ラクマも宜しくお願い致しますm(__)m
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Image by Gerd Altmann from Pixabay
何も考えていないと、群れのメンタリティについつい陥ってしまう。リーダーの言うことに唯々諾々と従っているのは楽だからだ。
群れのメンタリティとは、何かを達成するために人と群れ、人と同じ考えでいようとする態度のことだ。人は動物とは違うかもしれないが、会社や学校などには、そうした群れて生きる人がたくさんいる。
少しの間ならメリットもあるだろう。だが長い目で見るならば、あまりいいことではない。以下ではまず、群れのメンタリティの事例を5つほど見てみよう。
群れのメンタリティの5つの事例
1.混んでいるレストランの方に入りがち
正直になろう。似たようなレストランが2つあって、一方は混んでいる、もう一方はがらがらだといった場合、どちらを選ぶだろうか? おそらく混んでいるレストランに入るだろう。
これはあなたが群れのメンタリティの持ち主ならば正しい行いだ。大抵の人は混んでいる店ならば美味しいだろうと考える。
だが、たまたまそうだったという可能性だってある。シンプルで何気ない事例だが、真実ではなかろうか?
2. 大きなグループに引き寄せられる
学生時代はとかく誰かとつるみたがるが、そうした群れのメンタリティは大人になっても続くものだ。つきあう友達や所属するコミュニティを選ぶとき、人は大きなグループや社交的な人に引き寄せられる傾向がある。
学生時代は特に仲間の目が気になるもので、特定の人と付き合いがなかったりすると除け者にされるというプレッシャーがある。
だが、こうした態度は想像以上にその後の人生でも消えないものだ。注意深く観察してみよう。目の前のコミュニティは同じようなメンタリティの群れなのではないだろうか。
3. 投資
群れのメンタリティは投資にも見られる。大勢の人が、自分で考えて判断するのではなく、周囲の人の行動を横目で見やりながら、感情的にどの株を買うか決めているのだ。
投資家は親しい友人の行いを見て、性急に判断を下す。なぜ、そうしたのか聞いてみるといい。もっともらしい返答が返ってきたとしても、本当のところは恥をかきたくない、間違いを犯したくないという恐怖心ゆえのことだ。
間違いを犯したくないという恐怖は、もっと理性的できちんとした判断にすら勝ることがある。だが、長期的に堅実な利益を上げられるのは、そうした理性的な判断の方だ。
7. クリスチャンでもないのにクリスマスを祝う
キリスト教の行事なのに日本でもなんだか当たり前になってしまったイベントだが、あなたと同じような人がたくさんいるのなら、それは群れのメンタリティだ。
毎年、年末が近づくとデパートやネットストアでは大げさにお得なクリスマスセールが喧伝される。人はこれに弱く、一人また一人とヒステリックなショッピングムードに浮かれ騒ぐようになる。
販売店の旗振りに大勢が踊らされているが、この傾向がすぐに収まる気配はなさそうだ。
5. 信仰やスピリチュアリティ
心の信仰の分野でも群れのメンタリティは幅を利かせている。
自称教師の中には、とにかく”真実”を自分以外の人間に伝えたがる者がいる。そして、そうした自称教師に多くの信奉者がつくこともある。すると個人の真実はすぐに群れの真実になる。
そうやってコミュニティが大きくなれば、群れの重力も大きくなり、ますます多くの人が集まってくるだろう。
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Image by melitas/iStock
群れのメンタリティが不健全である理由
ちょっと考えてみてほしい。とても大きなグループがあったとする。そこに所属する人たちの知能は平均以下だ。ここにいく人か、頭脳明晰な人たちが加わったとする。
さて、このグループの賢さは向上するだろうか? 答えはノーだ。
群れのメンタリティがあると、グループに新しい刺激が加わったとしても、変化は見られない。ほとんどの場合、そうした知的な人たちはグループにとってほとんど意味をなさず、むしろ無視されるのがオチだ。
前へならえの精神では、変化を起こし、道を切り開くことはできない。そもそも群れに属している人たちは、自分たちがどこへ向かっているのかすらわかっていないのだ。ゆえに、群れのメンタリティは避けるべきなのだ。
そのための方法は次のようなものだ。
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image by Benjavisa/iStock
衝突を覚悟する
規範や常識にしたがうかわりに、別の選択をしてみるといい。楽な道を進み、ただ一緒に暮らしているからとか、仲がいいからといった理由で周囲に迎合するのはやめよう。
群れに合わせているのが楽である一方で、周囲に逆らうのは辛いものだ。だが、このメンタリティから抜け出すには、衝突を恐れてはいけない。
ノーという練習をしよう。ぶつかることに慣れよう。大勢の人が選ばなかった道を進もう。それがスタート地点だ。
自分自身を知ろう
あなたは何者だろうか? 別の言い方をするなら、もし自分以外に誰もいないのだとしたら、あなたはどんな人になるだろうか?
ほとんどの人は自分を他人との関係性で捉えている。たとえば、家庭の中だったら夫や妻、父や母といった具合。会社の中だったら、上司や部下といった具合だ。
あなたがもし群れのメンタリティにはまり込んでいるのならば、自分自身と時間を過ごしてみよう。他人の影響は一切抜きで、あなた自身をハッピーな気分にしてくれる物事を探そう。
それがあなた自身を知り、長いものに巻かれろの精神から脱却する方法だ。
もっと反対しよう
先ほどノーと言う練習をしようと伝えた。だが、それだけではヌルい。相手の将来性が高そうだからとか、人気があるからといった理由で、他人に同意することを止めよう。
違うと思ったら、そう言えばいい。
そうした反対意見は、多数派を驚かし、周囲をざわつかせることもあるだろう。だが、多数派に反対できる能力は、あなた個人をきちんと両足で立たせ、群れを出ることにつながる。
群れを出るのが遅すぎることはない
長いこと群れに属していたからといって、そのメンタリティを変えられないということはない。
集団に迎合するというのは、ある意味死んでいるようなものだ。これを読んで何かを感じることがあれば、あなたは深い眠りから目覚めたがっているのかもしれない。
少し自分を振り返って、自分が何について行っているのか考えてみよう。あなたは誰の後ろを歩き、なぜそうしているのだろうか? その答えに愕然とするかもしれない。
だが、そのときこそ、あなたが群れから離れる旅立ちの瞬間だ。
References:5 Examples of Herd Mentality and How to Avoid Falling into It – Learning Mind/
☆俺は団体行動が大嫌いじゃ!
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Image by Gerd Altmann from Pixabay
何も考えていないと、群れのメンタリティについつい陥ってしまう。リーダーの言うことに唯々諾々と従っているのは楽だからだ。
群れのメンタリティとは、何かを達成するために人と群れ、人と同じ考えでいようとする態度のことだ。人は動物とは違うかもしれないが、会社や学校などには、そうした群れて生きる人がたくさんいる。
少しの間ならメリットもあるだろう。だが長い目で見るならば、あまりいいことではない。以下ではまず、群れのメンタリティの事例を5つほど見てみよう。
群れのメンタリティの5つの事例
1.混んでいるレストランの方に入りがち
正直になろう。似たようなレストランが2つあって、一方は混んでいる、もう一方はがらがらだといった場合、どちらを選ぶだろうか? おそらく混んでいるレストランに入るだろう。
これはあなたが群れのメンタリティの持ち主ならば正しい行いだ。大抵の人は混んでいる店ならば美味しいだろうと考える。
だが、たまたまそうだったという可能性だってある。シンプルで何気ない事例だが、真実ではなかろうか?
2. 大きなグループに引き寄せられる
学生時代はとかく誰かとつるみたがるが、そうした群れのメンタリティは大人になっても続くものだ。つきあう友達や所属するコミュニティを選ぶとき、人は大きなグループや社交的な人に引き寄せられる傾向がある。
学生時代は特に仲間の目が気になるもので、特定の人と付き合いがなかったりすると除け者にされるというプレッシャーがある。
だが、こうした態度は想像以上にその後の人生でも消えないものだ。注意深く観察してみよう。目の前のコミュニティは同じようなメンタリティの群れなのではないだろうか。
3. 投資
群れのメンタリティは投資にも見られる。大勢の人が、自分で考えて判断するのではなく、周囲の人の行動を横目で見やりながら、感情的にどの株を買うか決めているのだ。
投資家は親しい友人の行いを見て、性急に判断を下す。なぜ、そうしたのか聞いてみるといい。もっともらしい返答が返ってきたとしても、本当のところは恥をかきたくない、間違いを犯したくないという恐怖心ゆえのことだ。
間違いを犯したくないという恐怖は、もっと理性的できちんとした判断にすら勝ることがある。だが、長期的に堅実な利益を上げられるのは、そうした理性的な判断の方だ。
7. クリスチャンでもないのにクリスマスを祝う
キリスト教の行事なのに日本でもなんだか当たり前になってしまったイベントだが、あなたと同じような人がたくさんいるのなら、それは群れのメンタリティだ。
毎年、年末が近づくとデパートやネットストアでは大げさにお得なクリスマスセールが喧伝される。人はこれに弱く、一人また一人とヒステリックなショッピングムードに浮かれ騒ぐようになる。
販売店の旗振りに大勢が踊らされているが、この傾向がすぐに収まる気配はなさそうだ。
5. 信仰やスピリチュアリティ
心の信仰の分野でも群れのメンタリティは幅を利かせている。
自称教師の中には、とにかく”真実”を自分以外の人間に伝えたがる者がいる。そして、そうした自称教師に多くの信奉者がつくこともある。すると個人の真実はすぐに群れの真実になる。
そうやってコミュニティが大きくなれば、群れの重力も大きくなり、ますます多くの人が集まってくるだろう。
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Image by melitas/iStock
群れのメンタリティが不健全である理由
ちょっと考えてみてほしい。とても大きなグループがあったとする。そこに所属する人たちの知能は平均以下だ。ここにいく人か、頭脳明晰な人たちが加わったとする。
さて、このグループの賢さは向上するだろうか? 答えはノーだ。
群れのメンタリティがあると、グループに新しい刺激が加わったとしても、変化は見られない。ほとんどの場合、そうした知的な人たちはグループにとってほとんど意味をなさず、むしろ無視されるのがオチだ。
前へならえの精神では、変化を起こし、道を切り開くことはできない。そもそも群れに属している人たちは、自分たちがどこへ向かっているのかすらわかっていないのだ。ゆえに、群れのメンタリティは避けるべきなのだ。
そのための方法は次のようなものだ。
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image by Benjavisa/iStock
衝突を覚悟する
規範や常識にしたがうかわりに、別の選択をしてみるといい。楽な道を進み、ただ一緒に暮らしているからとか、仲がいいからといった理由で周囲に迎合するのはやめよう。
群れに合わせているのが楽である一方で、周囲に逆らうのは辛いものだ。だが、このメンタリティから抜け出すには、衝突を恐れてはいけない。
ノーという練習をしよう。ぶつかることに慣れよう。大勢の人が選ばなかった道を進もう。それがスタート地点だ。
自分自身を知ろう
あなたは何者だろうか? 別の言い方をするなら、もし自分以外に誰もいないのだとしたら、あなたはどんな人になるだろうか?
ほとんどの人は自分を他人との関係性で捉えている。たとえば、家庭の中だったら夫や妻、父や母といった具合。会社の中だったら、上司や部下といった具合だ。
あなたがもし群れのメンタリティにはまり込んでいるのならば、自分自身と時間を過ごしてみよう。他人の影響は一切抜きで、あなた自身をハッピーな気分にしてくれる物事を探そう。
それがあなた自身を知り、長いものに巻かれろの精神から脱却する方法だ。
もっと反対しよう
先ほどノーと言う練習をしようと伝えた。だが、それだけではヌルい。相手の将来性が高そうだからとか、人気があるからといった理由で、他人に同意することを止めよう。
違うと思ったら、そう言えばいい。
そうした反対意見は、多数派を驚かし、周囲をざわつかせることもあるだろう。だが、多数派に反対できる能力は、あなた個人をきちんと両足で立たせ、群れを出ることにつながる。
群れを出るのが遅すぎることはない
長いこと群れに属していたからといって、そのメンタリティを変えられないということはない。
集団に迎合するというのは、ある意味死んでいるようなものだ。これを読んで何かを感じることがあれば、あなたは深い眠りから目覚めたがっているのかもしれない。
少し自分を振り返って、自分が何について行っているのか考えてみよう。あなたは誰の後ろを歩き、なぜそうしているのだろうか? その答えに愕然とするかもしれない。
だが、そのときこそ、あなたが群れから離れる旅立ちの瞬間だ。
References:5 Examples of Herd Mentality and How to Avoid Falling into It – Learning Mind/
☆俺は団体行動が大嫌いじゃ!