってくれる。しかし、ドモヴォーイが家の状態や待遇に不満をもったら、疫病神に変わってしまう。些細な物を盗んだり、家にある物を壊したり、家族の眠りを妨げたり、あらゆる困ったことをしでかす。


コチハルチア(フィンランド)
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 ハルチアとしても知られる精霊で、人や物を守る。特に家のケアをする。小さなエルフの姿をしていて、その気質によって、協力者になったり、いたずら者になったりする。

 屋根裏や納屋に棲んでいると言われていて、そこに住む家族を守る。家のほかの場所、例えばサウナを守るほかのハルチアとも密接に関係している。


トラスグ(スペイン)
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 スペイン北部地方が発祥。家の雑用をやってくれるが、いたずら好きな精霊。もっと暴力的で悪意のあるイングランドの悪鬼レッドキャップと似ているが、トラスグはほかの家憑き精霊よりも茶目っ気がある。

 赤いマントを着て、赤い帽子をかぶった小さく華奢なエルフで、足をひきずっていて、左手に穴があいている。角が生えていることもある。

 トラスグには、少量の食べ物と煙突のそばなどの温かい寝床を与えてあげなくてはならない。満足すれば、洗濯などの家の雑事をやってくれるが、放っておかれると、物を動かして隠したり、皿を割ったり、散らかしたりするという。

 トラスグを追い払うには、穴のあいた手で穀物を拾わせるなど、不可能な仕事を与えることだ。やる気をなくして出ていくという。


ホブゴブリン(イングランド北部)
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 もっともよく知られるタイプの家憑き精霊。ハリーポッターに出てくるドビーはまさにこのホブゴブリン。さまざまなタイプがいて、店舗や農場に棲みついて仕事を手伝ったり、特に家や家族と関わりをもたない者もいる。

 ハリポタのドビーのように、見た目は発育不良のエルフのようで、おもに夜に現れて雑用を手伝うが、その場面を見られるのを嫌う。

 家に憑くホブゴブリンはおおむね善良な存在だが、彼らが嫌がることは、仕事の報酬をもらうことだ。家の主人が彼らに衣服を与えようとすると、怒って出て行ってしまい、どんな褒め言葉も侮辱と受け取り、姿を消してしまう。黙って仕事をさせておけば、すべてがうまく収まるという。


座敷童(日本)
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 主に岩手県に伝えられる精霊的な存在。座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。

 たいていは、座敷童の姿は見えない。現われるときは小さな子どもの姿だが、子どもの前にしか出てこないという説もある。大人や家の主人の前に現われるときは、その家を去ろうとしているときで、それは、その家に悲運と破壊が迫っている兆しだと言われている。彼らに出ていかれて悲運に身をさらさないためにも、そのいたずらには目をつぶるのが一番いい。

 座敷童は、古くて立派な家に棲みつく傾向がある。誰もいない部屋で音をたてたり、きちんとひいてある布団を乱したりといったいたずらをするのが好きだ。こうした悪ふざけをしても、基本的に彼らは邪悪な霊ではない。座敷童がその家に棲みついていることは、たいていは幸運の証なのだ。


ガヴィージャ(リトアニア)
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 リトアニアの伝説から生まれたガヴィージャは破壊的な家憑き精霊だ。かまどの女神であるガヴィージャは、善行を行うかまどの神よりも、火の化身に近い。

 ガヴィージャは、赤い服を着た女性の姿で現れるが、ネコや雄鶏の場合もある。ガヴィージャに敬意を払うには、家の火種を適切に維持すればいい。完全に火を消したければ、純水を使って消すのが賢明で、それ以外の液体では女神の怒りをかうかもしれない。

 ガヴィージャを怒らせると、あちこち徘徊するといわれている。つまり、自分の家から火が燃え広がるということだ。彼女をうまく宥めることは、家が焼け落ちないようにするということなのだ。

via:How to Appease Household Spirits Across the World

☆なだめる方法があったとは、知らなんだ!

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ラスベガスのきらびやかな世界の裏側にひっそりと点在するネバダ州6つのゴーストタウン

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 アメリカ、ネバダ州と言えば南部に、大人のディズニーランドとも言うべききらびやかなラスベガスが存在する。アメリカの内陸州としては最大の面積をほこるネバダ州は見どころが盛りだくさんだ。まるで地球内異世界の砂漠地帯があるかと思えば、こんな場所もある。

 19世紀の鉱物ラッシュのとき、ネバダ州は銀の州というニックネームで呼ばれるようになり、砂漠のあちこちに新たな町が出現した。

 しかし、残念なことに現在も残っている町はわずかで、ほとんどがゴーストタウンと化している。民家、学校、バー、ホテル、雑貨店、鉱山がことごとく衰退し、廃墟の間を回転草がコロコロと転がっていく。

 しかし、たとえ多少崩れていても、こうしたゴーストタウンが21世紀になっても残っていることは、冒険家にとってはラッキーだ。ネバダ州であなたが探索してくれるのを待っている、6つの不気味なゴーストタウンを見てみよう。

1. ベルモント ネバダ州ナイ郡
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廃墟となったベルモント裁判所 image credit:Famartin/CC BY-SA 4.0
 ネバダ州のほかのゴーストタウンと同様、ベルモントも銀の新興都市だった。1866年に町ができてから急速に発展し、20年もたたないうちに本格的な町になった。

 ナイ郡に位置するこの町には、ミュージックホール、コスモポリタンというホテルがあった。しかし、ベルモントの栄華は長くは続かなかった。銀を掘り尽くし、銀の価格が変動したこともあって、町の財政が立ち行かなくなった。1900年代始めには、町はすでに廃墟への一途をたどっていた。

 急激に発展したものの、短命な栄華だったせいか、ベルモントの建物は驚くほどきれいに残っている。ほかの建物が半分瓦礫になっているのに比べて、裁判所、バー、いくつかの工場はまだしっかり全体が残っている。

 トクィマ山脈の懐にひっそりとたたずむこの小さなゴーストタウンには、ファンも多い。復興グループが町の保存活動をしていて、メインストリートだった場所に当時の時代に即した宿がオープンしている。町の憩いの場で初めてのバーだった、ダーティ・ディックのバーも復活している。


2. セント・トーマス ネバダ州クラーク郡
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セント・トーマスの廃墟 image credit:Jkotto/Public Domain
 1860年代、少人数のモルモン教徒のグループが入植して創設された町。行政が前年の税金も含めて住民に減税して人を集めた。しかし、州が要求していたゴールドを採掘することができなくなり、町は1871年に廃墟と化した。

 その後何十年かは人が住んだり住まなかったりしていたが、フーバーダムの建設に伴い、コロラド川の水位が上昇して新たな湖が出現し、セント・トーマスは完全に水の底に沈んだ。

 今日、急激な水の消費のせいで湖の水位が下がって、再びセント・トーマスの廃墟が姿をあらわしつつある。建物の基礎や煙突が水面に現われ、訪れる者にかつての町の面影を思い起こさせている。


3. ネルソン ネバダ州ネルソン
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image credit:wikipedia
 ネルソンはかつてなにかと問題の多かったテチャティカップ鉱山があった場所。ここはゴールド、銀、銅、鉛の宝庫で、南北戦争の脱走兵が住みついていた、ネバダ州でもっとも活気のあった町のひとつだ。

 いかがわしい連中に加え、土地をめぐる争いのせいで、暴力沙汰が絶えず、多くは殺人にまで発展した。さらに、エルドラド・キャニオンからの頻繁な鉄砲水のせいで、まもなくネルソンから人の姿が消えた。

 ネルソンの廃墟は、そんな洪水跡に建っている。ランチハウス(屋根の傾斜の緩い平屋)、テキサコのガソリンスタンド、風雨にさらされた建物や機械が点在している。ここは、写真撮影やミュージックビデオ、いくつかの映画などで使われ、砂丘に頭から突っ込んだように見える小型飛行機を珍しい呼び物にしている。この飛行機は本物ではなく、2001年の犯罪映画『スコーピオン』で使われた残骸だ。


4. ストークス城 ネバダ州オースティン
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ストークス城の遺跡 image credit:Famartin/CC BY-SA 4.0
 アンソン・フェルプス・ストークスは裕福な鉄道王で、オースティン郊外の砂漠の開発とインフラ整備に私財をつぎ込んだ。その中でこのストークス城は、もっとも長く残っている彼の遺産だ。3階建てのこの城は、1896年にストークスが建設を依頼した。

 イタリア様式の塔をモデルにして、地元の花崗岩を使って建設された。華やかなりしころは、塔は豪華に装飾され、各フロアに暖炉がついていて、ストークスの家族はバルコニーや屋上の銃眼つきのテラスからまわりの土地を眺めることができた。

 だが、ストークスの権勢は長くは続かなかった。1897年、家族がここで約1ヶ月間過ごしたのが最初で最後になった。それから1年もたたないうちに、横領スキャンダルに巻き込まれたり、銀鉱山が衰退して、ストークスは鉱山も新しい城も売らざるを得なくなった。

 1956年にストークスの遠い親戚が買い取るまで長いこと打ち捨てられていたが、現在は米国国家歴史登録材に登録されている。この独特なタワー型の城は、現在も生き残っていて、アメリカの沿道で見られるどんな建物とも違っている。

5. ユニオンヴィル ネバダ州フンボルト郡
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ユニオンヴィルの学校校舎 image credit:Ken Lund/CC BY-SA 2.0
 ユニオンヴィルの歴史も、ほかの新興都市とそれほど変わらない。南北戦争後のシルバーラッシュのときに急速に発展し、鉱山が干上がると急速に廃れた。ここの多くの建物は時間が止まっているようで、1870年代と80年代に廃墟になって以来、なにも変わっていない。

 ここを訪れる者は、マーク・トウェインがかつて住んでいて、去っていった小屋を見にやってくる。わずか20人ほどいる住民は、驚くほど緑豊かな谷にはもっとたくさんの見どころがあると自信をもっている。町にはホテルもあり、魚の種類も豊富で、住民も優しいという。


6. ゴールド・ポイント ネバダ州エスメラルダ郡
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人里離れたゴールド・ポイントの廃墟 image credit:Vivaverdi/CC BY 3.0
 歴史のその時々によって、ライム・ポイント、ホーンシルバーとしても知られるゴールド・ポイントは、ほかの鉱山町よりも成功した町だ。

 大恐慌から第二次世界大戦まで、重要性の低い鉱山が閉鎖を求められていた時期でさえ、産出量は多かったからだ。だがこの後、町の大部分が放棄され、もしラスベガスの壁紙屋のハーブ・ロビンスが、ゴールド・ポイントを訪ねて、その魅力にぞっこんにならなかったら、ここは永久に埋もれてしまっていただろう。

 ロビンスと友人は、この町で売りに出ていた家をそれぞれ買い(のちにほかの人もこれに追従することになった)、ラスベガスで大きく当てて、ゴールド・ポイントを丸ごと買ったのだ。彼は一般に公開するために、廃墟の修復に取りかかり、同時に消防署長と保安官も兼任した。

 訪れる者は、ゴールド・ポイントで足を止め、しばらく滞在する。長らく風雨にさらされていた小屋も美しくよみがえり、中には貴重なアンティーク家具がしつらえられている。保安官は、ここの鉱山の歴史を物語る9000枚もの写真を見せながらさまざまな話をして、訪れる者を歓待してくれるだろう。正統派"坑夫の朝食"が提供され、運が良ければ滞在中に決闘シーンを見られるかもしれない。もちろん、ステージでだが。

GHOST TOWNS OF NEVADA PART 1


☆なかなか、ええとこやんけ!

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1900年代に撮影された、アメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の写真

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 1900年代に撮影された、アメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)、通称インディアンの肖像写真が海外サイトにて紹介され、話題となっている。これらは現代の私たちから見ると単なる昔のポートレートに見える。だが実は民族の記録写真のあり方に一石を投じた歴史的な作品なのだ。

 当時のアメリカではインディアンたちのネガティブな印象を与える情報が流布しており、彼らに偏見を抱いていた人々も大勢いた。彼らの誇り高い姿をとらえたこれらの写真は、野蛮で攻撃的な部族といった極端な偏見を改めるきっかけにもなった。

 白人との戦いや政策に翻弄され、滅亡が危ぶまれたインディアンの人々。彼らの本来の姿を後世に伝えようとした写真家たちの希少な記録がこちらだ。

インディアンへの関心と名刺写真の流行
 これらの写真は1900年代のアメリカにおいてインディアンの生活に関心が集まったことを反映している。これらは19世紀半ばに人気を博した名刺サイズの小さな写真で、アメリカの各家庭が著名人の顔を知るのにも役立った。

 従来の肖像写真に比べ大量生産が容易で、均一サイズである上に安価な名刺写真はコレクションの対象となった。また一部は政治や社交行事、それらを推進する人々の記録にもなったという。
 
1. ウォルピ(米アリゾナ州)の少女。綿製の衣服をまとい金属のビーズと鈴のチョーカーをつけている (1900年頃)
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image credit:Buyenlarge/Getty Images

2. ホピ族の蛇の司祭 (1900年頃)
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image credit:Buyenlarge/Getty Images

3. ネズ・パース族の男性 (1904年頃)
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image credit:Buyenlarge/Getty Images

4. チーフ・レッドクラウドの息子ジャック・レッドクラウド(1822-1909年)
 ヘッドドレスをつけ、彼らの領土にボーズマン・トレイルという道を設けた白人たちと戦ったスー族の男性 (1904年)
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image credit:Gerhardt Sisters/Library of Congress/Corbis/VCG via Getty Images

5. ナバホ族の神、ハスコガンの姿を具現化したもの。エドワード・S・カーティスが1907年に出版した「 The North American Indian」の第1巻に掲載された
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image credit:Edward S. Curtis/Library of Congress/Corbis/VCG via Getty Images

6. シャイアン族の女性 (1905年頃)
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image credit:Buyenlarge/Getty Images

7. ハッシュバードという名の慈悲深い女性神のマスクをかぶったナバホ族の男性 (1905年頃)
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image credit:Buyenlarge/Getty Images

8. カウ・クラーという名のトリンキット族の女性。ポトラッチという祭事の舞踏衣装を着ている (1906年)
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image credit:Case & Draper/Buyenlarge/Getty Images

9. 2つのホイッスルという名の男性。エドワード・カーティスの著書「Two Whistles - Apsaroke」に掲載された(1900年代後半)
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image credit:Field Museum Library/Getty Images

10. スー族の戦士のヘッドドレスをつけた少年 (1907年1月1日)
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image credit:MPI/Getty Images

11. 3人の老人。毛織物を羽織ったり、鳥形のヘッドドレスや骨のネックレスをつけている (1907年)
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image credit:Case & Draper/Buyenlarge/Getty Images

12. メディシン・クロウという名のクロウ族の男性。鷹のヘッドドレスやイヤリング、貝のビーズなどの装飾品をつけている (1908年頃)
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image credit:Buyenlarge/Getty Images

13. クロウ族の戦士。1909年に出版されたエドワード・S・カーティスの著書「The North American Indian」に掲載された
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image credit:Edward S. Curtis/Library of Congress/Corbis/VCG via Getty Images
時代に影響を与えたインディアンの記録写真
 こうした写真は19世紀の後半から20世紀初めにかけ、先住民をテーマにした肖像写真に変化をもたらした。

 彼らの衰退の様子を残す目的で写真家が記録したこれらの作品は、アメリカ政府と部族間の紛争期間を示す役割も果たした。そして20世紀半ばになると当時"消えゆく人種"とみなされていたインディアンへの政治的な同情を引き起こすきっかけにもなったという。

☆インディアンって、今どうなってるの?

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スマホ世代の子どもたちをシュールに描いたイラスト集

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 イギリスを拠点に活躍するアーティスト兼クリエーターのクリスチャン・ジョーンズは、インターネットやデジタルデバイスが欠かせなくなった子どもの生活に警鐘を鳴らす風刺イラストを作っている。
 
 これらのイラストは、もはや生活必需品となったスマホやタブレットなどを持ち歩き、InstagramやLINE、TwitterなどのSNSであらゆることを投稿し、ネットの世界に魅入られてしまった子どもの姿が中心となっている。

 童話みたいな絵柄で表現された彼らのブラックな日常は、子ども時代ならではの想像力や無邪気さを犠牲にする暮らしが当たり前になりつつある現代の問題点を浮き彫りにしている。

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 なんでディスプレイからビーム的な物が出て顔がとけちゃってるのはよくわからないのだが、その辺は未知のホラー感を強調してるってことでOK?ポップアートっぽい色使いにレトロなシュール感も漂ってるあたり、Tシャツとかになっても面白そうだ。

 クリスチャン・ジョーンズのイラストは公式サイトでも公開中

☆今一、理解できんのだが!

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あの名所には秘密がある。世界11の建造物に隠された秘密の場所

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 たくさんの人々が行きかう駅や公園、施設、歴史的建造物のある観光名所には知られざる秘密が隠されていることがある。

 誰も気づかずに通り過ぎてしまうのだが、そこには隠れた珠玉のような場所があるという。ここでは世界11の名所にある、秘めたる場所を見ていくことにしよう。

トラファルガー広場にある小さな交番(ロンドン、英国)
1_e3image credit:Matt Brown
 トラファルガー広場には、南東の隅っこにロンドン一小さな警察署がある。警察署というより、まるでターディス(『ドクター・フー』に出てくるタイムマシン)のようで、見過ごしてしまうのも無理はない。

 観光客が群がって、嬉々として写真を撮りまくっているということも特にない。このリリパット人(ガリバー旅行記の小人)向けの交番は、1930年代にトラファルガー広場に目を光らせる監視塔として建てられた。この広場は、昔からロンドンで抗議、暴動、行進する人たちやハトが集うメッカだからだ。交番の中は人がひとり入れるくらいのスペースしかない。


エッフェル塔の秘密の部屋(パリ、フランス)
2_e3image credit:Serge Melki
 1889年にエッフェル塔がオープンすると、設計者のギュスターヴ・エッフェルは世界中から驚きと称賛の喝采をあびた。まもなく、エッフェルが塔のてっぺんに自分専用の小さな部屋を作っていたことが判明し、彼は名声だけでなくパリの名士たちから羨望のまなざしで見られた。

 エッフェルの専用の部屋は、広くはないがこじんまりと居心地がいい。塔の工業的な鉄骨の梁とは対照的に、部屋の中はシンプルなしつらえになっている。壁には暖かみのある壁紙、インド更紗のカーテン、木のキャビネット、グランドピアノまで置いてあり、300メートルの高みに居心地のいい空間を作り出している。


グランドセントラル駅のヴァンダービルト・テニスクラブ(ニューヨーク、アメリカ)
3_e3image credit:Vanderbilt Tennis Club Office Facebook Page
 グランド・セントラル駅を日々通り過ぎている大勢の通勤客は、1960年以来、この駅の上階に一般人は入ることができない高級テニスクラブがあることなどほとんど知らない。

 ヴァンダービルト・テニスクラブは、現在裁判所御用達で、この駅の有名な正面の窓の上の部分にある。今度、この駅を訪れることがあったら、誰かがあの上でテニスをしているかもと思ってみて。


ミラノ中央駅のロイヤルパビリオン(ミラノ、イタリア)
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 毎日、30万人以上の人々が利用するミラノ中央駅、スタジオーネ・セントラーレ。ほとんどの人は、自分たちがいつも通り過ぎている通路に続く閉まったドアの向こうに、豪奢な立ち入り禁止の部屋があるとは思いもよらないだろう。

 かつてここはロイヤル・バビリオンで、1920年代にはイタリア王家のための待合室だった。第二次大戦後、イタリアの君主制は消滅したが、王室用待合室はまだ健在だ。地上階にはがらんとしたなにもない部屋がいくつかあって、上階への控えの間になっている。

 線路と同じ高さの2階には豪華な部屋がひとつある。さまざまな建築様式の大理石のインテリア、王室のロゴの入った彫刻、当時の最高のインテリアデザイナーの手によるエレガントな家具、下の公共広場を一望できるバルコニーがある。


レオナルド・ダ・ヴィンチ像の秘密の仕切り(フィウミチーノ、イタリア)
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 ローマのフィウミチーノ=レオナルド・ダ・ヴィンチ空港では、1960年8月19日に初めてお目見えして以来ずっと、巨大なレオナルド・ダ・ヴィンチ像が飛行機を降り立った者をを出迎えてくれる。

 何十年もこの像の前を大勢の人が通り過ぎたが、2006年になって初めて、像の内部に秘密の仕切りが隠されているのが発見された。

 2006年、像の改修が行われ、作業員のひとりがこの奇妙な仕切りを見つけた。高さ約9メートル、像のちょうど真ん中あたりに小さな開口部があったのだ。おそるおそる開けてみると、内部には2枚の羊皮紙があり、まったく損なわれていなかったという。像の秘密が広く知られていなくても、双眼鏡で像を上から下までくまなく見ている人もときに見受けられ、通行人の楽しみになっている。


ラジオシティ・ミュージックホールの秘密の部屋(ニューヨーク、アメリア)
6_eimage credit:Luke J Spencer
 ラジオシティ・ミュージックホールは、ニューヨークの最高のアールデコ至宝のひとつ。1932年のオープン以来、この天下の大舞台を訪れた3億人以上の人が、息を飲むほどの優雅な世界に驚嘆した。

 伝説によると、すばらしいパフォーマンススペースを作った建築家たちが、劇場指揮者であるサミュエル・"ロクシー"・ロザーフェルの才能を賛美するためになにかプレゼントを贈ろうと決め、ラジオ・シティの上に劇場と同じにようにアールデコ装飾をふんだんに取り入れた豪奢な彼の部屋を作ったという。

 1936年にロクシーが亡くなったあとは、この部屋は使われなくなっていつしか忘れ去られ、常にロクシーが楽しませていた観客の遥か頭上に人知れず埋もれることになった。今は誰も住んでいないが、当初のまま保存されている。

フリンダーズ・ストリート駅の忘れ去られた舞踏室(メルボルン、オーストラリア)
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 オーストラリアのハブ駅であり、乗降客のもっとも多いフリンダーズ・ストリート駅には、昔の鉄道ロマンスの古き良き時代を思い出させる美しい舞踏室があるが、時代に取り残されて朽ち果てつつある。

 駅は一日10万人近くの人が行き交うが、4階の舞踏室は1985年に閉鎖され、ドアが開けられることはめったにない。この舞踏室の見学は近年大人気で、2015年のオープンハウス・メルボルンのときには、特別入場できるゴールデンチケットをゲットできたラッキーな客もいた。


ワン・タイムズスクエア(ニューヨーク、アメリカ)
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 世界で最もお金がかかっていて、頻繁に写真に撮られる場所のひとつだというのに、ワン・タイムズスクエアの建物にはほとんど人がいない。

 1階にウォルグリーン(ドラッグストア)があるだけで、21階まですべて空いている。だが、空きビルにしておく理由は、側面の広告収入で維持をまかなうことができるからだ。

 このビルにはもうひとつ別のテナントが入っている。22階のフロアから有名な大晦日のカウントダウン・エンターテイメントを開催するジェフ・ストラウスのオフィスだ。この上には、金属のルーフデッキに一年中ニューイヤーボールが設置してあって、年に一回、栄光に包まれる瞬間を待っている。


リトル・コンプトン・ストリートの遺構(ロンドン、英国)
13_eimage credit: Luke J Spencer
 ロンドンのチャリング・クロス・ロードの中ほど、なんの変哲もない安全地帯に謎めいた秘密が隠されている。人通りの多いこの通りの下に、古いロンドンの遺構がひっそりと眠っているのだ。

 安全地帯を覆っている金属の格子の下を覗き込むと、地下のタイル張りの壁にビクトリア時代の通りの名前がたふたつ見える。色あせたその文字は、リトル・コンプトン・ストリート。現代のロンドンの通りの下にひっそり埋ずもれた、なんとも魅力的な遺構だ。現在、完璧に保存されているこのふたつの標識を除いて、昔のロンドンの通りの名残は皆、だいぶ前になくなってしまっている。


ニューヨーク公立図書館(ニューヨーク、アメリカ)
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 およそ100年前、ニューヨークの図書館の分館が初めて建てられたとき、アンドリュー・カーネギーが市に520万ドル寄付した。これで市全域の図書館システムが構築され、石炭による暖房も入った。各図書館に管理人が配置され、家族と共に図書館に住み込んで火の管理を請け負った。

 しかし、70~80年代になると石炭炉がもっと便利なものに改良されるようになり、管理人たちも引退し始めた。彼らが寝泊りしていたこうした部屋も空き家になり、図書館でののどかな生活は姿を消した。今日、ニューヨークの公立図書館では、こうした管理人部屋は13しか残っていない。長い間誰も住まないまま放置されている部屋もある。


ニューヨーカーホテル地下のアールデコトンネル(ニューヨーク、アメリカ)
11_eimage credit:Luke Spencer
 ニューヨーカーホテルの大きな赤いサインは、その名が示す町の目印として、よく撮影スポットになっているが、この建物の歴史はほとんど知られていない。

 このホテルには明かされてない秘密や、忘れられた逸話がたくさんある。ホテルのロビーからペン駅(ペンシルベニア駅)まで続く、地下に埋もれた美しいアールデコのトンネルもそのひとつだ。8番街34丁目を慌ただしく通り過ぎる大勢のニューヨーカーや観光客は、歴史あるホテルの地下に美しいトンネルが走っていることなど知らない。そこには、ホテルの古い調度品、椅子やカーペットや美しいアールデコのタイルが大量に眠っている。

via:11 Secret Spaces Hiding in Famous Places

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猫を殺すと死刑。古代エジプトの動物に関する10の驚きの事実

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 紀元前3000年頃に始まったとされる古代エジプトにおけるエジプト文明は史上初の大文明の1つである。歴史の黎明期、そこで暮らす人々は現在我々が暮らすものとはまったく異なる世界を生きた。

 そうした違いの1つに、彼らが信仰した神々がある。

 エジプトの神々には動物の頭を持つ者がいる。これがそこでの暮らしに想像以上に多岐に渡る影響を与えていた。例えば、古代エジプト人は動物に我々にはないような畏敬の念を持って接した。このことが歴史上類まれなる文化を生み出すのである。

10. 雄牛のハーレム
1_e5image credit: Wikimedia
 エジプトの歴史の大半では、神のごとく扱われた幸運な雄牛が常に1頭いた。その牛は聖なる牛アピスと呼ばれた。人々は聖なる印がある雄牛を見つけると、それを寺院に連れて行き、人々が羨むような待遇で遇したのだ。

 雌牛のハーレムが作られ、ケーキや蜂蜜が与えられた。神官たちは誕生日にパーティーを開き、そこでご託宣を下してもらう。雄牛のために生贄も捧げられた。目の前に雄牛と雌牛を引き連れきて、供物として殺すのだ。

 人間の女性は触れることすら許されなかった。ただし、4月にアピスがニコポリスへ連れてこられたときは例外で、女性たちはその前で裸を晒した。エジプト人たちは、牛だからといって女性の乳房に関心がないとは思わなかったのだ。

 アピスが死ぬと王と同じ埋葬が行われ、また次の牛が探された。


9. ハイエナをペットとして飼った
2_e4image credit: Wikimedia
 5,000年前のエジプトでは意外にもハイエナがペットとして飼われていた。

 ファラオの墓に残されていた絵からは、紀元前2,800年にハイエナが狩猟犬のように利用されていたことが推測される。エジプトの王たちは犬とハイエナの群れを率いて、狩りを行なっていたようなのだ。

 しかし飼い主はこうしたペットに対して感傷的だったわけでもない。ハイエナを可愛がりながらも、太らせて夕食にしていたからだ。十分大きくなったら殺し、食材や香辛料を詰めてからコンガリと焼き上げた。

 どうやらペットとしてのハイエナはあまり流行らなかったようだ。数世代もすると、このどう猛な動物を自宅で飼うことは諦めてしまった。犬と猫が定着した理由はこれかもしれない。


8. 初代ファラオはカバのせいで絶命
3_e4image credit: Wikimedia
 紀元前3,000年頃に生き、上下エジプトを統一したメネス王はエジプト史における伝説的な人物だ。国家を統一してから60年間統治したが、カバに引きずられて死んでしまった。

 それ以上詳しいことは分かっていない。これについては、エジプトの歴史家マネトが「メネスは初代の王。カバに運び去られ、殺された」と記すのみだ。彼には後世の者が具体的にどのように死んだのか関心を持つとは想像もできなかったに違いない。

 それから5,000年、これが単なる伝説でしかない可能性もある。それなら一層奇妙だ。メネス王はいわばヒーローである。エジプトの人々は、カバに引きずられて命を落とすことがヒーローの最後として相応しいと考えていたということになる。


7. 聖なるマングース
4_e5image credit: Wikimedia
 古代エジプト人にとって、マングースはあらゆる動物の中で最も神聖な動物であった。コブラを殺すマングースを見て、彼らはいたく感銘を受けたのだ。マングースのブロンズ像を作って敬意を表したり、マングースの魔除けを身につけた。

 ペットとしても飼われていた。ペットのマングースのミイラと一緒に埋葬されていた人も見つかっている。神話の中でも活躍しており、太陽神ラーはマングースの姿に変身し、邪悪と戦うとされた。

 最も凄い伝承は、伝説のマングースが眠っているワニの口の中から腹の中に入ると、それを食い尽くしてしまったというものだ。エジプト人によると実話らしい。


6. 猫を殺すと死刑
5_e2image credit: Wikimedia
 古代エジプトでは猫を殺すと死刑になった。惨たらしく殺した場合だけでなく、うっかり戦車でひき殺してしまった場合でもだ。

 例外はない。シケリアのディオドロスの記述によると、エジプト王がうっかり猫を殺してしまったあるローマ人を救おうとしたことがあったらしい。しかしエジプト人はローマとの戦争を引き起こす危険があったにも関わらず、一切慈悲を示さなかった。徒党を組み、リンチを加えると、遺体を通りにそのまま放置した。

 紀元前525年、ペルシャによる侵攻を受けたとき、彼らの猫への愛は破局をもたらした。ペルシャ兵は盾に猫の姿をしたエジプトの女神を描き、犬、羊、猫を最前列に配置。

 エジプト兵はうっかり猫を傷つけてしまうことを恐れ、動物の安全を守るために降伏したのである。これは動物たちにとってそれほどいい結果にはつながらなかったようだ。勝利したペルシャ王はエジプト国内を回りつつ、人々の顔めがけて猫を投げつけたという。


5. 猫が死ぬと喪に服した
6_e1image credit: Wikimedia
 猫の死は悲劇だった。人々はペットの猫の死を妻のそれのように扱った。そして家族全員が喪に服した。エジプトにおいて、それは眉毛を剃り落とすということだ。

 猫の遺体は上質な布に包まれ、シダー油と香辛料で良い香りがするよう防腐処理が施される。それからミイラにされて、死後の世界で食べられるようにミルクとネズミと一緒に地下墓地へ埋葬した。

 猫の地下墓地は巨大だ。あるものからは80,000匹の猫の遺体が発見された。いずれも丁寧に防腐処理が施されていたそうだ。

4. 訓練を施したチーターで狩り
7_e2image credit: Wikimedia
 大型の猫と言えば、ライオンなどが思い浮かぶだろうか。エジプト人の”大型”の感覚は少々異なっていたようで、チーターは小さめの猫だった。家の周りにいても無害な存在だったのだ。

 普通のエジプト人はおそらくペットにチーターを選ばなかったろうが、ファラオの中にはそうした者がいる。ラムセス2世などは、王宮にたくさんのライオンとチーターを住まわせた。壁画には、チーターを連れて狩りに出た王の絵も残されている。


3. 聖なるワニのための街
8_e1image credit:Hedwig Storch
 クロコディロポリスはワニの神セベクを祀った街だった。ここではスークス(Suchus)という聖なるワニが飼われており、その姿を見るために各地から巡礼者が訪れた。

 ワニは金や宝石で飾られ、それに仕える神官の一団がいた。神官は人々からの供物を運んでは、口をテコで開けて、無理やり食べさせた。酒まで与えられたことがあったという。

 ワニが死ぬと、英雄の葬儀が行われた。遺体を上質な布で巻いてミイラにし、地下墓地に埋葬された。それから次のワニが選び出される。


2. スカラベは糞から魔法で誕生すると考えられていた
9_eimage credit:Wikimedia
 スカラベのアミュレットは富める者から貧しい者まで広く愛用されていた。エジプト人はスカラベに魔法の力が宿ると考えていたのだ。だが、なぜだろう?

 スカラベは地面に落ちている糞を転がして球を作り、これを埋める。メスはその中に産卵し、やがて子供がここから誕生する。エジプト人はその工程のほとんどを目にしていたが、卵を産む姿までは見ていなかった。そのためスカラベには母親がいないと思い込む。結果、糞から魔法のように忽然と現れると考えるようになった。

 エジプト人は、太陽すら巨大なスカラベの神が作ったものだと信じていた。だが太陽が巨大な糞の塊だと考えていたわけではない。そう考えたはずがないのだ――彼らはスカラベの球が糞だと気づいていなかったのだから。

 実はもっと気色悪い。エジプト人は球がスカラベ自身の精液だと考えていた。


1. ペットのカバのために戦争を起こしたファラオ親子
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 エジプト史上最大の戦争の1つは、ペットのカバを巡る争いだった。セケネンラー・タア2世はプールでカバを飼っていた。彼はカバのために命を賭けるほどのカバ好きで、実際に命を落としている。

 当時、エジプトは分裂していた。最大の王国はファラオ、アペピが統治するヒクソスである。そのアペピがセケネンラーに対してカバを献上するよう要求。それまで風下に立つ屈辱に耐えてきたセケネンラーであったが、これには激昂した。
 
 使者が伝えたアペピからの伝言は、彼のカバが大きすぎて眠れないというものだった。これを自分のカバに対する侮辱と受け取ったセケネンラーは、ついに戦争を起こす。
 
 軍を率いて、カバの名誉のために戦うセケネンラーであったが、あえなく戦死。だが戦争はここで終わらず、息子がこれを引き継いだ。カバのために親子2代に渡って戦い、なんと勝利を収めた。この戦争によってエジプトは再び統一された。すべてはカバへの愛のためだ。

via:10 Facts About Ancient Egyptian Animals That Will Blow Your Mind

☆古代のエジプトのことを調べるとおもろいねぇ!

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今そこにある進化。現在進行形で進化している10種の生物

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 通常、進化とは長く、ゆっくりとしたプロセスだ。わずかな変化が現れるだけでも数百万年の年月を必要とする。だが、その変化を実際に確かめられるほど急激に進化するケースもある。

混じり合うオオカミとコヨーテ「コイウルフ」
1_e10image credit:Smithsonian Magazine
 ヨーロッパ人の移住者がカナダ、オンタリオ州南部へ向かうと、農場を作るために大量のオオカミを殺した。まったくの偶然であるが、これが進化の引き金を引き、新しい種を登場させた。「コイウルフ」である。

 オオカミという脅威が減少したことで、草原のコヨーテが彼らのテリトリーにまで侵入。パートナー探しに苦労していたオオカミはコヨーテや移住者が飼育するイヌと交配することにした。

 こうしてコイウルフが誕生した。親よりも大きく、強靭で、体重はコヨーテの2倍もある。足が速く、筋肉質で、顎も大きいため、ハンターとして有利な条件を備えている。

 現在、北アメリカ東海岸には無数のコイウルフが生息する。森から聞こえる鳴き声は特徴的で、オオカミのように低いうなり声から、コヨーテの金切り声のような高音に変わる。


9. 羽が短くなりつつあるツバメ
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 ネブラスカ州の道路では、サンショクツバメがわずかだが重要な進化を遂げている。

 このツバメは通常断崖で暮らしている。ところが、この場所は嵐の季節には危険な場所となり、しばしば巣が流されてしまう。そこでツバメは道路や橋などに巣を作るようになった。

 最初は上手く行っていないように見えた。無数のツバメが車に轢かれて、その死骸が道路に残された。すると不意に死骸の数が減少したのだ。

 調査からはツバメの羽が短く進化していることが判明している。ミリ単位の違いでしかないが、これによって車が接近したときに素早く飛び立てるようになった。機敏に動けるようになったことで、交通事故で死ぬ個体が減ったのだ。


8. 木々の高い場所に引っ越したトカゲ
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 フロリダに浮かぶ島に生息するグリーンアノールというトカゲはたった15年で劇的な変化を遂げた。

 本来の生息場所は、キューバから侵入したブラウンアノールによって、それまでのような暮らしができなくなっている。同じ餌を巡って競合しなければならないことに加え、ブラウンアノールはグリーンアノールの子供を食べるという習性があるのだ。

 そこでグリーンアノールは木のより高いところに引っ越すようになった――そして体も変化している。過去15年でつま先のパッドが大きくなり、足の鱗もくっつきやすくなっている。これほど短い期間で起きたものとしては劇的な変化であり、おかげで生き延びることができている。


7. 視力を失いつつある洞窟の甲殻類
4_e8image credit:BBC
 洞窟には数百万年前には頭から小さな目が飛び出していた甲殻類が潜んでいる。彼らが暗い洞窟を奥へ奥へと移動するにつれて、目はあまり役に立たなくなり、やがて遺伝子プールから消えて行った。
 
 そうした甲殻類の多くには、今でもかつての名残として小さな眼柄がついているが、もちろんまったく役に立たない。何も見えないのだから。そして、その眼柄もゆっくりと消え始めている。

 これは研究者にとって甲殻類の脳の変化を知るチャンスでもある。彼らの脳には現在でも視覚のための領域がある。そこもまた役に立っておらず、徐々に消えつつあるのだ。

 やがて眼柄ともはや役立たずの脳領域は完全に消えると予測されている。

6. 色が変わりつつあるフクロウ
5_e7image credit: nature.com
 フィンランドのモリフクロウは色が変わりつつある――おそらくそれは温暖化が原因だ。

 このフクロウの羽は茶色か灰色で、親の色は子供に受け継がれる傾向にある。最近までフィンランドの多数派は灰色だった。この辺りの厳しい冬ではこの色が有利だったからだ。一方、茶色いフクロウは長く生きることができなかった。

 しかし気温が上昇するにつれて、冬が以前よりは生き残り易いものになっており、茶色いフクロウは個体数を増やしつつある。自然選択が再び彼らに有利に働きだした――フィンランドの森の色を変える小さな進化的変化が起きている。

5. 化学物質に適応しつつあるハドソン川の魚
6_e6image credit: National Geographic
 ハドソン川には体長10センチほどしかない大西洋トムコッドというタラの仲間が生息している。彼らは豊かな生態系があるここで数百万年も繁栄してきたが、やがて川に化学物質が垂れ流されるようになる。

 とりわけPCBが致命的だった。魚の心臓は縮み、鼓動が困難になり、苦しみながら死んで行った。

 だがトムコッドはそれに適応し、いまでもハドソン川で繁栄している。その秘密は奇妙な遺伝子の変異だ。これは他の地域では一部のトムコッドしか持たないものだが、ハドソン川の個体は全員が持っている。

 ハドソン川のトムコッドは、遺伝子の1つが持つはずの6組のDNAが欠けている。このため化学物質は受容体に結びつくことができない。こうして魚の命を奪う影響力が抑えられた。しかもトムコッドを狙う捕食者は死に絶えている。


4. 牙を失いつつあるゾウ
7_e5image credit:The Independent
 アフリカゾウは密猟が原因で変化している。これまで長い牙はゾウにとって進化の点で有利だった。ライバルのオスを追い払い、メスを獲得するために便利だっため、それが子孫に継承された。

 密猟がそれを大きく変えた。密猟者は高く売れる長い牙のゾウを狙う。その結果、そうしたゾウは子供を作る前に死んでしまうようになった。競争がなければ、短いゾウでもメスを得ることができる。こうして短い牙が子供に受け継がれるようになった。

 19世紀半ば以来、アフリカゾウの牙の平均的な長さは半分になった。中には牙をまったく持たずに生まれてくるゾウもいる。1930年代、牙のないゾウは非常に珍しく、全体の1パーセントでしかなかった。

 だが密猟が最も酷い地域では劇的に変化している。1997年、ルアングワでは38パーセントが牙を持っていなかった。


3. 鳥用の止まり木を育てる花
8_e5image credit:National Geographic
 南アフリカに自生するバビアナ・リンゲンス、別名ラッツテイル(ネズミの尻尾)という花はその場所に応じて姿を変えている。この花に少々問題がある。その周囲に鳥を食べてしまう捕食者が存在するのだ。そのため受粉を助けてくれる鳥が寄り付かなくなってしまった。

 そこで一部の地域のラッツテイルは鳥が掴まれるような止まり木を進化させた。これは特にタイヨウチョウにとって魅力的だった。この鳥が止まって、花の蜜を飲むにはぴったりのサイズだったのだ。

 タイヨウチョウだけに頼らなくてもいい地域では、そこまで大きな止まり木を育てる必要はない。私たちはこれを目にするたびに、小さな進化が現在も機能している証拠を見ていることになる。


2. 毒に耐性を持ち始めたネズミ
9_e5image credit:seeker.com
 ドイツでは、ネズミを嫌うパン屋がワルファリンという猛毒の毒を仕掛けている。これに齧りついたネズミはもう長くなく、パン屋は一安心だった。

 だがアルジェリアのネズミはこの毒に耐性を持っている。そしてドイツのネズミがアルジェリアのネズミと交配し始めた。結果、ドイツのネズミは毒への耐性を持つ雑種へと進化しているのだ。

 人間の武器が効かないため、現在この雑種はドイツで数を増やしつつある。ワルファリンを齧ってもケロリとしているのだ。進化を通して繁栄しようとしているということだ。


1. 骨盤が小さくなりつつある人間
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 人間でさえ、かすかな変貌を遂げつつある。その1つが現代医療のために小さくなっている骨盤だ。

 かつて出産するには産道が狭すぎる女性は、子供を産もうとして命を落とした。だが現在では帝王切開によって問題なく出産することができる。

 命が救われるようになったことで、人類は自然選択を克服しつつある。狭い産道を持つ女性が子供を産めるようになり、その結果、骨盤が縮んでいるのである。

 1960年代以降、手術なしで出産をするには産道が狭すぎる女性は20パーセント増加した。この傾向は今後も続くと考えられている。つまり、さらに多くの女性が出産時にメスに頼るようになるということだ。

via:10 Species That Are Evolving Right Now

☆全生物が進化の途中と違うんかいな?

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サルコファガス(石棺)とそこに収められていた遺体に関する10の秘密

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 石棺を意味する”サルコファガス”という言葉は、ギリシャ語の肉食という意味からきている。人肉を食い尽くす棺という意味がこめられている。石棺は、古代エジプト、ヘレニズム時代、ローマ帝国と1000年もの間使われていた。

 キリスト時代に入ってからも、宗教的な象徴としての道具になった。上流階級用のこの棺は、たいてい豪華に装飾され、おさめられる死者本人のことだけでなく、彼らの希望、夢、恐怖などのイメージも描かれた。描かれものは、当時の社会や精神的理想を表わしていることが多く、異文化様式の影響が見られるものもあった。

 ここではそんな石棺とそこに収められていた遺体に関する10の事実を見ていこう。

10. 肉食サルコファガス
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image credit:Ancient Origins
 古代トルコのアッソスの町は、謎めいた肉食サルコファガスで有名だ。遺体が分解するにはたいてい50日から200日かかるが、アッソスのサルコファガスの中の遺体は40日以内で完全に分解する。

 人肉を食い尽くすこの棺は安山岩でできているが、この石が急速な分解の原因なのかどうかははっきりわからず、アルミニウムの存在を指摘する研究者もいる。

 このアッソスの棺は、もともとギリシャ語で肉食という意味のサルコファゴスと呼ばれていて、これが現代のサルコファガスの語源となった。紀元前7世紀にさかのぼるアッソスの共同墓地に最初のサルコファガスが現われたのは2世紀後だ。

 初期の棺は装飾のないシンプルな四角い石のブロックで、ただ死者の名前が記されているだけだった。サルコファガスにさまざまな装飾が施されるようになったのはローマ時代のことで、エレガントな彫刻が施され、眠りについているのは誰かを示す碑文が刻まれた。


9. KV55の墓に葬られた謎のファラオ
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image credit: News Corp Australia
 1907年、エジプトの王家の谷で謎めいたサルコファガスが発見され、KV55という番号がつけられた。しかし、今日に至るまで、この棺の主が誰なのかわかっていない。玄室の中には4つのカノープスの壺、金箔を貼った聖遺箱、調度品、そして1基のサルコファガスがあった。棺は荒らされていて、豪華なマスクはほとんどはがされ、死者の名も削り取られていた。

 安置されていたのは、ティイ王妃、スメンクカーラー王など、さまざまな説があるが、有力なのはアクエンアテン王(アメンホテプ4世)だ。最近、研究者たちは、カイロのエジプト考古学博物館で、長いこと忘れ去られていたある箱にいきあたった。

 中には500枚の金箔、頭蓋骨のかけら、金箔がKV55のサルコファガスから見つかったものであることを示すフランス語のメモが入っていた。雪花石膏でできた4つのカノープスの壺は空だったが、女性をかたどった像が入っていた。これは、アクエンアテンの娘だと思われているが、KV55が謎めいたサルコファガスであることは確かだろう。


8. 子どもスターのサルコファガス
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image credit:The Daily Telegraph
 1888年、大英博物館は古代の子どものミイラがおさめられたサルコファガスを購入した。 Tjayasetimu は古代エジプト王家の合唱隊の一員で、身長122センチの7歳の女児。鮮やかな包帯で巻かれ、顔にはベールがかけられ、黄金のマスクをかぶせられて埋葬された。

 トモグラフィー(断層撮影法)でこのミイラをコンピュータ解析したところ、乳歯の下から永久歯が生えてこようとしているのがわかっただけでなく、髪が肩の長さであることも判明した。専門家たちは、彼女がコレラのような急性疾患で亡くなったとしている。

 サルコファガスの大きさにしては彼女はとても小さく、慌ただしく埋葬されたのかもしれない。棺に描かれた象形文字と絵によると、Tjayasetimuがアメン神殿の合唱隊のスター歌手だったことがわかる。幼い歌姫は、古代エジプトのもっとも裕福な家族である王家にふさわしい埋葬をされるのほどの重鎮だったのだ。


7. 3000年前の指紋
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image credit:BBC News
 2005年、ケンブリッジにあるフィッツウィリアム美術館の研究者たちが、サルコファガスの蓋についた3000年前の古代の指紋を発見した。これは、ニスが乾く前に蓋に触れた棺の制作者のものと思われた。

 このサルコファガスは、古代エジプトの”Nespawershefyt”という聖職者のもので、紀元前923年にさかのぼるもの。指紋が発見されたのは2005年のことだが、4000年にわたるエジプトの棺デザイン展、2016年の「Death On the Nile」の準備のときに初めてこのことが公になった。

 これまでのところ、エジプト最古の指紋は紀元前1300年のもので、テーベの墓から出てきたパンの塊の上に残っていた。人類最古の指紋は2万6000年前の子どものもので、現在のチェコ共和国で作られた陶器の小像についていた。しかし、人類出現以前の指紋はさらに古い。武器をこしらえる道具についていた、8万年前のネアンデルタール人の指紋が、ドイツのノイ・ケーニヒスアウエで発見されている。


6. 都合の悪いサルコファガス
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image credit: Ancient Origins
 2015年、イスラエル考古学庁は、建設業者が隠蔽していた1800年前のサルコファガスを入手したと報告した。どうやらこの棺は、建設工事が遅れないよう、その存在を秘密にされていたようだ。

 長さ2.4メートルの石灰岩のこの棺は、業者が手荒く扱ったせいか、かなり損傷していた。棺の装飾として、ゴルゴーンの首、キューピッド、雄牛の頭、花や植物、若い男性の絵が描かれていた。この若者が棺の主と思われ、彼は刺繍をほどこした半袖のシャツを着て、髪は巻き毛という典型的なローマ人の姿をしていた。

 紀元3世紀ごろのこのサルコファガスは、アシュケロンで見つかった。この古代都市は、ユダヤ人、サマリア人、異教徒のローマ人が混在していて、彼らはそれぞれサルコファガスの装飾に影響を及ぼした。考古学庁の代表は、この棺をイスラエルで発見されたもっとも希少なサルコファガスのひとつと言っている。

5. シルクロードのサルコファガス
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image credit:The Australian
 1999年、古代シルクロード各地の異文化の影響を受けた、白い大理石のサルコファガスが発見された。場所は中国山西省で、棺にはYu Hongとその妻が安置されていた。紀元592年から598年の間に埋葬されたとされる。

 このサルコファガスは見た目が中国風の屋根をした家に似ていて、重さは4200キロ、獅子の上に安置されていた。鳥人間たちが、ゾロアスター教に影響された拝火壇の脇をかため、すぐ隣にはハスの花と足を組んで瞑想している仏陀の像がある。

 Yu Hongは6世紀の中央アジアの外交官だった。DNA鑑定で、コーカサス人(白人種)であることがわかり、そこから彼は中央アジア文化における商人であり、音楽家であり、芸人であったソグディアナ人だったのではないかと推測された。

 墓から唐時代の硬貨が見つかっていることから、考古学者たちは墓が618年から906年の間に何度か盗掘されていると考えている。墓泥棒たちがうっかり落としたという説もあるが、墓泥棒の迷信としてわざと硬貨を置いていった可能性はある。


4. タブニトのサルコファガス
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image credit:oncenawhile
 1887年、謎の多いフェニキア文化の見事な産物と思われるサルコファガスが発見された。紀元前5世紀にさかのぼるこのサルコファガスの中には、アシュタルテ(フェニキアの女神)の司祭であり、シドン(フェニキアの海洋都市)の支配者だった、タブニトの遺体が安置されていた。

 棺の中には褐色の油性の液体が満たされていて、遺体はその中に保存されていた。唇や鼻、喉、手足だけが腐敗していたが、解剖の結果、タブニトは天然痘で50歳前後に亡くなったことがわかった。

 サルコファガスの表面には、象形文字とフェニキア文字が混ざった謎の文字がびっしり書き記されていた。この短命な混合文字は紀元前5世紀ごろに発達したもので、エジプトと北の隣人とのつながりが裏づけられる。タブニトが最初に展示されたとき、太陽の光にさらされて腐敗が急速に進んでしまい、今日では骨しか残っていない。

 サルコファガスが発見され、大英博物館に移されたことは、国際的な騒ぎを引き起こし、トルコ側から激しい反発が起こった。


3. 高僧の象形文字
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image credit: Ancient Origins
 2015年、謎めいた聖なる象形文字がびっしり書かれた、アメン・ラーの高僧のサルコファガスが発見された。

 ルクソールの西岸から発掘されたこの棺は、第22王朝(紀元前943~716年)にさかのぼるもの。漆喰で覆われた木製のサルコファガスは、アメンホテプ三世(紀元前1391~1353年)の治世にヌビアの大臣だったアメンホテップ・ユイの墓で見つかった。死者の名前はAnkh-f-n-khonsu。サルコファガスの前面には、花やリボン、ネックレス、儀式用の顎髭とかつらをつけた彼の肖像が描かれている。

 第22王朝時代の棺なので、これが安置されていた紀元前14世紀の墓よりもだいぶ後世のものだ。玄室には Ankh-f-n-khonsuがアメン・ラーの高僧が着る伝統的なヒョウ革の衣装を身にまとって、儀式の供物を捧げている様子が描かれた葬儀の石板もあった。壁には、アメンホテプ・ユイの勢力範囲の影響を反映したヌビアの服装をした人たちが描かれていた。


2. 手つかずのままのサルコファガス
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image credit: Ancient Origins
 2015年、イタリアの考古学者たちが、盗掘を免れた2基のサルコファガスを発掘した。これらが謎に包まれていたエトルリア文明を明らかにする手がかりとなった。

 これは、ペルージア近くに住む農夫が自分の畑を耕していて偶然に2400年前の墓を掘り当てたものだ。1基は雪花石膏と大理石でできていて、男性の遺骸がおさめられていた。長い碑文と、死者の身元のヒントになる"Lars"という名前が刻まれていた。もう1基は着色された漆喰でできていたが、この脆い永眠の床は、過去のどこかの時点で崩れてしまって、死者の秘密も粉々になってしまった。

 西イタリアのトスカーナ付近で発展したエトルリア文明は、紀元前900年から500年ごろに栄えた。彼らが書法、ワイン作り、ヨーロッパ各地への道路の建設技術を伝えたが、肝心の彼ら自身のことはほとんどわかっていない。エトルリアの工芸品はめったに出土しないため、このサルコファガスの発見は重要だ。これらはエトルリアの社会政治の仕組み、習慣、宗教、特に死生観を知るうえで手がかりとなると研究者たちは考えている。


1. 顎鬚の男の謎
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image credit:Walters Art Museum
 ミイラの生前の似顔絵がついたローマ・エジプト様式のサルコファガスが、発見以来、ずっと考古学者たちの頭を悩ませている。

 紀元170~180年ごろのこの死者の肖像画は、どういうわけかずいぶん前に棺やミイラから分離されてしまい、肖像画に描かれている髭の男の身元は謎のままだ。

 ビザンティン帝国の人間のようだと言われているが、彼の少しすねたような表情が意味深で、ずっと研究者を惹きつけてやまない。色素を分析すれば、男の正体に迫ることができるかもしれないと期待されている。

 これまでのところ、およそ900体のミイラの肖像画が見つかっている。これらは紀元1世紀にローマがエジプトを占領したころから現れ始め、200年間ほど流行った。肖像画は木の板に描かれて、棺の頭がくる部分に取りつけられた。絵は自然主義的な描き方なので、研究者はこれらの類似点を比較して家族を特定しようとしている。肖像のほとんどは、ファイユームのアクロポリス(城砦)で見つかっている。

via:10 Secrets Of The Sarcophagi


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 急速な都市化、溶けつつある氷河、壊滅的な洪水、この地球は常に変動している。そんな地球の変化を衛星からとらえた画像がNASAから公開された。

 「変化のイメージ」と名付けられたこれらの画像を見ると、自然災害や人類や他の要因が数ヶ月、数年、そして数十年かけて、我々が暮らす地球にどのような変化をもたらしたのかが一目瞭然だ。

 「気候変動の影響もあるが、そうでないものもある。都市化や、火災や洪水などの自然災害の影響にもより、地球は常に変動している」とNASAはコメントしている。

1.急激な人口増加と都市化が進んだインドのニューデリー
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 ニューデリーでは、1991年と2016年の25年間で人口が940万人から2500万人へと爆発的に増え、都市化が進んだ。

 世界で最も人口が多い都市の1位は日本の東京、次いでインドのニューデリー。この25年間で、ニューデリーの人口はオーストラリアの人口よりも多くなったのだ。

 人口密度を比べると、アメリカのニューヨーク市は788.9平方キロメートルに840万人。一方、ニューデリーでは、42.7平方キロメートルに2500万人もが住んでいる。しかし、ニューデリーでは急激な人口増加に伴う基本的な社会サービスが整っておらず、学校、保健所、住宅、水道環境、仕事などのインフラが懸念事項となっており、政府もニューデリーは急増する人口を受け入れるだけの発展を遂げていないと述べている。

 そして、脆弱なインフラにより、都市のいたるところでスラム街が発生している。水やエネルギー不足、不適切な医療機関、老朽化した学校はインドの都市部ではあたりまえの光景だ。


2. アメリカ、ユタ州のグレート・ソルト・レイク
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1985年から2010年までの25年間のグレート・ソルト・レイクの変化だ。1985年(左)、グレート・レイクは雪解け水や豪雨により、貯水量はほぼ最大だった。25年後、1985年には3方を水に囲まれていたアンテロープアイランドの東側が陸地につながっている。

 ユタ州のグレート・ソルト・レイク:どのように形成されたのか?

 グレート・ソルト・レイクは、3万年前に小さな塩水湖により生まれた巨大な淡水湖ボンネビルの一部だった。
ボンネビルの跡が最もよく分かるのが湖の汀線に沿った地形に刻み込まれた古代の段丘。段丘は波により侵食され、等高線に続く比較的平地である。

 バッファローポイントから南を見ると、グレート・ソルト・レイクの表面から何千フィートも高い島に刻まれた見事なボンネビルの段丘が見える。氷河期後、地球の気候が乾燥するにつれボンネビルは干上り、次第にグレート・ソルト・レイクが形成された。

 NASAが公開した画像は1985年のものだけだが、1973年からグレート・ソルト・レイクを覆っていた氷が70パーセント減少し、湖の面積も小さくなっている。


3. たった2年で地表が様変わりしたグリーンランド
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 2014年から2016年、春や夏先になると氷床が劇的に溶け始めるようになった。

 グリーンランドの氷床がはやく溶ける環境とは?

 多くの人が明るい太陽がでている方が通常より早く氷床が溶けると思っている。しかし、氷床の雪の減少を分析すると、曇った空の方が溶けるのが早いという結果が出ている。

 雲は氷床を形成する雪を降らせる湿気を運ぶも、この効果は曇った天気に伴う高い温度で消失する。つまり、曇天条件では氷床が溶ける割合が3分の1増加する。その結果、本来より56億トンほど多い融氷水が海に流れ出ているという。

 研究を率いたベルギーのルーヴェン大学の博士課程の学生であるクリストフ・ヴァン・トリヒト氏は、氷床の融解に関する雲の役割が計算されたのは、今回が初めてのことで、この結果は理論的な気候モデルからは推定できないと述べいてる。

 2014年から2016年で、春や夏先になるとグリーンランドの氷床は劇的に溶け出した。グリーンランドにおける溶解域は2016年の平均記録を超え、38年前に衛星記録が始まって以来、10位を記録した。2015年は12位だったが、、2016年はその域がわずかに拡大し、海に流れ出た水により海水位も上昇している。NASAの画像は氷床が溶けている様子が分かる。


4. 鮮やかな緑色から血のような赤色に変わったイランのウルミエ湖
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 イランのウルミエ湖、2016年4月23日、水の色は鮮やかな緑だった。しかし、7月18日にはワイン色に変わっている。

 この色の変化は水中の有機体により生じている。イランの湖の水は暑い夏には減少し、塩分が高くなる。そのため、塩分と光で繁殖する微生物が異常繁殖し、赤く変わる。

 NASAは、季節的降雨や気候パターンにより、色の変化は春や夏先には珍しいことではないと述べるも、衛星のデータによると、この14年間で湖の70パーセントの表面積が失われているとも指摘している。

5. 鳥の生息地が減少したアメリカ、オーエンズ湖
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 ロサンゼルスから北へ約210キロ、シエラ・ネバダ山脈とイニョー山脈の間にオーエンズ湖がある。何千年もの間、オーエンズ湖は米国の西部の中でも多くの水鳥たちが渡る地域だった。

 しかし、20世紀初頭、オーエンズ湖に注ぐ水はロサンゼルス送水路へ送られるようになり、湖の水量は急速に減少し始めた。そして有害物質や粉塵により地域環境が汚染され、鳥たちの生息地が奪われた。


6. ニジェールのマラディにある最大の森林地帯
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 1976年(左)、濃い緑の部分はサバンナやサヘールの植物が広がる。2007年の画像(右)では、これらの地域が大幅に減少されていることが明らかである。地域での人口増加が原因だ。

 ニジェールのマラディで最大の森林地帯であったババン・ラフィ森林。NASAが撮った画像では、1976年から2007年までの間、多くの緑が失われていることが分かる。人口が増え、多くの地域が農業に使われたためだ。


7. 1985年から2007年のアメリカ、コロラド川の水量の変化
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 川の延長2330キロ、ロッキー山脈の西部を流れ、メキシコ湾へ注ぐコロラド川の水量の変化が見て取れる画像。1985年の画像(左)は、水量がマックスだった時、2007年の画像は一番乾燥していた時期。

NASAによると、過剰な雨や深刻な干ばつにより、コロラド川の水量が変化しているという。また、NASAは人類の生活のために多くの水が使われたことも要因だと指摘している。


8. 後退が急激に加速しているグリーンランドの氷河
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 2001年から2005年にかけて、グリーンランドのヘルヘイム氷河が年々後退していく様子。1970年代から2001年まで、氷河の先端の位置はほとんど変わらなかったが、気象変動の影響で2001年から2005年まで、約7.5キロほど後退している。また、氷河の厚みもどんどん薄くなっていると指摘する声もある。


9. ボリビアで2番目に大きな湖、ポオポ湖が干上がる
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 2016年、ボリビアで2番目に大きな湖、ポオポ湖が再び干上がった。2014年からポオポ湖は、農業や鉱業、また定期的な渇水により徐々に干上がっていった。

 ポオポ湖は以前も干上がったことがある。1994年のことで、水がたまるまでには数年の時を要した。エコシステムの回復にいたっては、数年以上かかっている。


10. インド、ガンジス川の洪水
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 2015年から2016年にかけての巨大なモンスーンの影響により、ガンジス川やインド中央部、西部の他の川があふれ、壊滅的な洪水がインドを襲った。

 NASAによると、この自然災害では300人以上の死者が出、600万人以上が被害にあったという。

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 これらの画像を公開したNASAは、環境破壊を止めるためには解決策が必要だと警鐘をならしている。

 「我々の星に関するこれらの全ての情報は、政治家や政府機関やその他の利害関係者にとって、世界中で起こっている深刻な問題を解決するための有効な情報となるでしょう」

 以下の公式サイトでスライダーを使いながら地球の変化を観察することができる。

Climate Change: Vital Signs of the Planet: Images-of-change
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via:NASA — Images of Changeclimateなど

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