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![unfinished-obelisk-aswan]()
エジプトの首都カイロから、ナイル河に沿って900kmほど遡ったところに、アスワンという都市がある。ここには採石場があり、切り出された良質の花崗岩は、古代エジプトにおける神殿や彫刻、モニュメント(記念碑)の材料として用いられた。
その古代の採石場には、切り出す途中で放棄された巨大なオベリスクが3500年前から横たわったまま時を刻んでいる。
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オベリスクとは、古代エジプト期に製作され、神殿などに立てられたモニュメントの一種である。 後世のギリシャ人が”obeliskos(串)”と呼んだのが起源で、当時のエジプトでは「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。近代では、エジプトに拠らず欧米の主要都市の中央広場などにも建設されている。
採石場に横たわるオベリスク
アスワン産の花崗岩は、ギザにあるクフ王、カフラー王などのピラミッドの建材となった。そしてまた、「クレオパトラの針」と呼ばれる有名なオベリスクもここから切り出されたものである。これらは、パリ、ロンドン、ニューヨークにエジプトから移されたものだ。
![unfinished-obelisk-aswan]()
image credit: imgur
放棄された「未完成のオベリスク」(Unfinished Obelisk)は、採石場の北部に、天辺を東北東に向けて横たわっている。
もし完成していれば、高さ約42mと、古代エジプトでは最も高いオベリスクとなったはずなのだ。1,100トン程の重量も、やはり、古代エジプト最大となっただろう。
しかし、残念ながらこのオベリスクが完成する日は来なかった。切り出しの途中で花崗岩にひびが入り、放棄されることになったのである。
![crack]()
imege credit: Ad Meskens / Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0 or GFDL]
切りかけのオベリスクは、3,500年前の姿を保ちつつ、依然として同じ場所にある。職人たちは基岩から直接オベリスクを掘り出していたのだ。下になっている側は、まだ基岩と一体のままなのである。
![Dan Lundberg]()
imege credit: Dan Lundberg / flickr [CC BY-SA 2.0]
どこへ立てられるはずだったのか
古代エジプトでは、オベリスクは太陽神ラーの聖なるシンボルとして、神殿内の開けた広場に立てられたのである。ピラミッド上の先端部には金属が張ってあり、日光を反射して神殿内を光で満たしたのだ。
このオベリスクが造られたのは、紀元前15世紀のファラオ、ハトシェプスト女王の命によると考えられている。カルナック神殿にあったラテラン・オベリスクを補完するものとなる予定だったようだ。
ラテラン・オベリスクの方は、その後、ローマ帝国時代にローマに移設されている。高さ32.18mで、古代エジプトのオベリスクのうち、立位状態のものとしては最大だ。
サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂にあるラテラン・オベリスク
![Lateran_Obelisk]()
imege credit: Friedhelm Droge / Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0]
切り出し跡から推測される古代の技術
「未完成のオベリスク」は、古代エジプトの石材加工技術について、一歩進んだ洞察を与えてくれる。職人の道具が石の表面につけた跡が今でもくっきり残っているのだ。また、黄土色の線も見られる。これはおそらく、切り出し位置の印として描かれたものであろう。
考古学者によると、古代エジプトでは花崗岩に切り込むのに、花崗岩より硬い粗粒玄武岩(dolerite)の小さな球を使ったらしい。
![hit3]()
image credit: Hidden Inca Tours
側面の切込みが入ったら、下部を基岩から切り離す必要がある。この工程では、まず、切るべき線に沿って、岩に小さな穴を開ける。その穴に木製のスパイクを挿し込み、水で濡らすのだ。すると、水を吸った木材は膨れ上がり、線通りに岩が割れていくのである。
![hit4]()
image credit: Hidden Inca Tours
アスワンのいにしえの採石場では、他にも小さなオベリスクが発見された。現在は採石場全体が野外博物館となっており、エジプトの考古学遺産として保護されている。「未完成のオベリスク」は、グーグルマップの航空写真でも視認可能だ。
via: Amusing Planet / Ask Aladdin など
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エジプトの首都カイロから、ナイル河に沿って900kmほど遡ったところに、アスワンという都市がある。ここには採石場があり、切り出された良質の花崗岩は、古代エジプトにおける神殿や彫刻、モニュメント(記念碑)の材料として用いられた。
その古代の採石場には、切り出す途中で放棄された巨大なオベリスクが3500年前から横たわったまま時を刻んでいる。
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オベリスクとは、古代エジプト期に製作され、神殿などに立てられたモニュメントの一種である。 後世のギリシャ人が”obeliskos(串)”と呼んだのが起源で、当時のエジプトでは「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。近代では、エジプトに拠らず欧米の主要都市の中央広場などにも建設されている。
採石場に横たわるオベリスク
アスワン産の花崗岩は、ギザにあるクフ王、カフラー王などのピラミッドの建材となった。そしてまた、「クレオパトラの針」と呼ばれる有名なオベリスクもここから切り出されたものである。これらは、パリ、ロンドン、ニューヨークにエジプトから移されたものだ。
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image credit: imgur
放棄された「未完成のオベリスク」(Unfinished Obelisk)は、採石場の北部に、天辺を東北東に向けて横たわっている。
もし完成していれば、高さ約42mと、古代エジプトでは最も高いオベリスクとなったはずなのだ。1,100トン程の重量も、やはり、古代エジプト最大となっただろう。
しかし、残念ながらこのオベリスクが完成する日は来なかった。切り出しの途中で花崗岩にひびが入り、放棄されることになったのである。
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imege credit: Ad Meskens / Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0 or GFDL]
切りかけのオベリスクは、3,500年前の姿を保ちつつ、依然として同じ場所にある。職人たちは基岩から直接オベリスクを掘り出していたのだ。下になっている側は、まだ基岩と一体のままなのである。
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imege credit: Dan Lundberg / flickr [CC BY-SA 2.0]
どこへ立てられるはずだったのか
古代エジプトでは、オベリスクは太陽神ラーの聖なるシンボルとして、神殿内の開けた広場に立てられたのである。ピラミッド上の先端部には金属が張ってあり、日光を反射して神殿内を光で満たしたのだ。
このオベリスクが造られたのは、紀元前15世紀のファラオ、ハトシェプスト女王の命によると考えられている。カルナック神殿にあったラテラン・オベリスクを補完するものとなる予定だったようだ。
ラテラン・オベリスクの方は、その後、ローマ帝国時代にローマに移設されている。高さ32.18mで、古代エジプトのオベリスクのうち、立位状態のものとしては最大だ。
サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂にあるラテラン・オベリスク
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imege credit: Friedhelm Droge / Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0]
切り出し跡から推測される古代の技術
「未完成のオベリスク」は、古代エジプトの石材加工技術について、一歩進んだ洞察を与えてくれる。職人の道具が石の表面につけた跡が今でもくっきり残っているのだ。また、黄土色の線も見られる。これはおそらく、切り出し位置の印として描かれたものであろう。
考古学者によると、古代エジプトでは花崗岩に切り込むのに、花崗岩より硬い粗粒玄武岩(dolerite)の小さな球を使ったらしい。
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image credit: Hidden Inca Tours
側面の切込みが入ったら、下部を基岩から切り離す必要がある。この工程では、まず、切るべき線に沿って、岩に小さな穴を開ける。その穴に木製のスパイクを挿し込み、水で濡らすのだ。すると、水を吸った木材は膨れ上がり、線通りに岩が割れていくのである。
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image credit: Hidden Inca Tours
アスワンのいにしえの採石場では、他にも小さなオベリスクが発見された。現在は採石場全体が野外博物館となっており、エジプトの考古学遺産として保護されている。「未完成のオベリスク」は、グーグルマップの航空写真でも視認可能だ。
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