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日本のサムライとスペインのコンキスタドールはどちらが強いのか? あるいはローマ兵と古代中国兵の勝者は? 最強の戦士については白熱の議論が繰り広げられる。
だが実際に歴史を通じて、非常に珍しい組み合わせの戦いが生じている。ここでは猛獣を含めて実際に行われたと語り継がれている、10の異種格闘戦いをその結果と共に見ていくことにしよう。
10. 日本のサムライ vs. スペインのコンキスタドール
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1582年、スペインのコンキスタドールと日本刀で武装した侍との戦いがあった。貿易のためフィリピンを訪れたスペイン人は日本の海賊と遭遇。40人ほどのスペイン人は海賊船を発見すると、そこに乗り込んだ。
そこにはサムライの一団が待ち受けていた。侍は日本刀で武装し、海賊からの火縄銃による支援を受けている。対するコンキスタドールは長槍とマスケット銃で武装。西洋の槍と日本の刀の戦いである。
結果:コンキスタドールの圧勝
サムライの武器はコンキスタドールの鎧を貫くことができず、援護射撃の精度もスペイン勢が上回っていた。コンキスタドール40名は数千人を乗せた日本船10隻を蹴散らす。ファン・パブロ・デ・カリオンが恫喝すると日本勢は一目散に退却した。
9. 戦象 vs. 砲兵
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1825年、ダヌビュの拠点を大英帝国軍に包囲されたビルマの将軍マハ・バンドゥーラは、イギリスの砲兵を破るために17頭の戦象でなる精鋭部隊を出撃させた。
技術的に自分たちを上回る敵軍を倒すためチャンスに賭けたのだ。古来より無敵を誇った戦象部隊であるが、今回の相手は銃と大砲で武装した近代的な軍隊だ。伝統と最先端の戦いである。
結果:イギリス軍砲兵の圧勝
戦象兵は敵の前線にも辿り着くことができなかった。出撃後、銃弾と砲弾の集中砲火を受け、敵にまったく攻撃を加えることなく戦象は死んだ。
イギリス軍が再度攻撃を開始すると、バンドゥーラは逃走。ビルマ軍は力の限り戦ったが、最新兵器に抗する術はなかった。
8. ヴァイキング vs. ネイティブアメリカン
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ヴァイキングが初めて新世界を訪れたのは10世紀のことだ。赤毛のエイリークの息子、ソルヴァルドはニューファンドランドで現地の部族と対峙することになる。
相手はおそらくイヌイットだと思われる。話し合いが物別れに終わると、ソルヴァルドは地元民を誘拐し、8人を殺害。両者の対立は決定的になった。
結果:ネイティブアメリカンの勝利
1対1ではヴァイキングに敵わなかっただろうネイティブアメリカンだが、彼らは優れた戦術家であった。フィヨルド沿いを毛皮でカモフラージュした船に乗ってソルヴァルドを追跡。谷を通過するヴァイキングめがけて矢を一斉に射掛けては、逃走するという戦術をとった。
これによりソルヴァルドは絶命。その後も投石機でヴァイキングの村を襲撃すると、2名を殺害し、残党も追い払った。執拗に繰り返される襲撃に耐えられず、ヴァイキングたちは新世界を後にした。
7. 少林寺 vs 海賊
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1550年、ポルトガル人、中国人、日本人の海賊が少林寺の僧侶と戦った。海賊たちは明王朝でやりたい放題であり、その対策として皇帝が1,000年の歴史を持つ少林寺に助けを求めたのだ。
カンフーや棒術をマスターした僧侶の相手は、ポルトガル伝来の銃と大砲で武装した海賊だ。鍛錬とテクノロジーの戦いである。
結果:少林寺の圧勝
戦いは4度行われ、少林寺が3勝した。その1つでは、120名の僧侶と120名の海賊が対峙し、僧侶が海賊を皆殺しにした。一方、少林寺側の死者は4名のみである。海賊は鉄の棒によって叩きのめされたという。
6. トラ vs. ライオン
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草原の王者の座をかけた戦いは何度か起きている。自然界においてトラとライオンはお互いに無視を決め込むことが多いが、人間が見世物として戦わせたのである。ローマが1世紀にこれを行い、19世紀にインドでも真似された。
結果:トラの圧勝
どちらもトラが圧勝している。ローマの記録によると、トラはライオンを殺しただけでなく、ズタズタに引き裂いたという。
インドではこれを主催したヴァドーダラーのガーイクワード家がライオンに37,000ルピーを賭け、全額を摩る羽目になった。ローマの詩人マルティアリスは、トラは「森の中では事なかれ主義だが、人前では凄まじく獰猛に豹変する」と記している。
5. モンゴルの騎馬兵 vs. ヨーロッパの騎士
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モンゴル軍はアジアを制圧すると、そのままヨーロッパへ侵攻し、鎧をまとった騎士と対決した。
特筆すべきは1241年のワールシュタットの戦いで、モンゴル軍7万とポーランド・ドイツ連合軍が衝突。ポーランドの騎士はランスとブロードソード、モンゴル騎馬兵は弓矢で武装していた。
結果:モンゴル騎馬兵の圧勝
攻撃と退却を繰り返すモンゴルの戦術に慣れていない連合軍はこれに翻弄され、遠くから射掛けられる矢によってばたばたと倒れた。
突撃しか知らない騎士たちは騎馬兵の動きに対応できず、25,000名が命を落とした。モンゴル軍は騎士の耳をそぎ落とし、それを9袋分も集めたという。
4. 僧兵 vs. サムライ
![7_e4]()
1180年、平家打倒の令を発するもこれに感づかれた以仁王は三井寺に潜伏していた。態勢の立て直しを図るも、平家の追っ手が迫ったため僧兵を伴い脱出。南都へと落ち延びた。
やがて平家の軍に追いつかれ宇治橋で交戦した。平家の侍と弓や剣で武装した僧兵との戦いである。
結果:僧兵の束の間の勝利
僧兵の華々しい活躍が伝えられている。五智院の但馬は飛んでくる矢を切りはらうなど巧みな技を披露。浄妙坊は24本の矢で12人を討ち取り、11人を負傷させた。
しかし次々と迫る追っ手にさしもの僧兵も防ぎきることができず、結局以仁王は討ち取られている。
3. ローマ軍 vs. 中国軍
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紀元前36年、ローマ軍の1軍団が行方不明になった。真相については諸説あるが、一説によると東へ向かいモンゴルのフン族に出会ったという。
亡命に成功したかに思えたが、漢民族の軍隊が立ちはだかった。こうして史上初めてローマ軍と中国軍が戦うことになる。漢民族は歩兵と騎兵で、中国古来の兵法に長けている。記録によると、ローマ軍団は145人ほどで長方形の盾を持ち、亀のような陣形を組んでいたという。
結果:ローマ軍の判定勝ち
漢民族が勝利しているが、まともな戦いではない。モンゴルの支援があったとは言え、たった145人のローマ兵に圧倒的な数の漢民族が襲いかかったのである。
それでもローマ兵は奮闘し、漢民族を感嘆させた。生き残った者は漢軍に編成されたという。
2. ヴァイキング vs. イスラム帝国
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ヨーロッパを席巻したヴァイキングだが、844年にはイスラム王朝のウマイヤ朝に襲いかかった。当時、イスラム教は世界中に広まっており、現在のポルトガルやスペインもイスラム圏であった。
ウマイヤ朝で最初にヴァイキング襲来の報を受けたのはアブド・アッラフマーン2世で、リスボンに100隻あまりのヴァイキング船が並んでいたという。これをイスラム兵が迎え撃った。
結果:最終的にはイスラムの勝利
イスラム兵は序盤で大いに苦戦することになる。ヴァイキングはリスボンを破壊すると焼き払った。それから1月の間、ポルトガル中で暴れまわり、男を殺し、女と子供は奴隷にした。
流れが変わったのは首都コルドバから援軍が到着してからだ。復讐に駆られるイスラム兵はヴァイキングの船などの所有物を何もかも燃やし、あらゆるヴァイキングを殺し尽くした。
1. ローマ皇帝 vs. 殺人クジラ
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ローマの博物学者であった大プリニウスは、オスティアの港でクラウディウス帝が殺人クジラと戦っているところを目撃したと記している。
1隻の船が転覆し、港に毛皮を撒き散らしたのだという。これにクジラが引き寄せられてくるが、浅瀬に乗り上げ、暴れていた。皇帝はいい見世物になると踏んで、自らの戦いをローマの大衆に披露することにした。
結果:クジラの判定勝ち
無論、クラウディウス帝はまともに戦ったわけではない。船で囲んで身の安全を確保してから挑んだのだ。ところが、追い詰められたクジラは潮を吹いて1隻の船を転覆させた。その直後、他の船に乗っていたローマ兵が一斉に槍でクジラを突き刺した。
クジラは死んだが、宣伝されたような皇帝とクジラの一騎打ちではない。犠牲者の数で言えば、クジラの勝利だ。
via:Top 10 “Who Would Win” Battles That Played Out In Real Life
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日本のサムライとスペインのコンキスタドールはどちらが強いのか? あるいはローマ兵と古代中国兵の勝者は? 最強の戦士については白熱の議論が繰り広げられる。
だが実際に歴史を通じて、非常に珍しい組み合わせの戦いが生じている。ここでは猛獣を含めて実際に行われたと語り継がれている、10の異種格闘戦いをその結果と共に見ていくことにしよう。
10. 日本のサムライ vs. スペインのコンキスタドール
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1582年、スペインのコンキスタドールと日本刀で武装した侍との戦いがあった。貿易のためフィリピンを訪れたスペイン人は日本の海賊と遭遇。40人ほどのスペイン人は海賊船を発見すると、そこに乗り込んだ。
そこにはサムライの一団が待ち受けていた。侍は日本刀で武装し、海賊からの火縄銃による支援を受けている。対するコンキスタドールは長槍とマスケット銃で武装。西洋の槍と日本の刀の戦いである。
結果:コンキスタドールの圧勝
サムライの武器はコンキスタドールの鎧を貫くことができず、援護射撃の精度もスペイン勢が上回っていた。コンキスタドール40名は数千人を乗せた日本船10隻を蹴散らす。ファン・パブロ・デ・カリオンが恫喝すると日本勢は一目散に退却した。
9. 戦象 vs. 砲兵
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1825年、ダヌビュの拠点を大英帝国軍に包囲されたビルマの将軍マハ・バンドゥーラは、イギリスの砲兵を破るために17頭の戦象でなる精鋭部隊を出撃させた。
技術的に自分たちを上回る敵軍を倒すためチャンスに賭けたのだ。古来より無敵を誇った戦象部隊であるが、今回の相手は銃と大砲で武装した近代的な軍隊だ。伝統と最先端の戦いである。
結果:イギリス軍砲兵の圧勝
戦象兵は敵の前線にも辿り着くことができなかった。出撃後、銃弾と砲弾の集中砲火を受け、敵にまったく攻撃を加えることなく戦象は死んだ。
イギリス軍が再度攻撃を開始すると、バンドゥーラは逃走。ビルマ軍は力の限り戦ったが、最新兵器に抗する術はなかった。
8. ヴァイキング vs. ネイティブアメリカン
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ヴァイキングが初めて新世界を訪れたのは10世紀のことだ。赤毛のエイリークの息子、ソルヴァルドはニューファンドランドで現地の部族と対峙することになる。
相手はおそらくイヌイットだと思われる。話し合いが物別れに終わると、ソルヴァルドは地元民を誘拐し、8人を殺害。両者の対立は決定的になった。
結果:ネイティブアメリカンの勝利
1対1ではヴァイキングに敵わなかっただろうネイティブアメリカンだが、彼らは優れた戦術家であった。フィヨルド沿いを毛皮でカモフラージュした船に乗ってソルヴァルドを追跡。谷を通過するヴァイキングめがけて矢を一斉に射掛けては、逃走するという戦術をとった。
これによりソルヴァルドは絶命。その後も投石機でヴァイキングの村を襲撃すると、2名を殺害し、残党も追い払った。執拗に繰り返される襲撃に耐えられず、ヴァイキングたちは新世界を後にした。
7. 少林寺 vs 海賊
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1550年、ポルトガル人、中国人、日本人の海賊が少林寺の僧侶と戦った。海賊たちは明王朝でやりたい放題であり、その対策として皇帝が1,000年の歴史を持つ少林寺に助けを求めたのだ。
カンフーや棒術をマスターした僧侶の相手は、ポルトガル伝来の銃と大砲で武装した海賊だ。鍛錬とテクノロジーの戦いである。
結果:少林寺の圧勝
戦いは4度行われ、少林寺が3勝した。その1つでは、120名の僧侶と120名の海賊が対峙し、僧侶が海賊を皆殺しにした。一方、少林寺側の死者は4名のみである。海賊は鉄の棒によって叩きのめされたという。
6. トラ vs. ライオン
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草原の王者の座をかけた戦いは何度か起きている。自然界においてトラとライオンはお互いに無視を決め込むことが多いが、人間が見世物として戦わせたのである。ローマが1世紀にこれを行い、19世紀にインドでも真似された。
結果:トラの圧勝
どちらもトラが圧勝している。ローマの記録によると、トラはライオンを殺しただけでなく、ズタズタに引き裂いたという。
インドではこれを主催したヴァドーダラーのガーイクワード家がライオンに37,000ルピーを賭け、全額を摩る羽目になった。ローマの詩人マルティアリスは、トラは「森の中では事なかれ主義だが、人前では凄まじく獰猛に豹変する」と記している。
5. モンゴルの騎馬兵 vs. ヨーロッパの騎士
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モンゴル軍はアジアを制圧すると、そのままヨーロッパへ侵攻し、鎧をまとった騎士と対決した。
特筆すべきは1241年のワールシュタットの戦いで、モンゴル軍7万とポーランド・ドイツ連合軍が衝突。ポーランドの騎士はランスとブロードソード、モンゴル騎馬兵は弓矢で武装していた。
結果:モンゴル騎馬兵の圧勝
攻撃と退却を繰り返すモンゴルの戦術に慣れていない連合軍はこれに翻弄され、遠くから射掛けられる矢によってばたばたと倒れた。
突撃しか知らない騎士たちは騎馬兵の動きに対応できず、25,000名が命を落とした。モンゴル軍は騎士の耳をそぎ落とし、それを9袋分も集めたという。
4. 僧兵 vs. サムライ
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1180年、平家打倒の令を発するもこれに感づかれた以仁王は三井寺に潜伏していた。態勢の立て直しを図るも、平家の追っ手が迫ったため僧兵を伴い脱出。南都へと落ち延びた。
やがて平家の軍に追いつかれ宇治橋で交戦した。平家の侍と弓や剣で武装した僧兵との戦いである。
結果:僧兵の束の間の勝利
僧兵の華々しい活躍が伝えられている。五智院の但馬は飛んでくる矢を切りはらうなど巧みな技を披露。浄妙坊は24本の矢で12人を討ち取り、11人を負傷させた。
しかし次々と迫る追っ手にさしもの僧兵も防ぎきることができず、結局以仁王は討ち取られている。
3. ローマ軍 vs. 中国軍
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紀元前36年、ローマ軍の1軍団が行方不明になった。真相については諸説あるが、一説によると東へ向かいモンゴルのフン族に出会ったという。
亡命に成功したかに思えたが、漢民族の軍隊が立ちはだかった。こうして史上初めてローマ軍と中国軍が戦うことになる。漢民族は歩兵と騎兵で、中国古来の兵法に長けている。記録によると、ローマ軍団は145人ほどで長方形の盾を持ち、亀のような陣形を組んでいたという。
結果:ローマ軍の判定勝ち
漢民族が勝利しているが、まともな戦いではない。モンゴルの支援があったとは言え、たった145人のローマ兵に圧倒的な数の漢民族が襲いかかったのである。
それでもローマ兵は奮闘し、漢民族を感嘆させた。生き残った者は漢軍に編成されたという。
2. ヴァイキング vs. イスラム帝国
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ヨーロッパを席巻したヴァイキングだが、844年にはイスラム王朝のウマイヤ朝に襲いかかった。当時、イスラム教は世界中に広まっており、現在のポルトガルやスペインもイスラム圏であった。
ウマイヤ朝で最初にヴァイキング襲来の報を受けたのはアブド・アッラフマーン2世で、リスボンに100隻あまりのヴァイキング船が並んでいたという。これをイスラム兵が迎え撃った。
結果:最終的にはイスラムの勝利
イスラム兵は序盤で大いに苦戦することになる。ヴァイキングはリスボンを破壊すると焼き払った。それから1月の間、ポルトガル中で暴れまわり、男を殺し、女と子供は奴隷にした。
流れが変わったのは首都コルドバから援軍が到着してからだ。復讐に駆られるイスラム兵はヴァイキングの船などの所有物を何もかも燃やし、あらゆるヴァイキングを殺し尽くした。
1. ローマ皇帝 vs. 殺人クジラ
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ローマの博物学者であった大プリニウスは、オスティアの港でクラウディウス帝が殺人クジラと戦っているところを目撃したと記している。
1隻の船が転覆し、港に毛皮を撒き散らしたのだという。これにクジラが引き寄せられてくるが、浅瀬に乗り上げ、暴れていた。皇帝はいい見世物になると踏んで、自らの戦いをローマの大衆に披露することにした。
結果:クジラの判定勝ち
無論、クラウディウス帝はまともに戦ったわけではない。船で囲んで身の安全を確保してから挑んだのだ。ところが、追い詰められたクジラは潮を吹いて1隻の船を転覆させた。その直後、他の船に乗っていたローマ兵が一斉に槍でクジラを突き刺した。
クジラは死んだが、宣伝されたような皇帝とクジラの一騎打ちではない。犠牲者の数で言えば、クジラの勝利だ。
via:Top 10 “Who Would Win” Battles That Played Out In Real Life
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