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image by:Leonardo Da Vinci's 33 barreled organ (1/6 scale)
戦争は常に、敵を倒すための効果的な方法を競って開発する原動力となってきた。これまでの歴史を見ても、長引く戦争中には必ずといっていいほど新たな兵器が開発されている。だが、当時の技術ではまだその設計に応えられなかったため、失敗に終わることも多かった。
例えば、初期の地雷は火薬が詰まっていたが、地中の湿気のせいで火薬が湿って使い物にならず、しばしば不発に終わった。
冶金や化学の技術が進歩するにつれ、兵器を製造し使いまわす効率のいい方法が発見され、科学者、芸術家、数学者などが、今日使われている多くの兵器の前身となる武器をこぞって開発した。
時代を先取りしていたわけだが、技術がアイデアに追いつくにつれ、多くが恐ろしいほどの殺傷力をもつ兵器へと変貌していったのだ。
10. 殺人光線
殺人光線という武器は、SFやスパイ小説の中だけの話だと思われがちだが、実は、かなり昔からアイデアはあった。
古代ギリシャの哲学者で数学者のあのアルキメデスは、ポエニ戦争のときにいくつかの兵器を発明していたという。ひとつは、シラクサの攻防戦で使われたという「アルキメデスの鉤爪」。この武器は、てこと滑車の原理を応用して、ローマの軍船をひっかけて転覆させるというもの。
もうひとつが、そう、殺人光線だ。大量の鏡で集めた太陽光を、木造の敵艦に集中させ、火災を起こさせ沈めるというものだ。実際に使われたかどうかについてはさまざまな議論があり、ほとんどの学者は非現実的だという見解だ。
その根拠は、繰り返し使われた痕跡がないことから、試しても失敗した可能性が高いことを示しているからだ。
だが、オーク材で作ったローマ船の模型と100以上の鏡を使った「MITの実験」によると、この武器は使えた可能性があったことがわかった。
曇天のせいで何度か失敗を繰り返したが、模型の船が実際に炎に包まれたのだ。これだけでは、アルキメデスが実際に殺人光線を使ったという証拠にはならないが、そのアイデアの可能性は確認できた。
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9. テトラコンテレス(ガレー船)
古代の文献のいくつかには、エジプトのプトレマイオス四世が建造したといわれるテトラコンテレス(ギリシャ語で40の意)と呼ばれる巨大なガレー船が存在したことが記されている。
ギリシャの哲学者アテナイオスは、この船のことを双胴式のガレー船だと言っていて、4000人の漕ぎ手、3000人の兵士、数百人の予備人員を乗せることができたという。
船は、2艘が並行につながる双胴になっていて、全長128メートル、漕ぎ手は両舷それぞれ3段に配置されているオールを漕いだという。
ギリシャの歴史家プルタルコスは、これに対抗して、船のオールは4層になっていて、それぞれの漕ぎ手が両サイドに40列並んでいたという説を打ち出した。
この巨大な船には、船首から船尾までラム(水圧機のピストン)がずらりとついていて、7000人以上も乗っているというのに相当広いデッキスペースがあって、投石器や弓矢の発射台を確保することができた。
かなりの軍備を備えていたはずなのに、プルタルコスはこの船は儀式用にしか使われず、ほとんど係留されたままで、海戦に参加したことはなかったと主張した。
建造後の進水を楽に行うため、乾ドックで建設された初めての船ではないかという。古代に建造された手漕ぎの船としては最大だが、実際に戦いで使われたかどうかは、かなり怪しい。
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8. コルウス
もっとも有名なカルタゴ人といえば、軍を率いてアルプス越えしたハンニバルだろうが、カルタゴはもともと海洋国家で、海上での戦いにはめっぽう強かった。
そんなカルタゴに対抗するため、ローマ人はコルウスという兵器を開発した。これは、船尾に備えつけられた巨大な架橋のようなもので、敵艦の船体に接近して、滑車とロープを使って、相手のデッキにこの架橋を下ろす。
コルウスの底には、鋭く大きなスパイクがついているので、打ち込んでデッキに固定、戦闘員たちはこれを伝って敵艦に乗り移ることができた。
男たちが横に並んで列になって前進できるくらいのスペースがあり、盾を掲げて身を守ることもできた。コルウスのおかげで、海戦に不利だったローマが、第一次ポエニ戦争で何度かカルタゴに勝利することができた。
しかし、コルウスはかなり重量があったため、船が不安定になり、海が荒れているとすぐに転覆してしまうというデメリットもあった。ローマは第一次ポエニ戦争末期には、コルウスの使用を諦めている。
Roman Navy Corvus
7. ギリシャ火薬(ナパーム弾のような武器)
敵に向かって炎を放つナパーム弾のような武器。7世紀後半、ビザンチン帝国が使用したのが始まりと言われている。ヨーロッパ十字軍が初めてこの武器に遭遇して、ギリシャ火薬として知られるようになった。
生石灰とナフサから成り、海面上で燃え続けることができる利点があるため、海軍の武器として開発された。ノズルを備えたビザンチン帝国の船は、激しい炎を放射して敵艦に火をつけることができ、水で消火しようとしても、とても間に合わず、木造の船ならひとたまりもない。
ビザンチン帝国は、長いことギリシャ火薬の実際の成分を門外不出にしていたため、秘密兵器のひとつになっていた。
アラブの艦隊に多大な損害を与えて、イスラム教徒からコンスタンティノープルを防衛するのにも大きな役割を果たした。
最終的に、吸い上げ管による配備のしくみがアラブやブルガリアなど敵方の知るところとなったが、火薬の正確な配合はビザンチン帝国以外に漏れることはなかった。ビザンチン帝国はこの武器の秘密を文字通り死守したため、実際の成分配合は歴史の闇に埋もれてしまった。
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地雷
現在でも問題になっている地雷の起源は諸説あるが、13世紀の中国、宋の時代に、モンゴルの侵略に対抗するために使用されたという説が海外では一般的だ。
そのほとんどは点火ヒューズがついているもので、敵の到着を見越して慎重にタイミングを合わせる必要があった。
初期の地雷は、防水加工された竹で作られていて、中に火薬と鉄片が詰められ、巧妙に設計された起爆装置がとりつけられていた。
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この起爆装置は、ピンで固定された錘でできていて、地雷を踏むとピンがはずれて小さな歯車の集まりの中に錘が落ち、これらが回転して火花が発生すると、火薬に点火する仕組みになっていた。
この地雷は、機能するにはしたが、あまり信頼性がなく、もっと効果的な殺傷武器用の火薬を節約するため、最終的に使用中止となった。
中国人が地雷の使用をやめてからおよそ3世紀後、ヨーロッパの軍隊が地雷を開発し始め、16世紀のドイツで再登場した。19世紀初頭には、雷管の開発により、地雷はより効果的かつ致命的な殺傷兵器となった。
5. 機雷と魚雷
敵艦を攻撃するために船や航空機から発射される自走式魚雷は、13世紀の発明をベースに改良された発明品といえるかもしれない。
1250~1517年のマムルーク朝時代、アラブ人技術者で化学者、発明家のハッサン・アル=ラマーが、新たな火薬の配合、ヒューズ、これらの使用手段を開発した。そのひとつが、海戦で使うための自走式兵器だった。
アル=ラマーは、この兵器を"自ら動き、燃える卵"と称した。水面をロケット推進で動くこの武器は、13世紀半ばに開発された。
二枚の金属シートを必要な形に成形して、それを張り合わせて作られていて、中にはナフサと硝石が詰められた。より長く燃え続けるよう、金属の破片も入っている。これを標的の方向に向けて水中に入れ、ロケットに点火する。
後ろには尾のようなものが取りつけられていて、標的へ向かうコースを維持できるようになっている。
この兵器が戦争で使われた記録はないが、史上初の自走式対艦兵器だったことは確かだ。今日、このような兵器は、水面下を進むことができる魚雷として知られていて、潜水艦の主要な武器になっている。
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4. レオナルド・ダ・ヴィンチの戦車
戦車が戦争で使われるようになったのは、第一次世界大戦の西部戦線だった。塹壕戦の行き詰まりを打開するための試みのひとつだったというが、現代の戦車と似た兵器は、何世紀も前からあった。
あのレオナルド・ダ・ヴィンチが、世界初の戦車を設計、そのスケッチを描いたのは1485年のこと。この車両はどの方向へも動くことができ、現代の戦車のように、さまざまな武器を運搬することができるよう設計されていた。
また、レオナルドは、第二次大戦初期の電撃戦でドイツ軍が使用したような戦車の出現をを予言している。ミラノ大公に宛てた手紙の中で、レオナルドはこの武装した車両は襲撃を先導し、敵の隊列を乱すことができると主張している。さらに、この車の後ろをついて進めば、歩兵は負傷することなく、攻撃されることもないと言っている。
現在、レオナルドが考案した戦車について研究すると、使い物にならなかったと思われる設計の穴がいくつも出てくる。
ステアリングシステムが複雑すぎることや、車輪の歯車も細すぎることから、この戦車は実際には機能しなかったと思われる。
さらに、車に取りつけられている大砲で黒色火薬を使うと、呼吸困難になるほど空気が淀んでしまう可能性があった。
だが、レオナルドの戦車は、こうした問題がすべて解決するくらい技術が進歩するかなり前に提案されたアイデアだったのだ。
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3. ガトリング銃(33 barreled organ)
オルガンという名がついているが、これは楽器ではなく、オルガンのパイプに似た銃身のついた機関銃のような兵器。レオナルド・ダ・ヴィンチの発明で、小口径砲の発射率を上げるために設計された。
16世紀当時のあらゆる火薬兵器は、銃砲に装填するのに時間がかかった。レオナルドは、11門の銃を3層に並べ、各層が回転するプラットフォームにとりつけられている武器を構想した。
最初の層の銃が発射し終わると、プラットフォームが回転して、2層目の銃が標的を狙う。それが終わると、3層目が発射されるという具合に繰り返される。3層目の発射が終わると、2層の銃は冷却のために掃除され、その間に1層目が装填される。
レオナルドの構想では、銃は途切れることなく、ほぼ連続して発射することができるとふんでいた。
彼が考案した戦車と同様、この武器も戦争で使用されることはなかった。実際に組み立てられたこともなく、彼のスケッチやメモの中だけに存在したものと思われる。
だが、現在、世界中の軍隊でさかんに使われている、銃身のたくさんついたガトリング銃のような連続射撃兵器の前身であることは間違いないだろう。
Leonardo Da Vinci's 33 barreled organ (1/6 scale)
2. 潜水艦
今日の海軍が所有するもっとも強力な兵器は、原子力潜水艦だろう。潜水艦は何世紀もかけて、設計、開発されてきた。
あのアレクサンダー大王の軍が、トレドで偵察のために、潜水鐘(水中作業具)のはしりのようなものを使用したという痕跡がある。
いわゆる潜水艦は、17世紀初頭にテムズ川で試運転された。水中に沈んだまま密かに敵艦に近づくことが目的だったが、その効果はまだ不透明だった。
1776年、アメリカ人のデヴィッド・ブッシュネルが建造し、エズラ・リーが操縦するタートル潜水艇が、ニューヨーク港でイギリスの旗艦イーグル号を攻撃したが、この攻撃は失敗に終わり、実際に起こったことなのかどうかも怪しいという歴史家もいる。
アメリカ連合国の潜水艇ハンリーのUSSフーサトニックへの攻撃はまぎれもない事実だが、ハンリー自身も沈没の憂き目にあった。
第一次大戦までに、潜水艦技術は格段に進み、あらゆるタイプの大型戦艦を攻撃、撃沈することが可能になった。第二次大戦中は、すべての海軍の戦艦、航空母艦、巡洋艦などの主力艦は、潜水艦に太刀打ちできないことがわかった。
初めて考案され、実験的に使われてから数世紀、今日の潜水艦は、世界中の海軍の主力艦であることは間違いない。
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1. 装甲艦
世界初の装甲艦は、南北戦争時代のモニター号やメリマック号だと思われているが、そうではない。16世紀の朝鮮の亀甲船だという。
朝鮮海軍にとって3世紀近くもの間、重要な兵器だった。丸みを帯びたカメの甲羅のような形状の、鉄で覆われたデッキが特徴で、船内にいる乗組員を炎や大砲や弓矢から守ることができた。
さらにこの鉄のデッキには、鋭い鉄のスパイクがついていて、乗り移ってこようとする敵をひるませることができたという。
亀甲船は、船の両サイドにオールや大砲が突き出ていたが、何世紀にもわたる技術の進歩とともに、船の仕組みも変化していった。船は実際には鉄で覆われていたわけではないと言う歴史家もいるが、丸い甲板に鉄のスパイクが並んでいたのは事実のようだ。
ヴァイキングの長艇のように、亀甲船にも船首に龍の頭がついていた。敵船に近づいて、そこから有毒な煙を放出するのに使われたこともあったようだ。また、見た目も敵を怖れさせるようなデザインになっていた。
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image by:PHGCOM / WIKI commonsReferences:toptenz/
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image by:Leonardo Da Vinci's 33 barreled organ (1/6 scale)
戦争は常に、敵を倒すための効果的な方法を競って開発する原動力となってきた。これまでの歴史を見ても、長引く戦争中には必ずといっていいほど新たな兵器が開発されている。だが、当時の技術ではまだその設計に応えられなかったため、失敗に終わることも多かった。
例えば、初期の地雷は火薬が詰まっていたが、地中の湿気のせいで火薬が湿って使い物にならず、しばしば不発に終わった。
冶金や化学の技術が進歩するにつれ、兵器を製造し使いまわす効率のいい方法が発見され、科学者、芸術家、数学者などが、今日使われている多くの兵器の前身となる武器をこぞって開発した。
時代を先取りしていたわけだが、技術がアイデアに追いつくにつれ、多くが恐ろしいほどの殺傷力をもつ兵器へと変貌していったのだ。
10. 殺人光線
殺人光線という武器は、SFやスパイ小説の中だけの話だと思われがちだが、実は、かなり昔からアイデアはあった。
古代ギリシャの哲学者で数学者のあのアルキメデスは、ポエニ戦争のときにいくつかの兵器を発明していたという。ひとつは、シラクサの攻防戦で使われたという「アルキメデスの鉤爪」。この武器は、てこと滑車の原理を応用して、ローマの軍船をひっかけて転覆させるというもの。
もうひとつが、そう、殺人光線だ。大量の鏡で集めた太陽光を、木造の敵艦に集中させ、火災を起こさせ沈めるというものだ。実際に使われたかどうかについてはさまざまな議論があり、ほとんどの学者は非現実的だという見解だ。
その根拠は、繰り返し使われた痕跡がないことから、試しても失敗した可能性が高いことを示しているからだ。
だが、オーク材で作ったローマ船の模型と100以上の鏡を使った「MITの実験」によると、この武器は使えた可能性があったことがわかった。
曇天のせいで何度か失敗を繰り返したが、模型の船が実際に炎に包まれたのだ。これだけでは、アルキメデスが実際に殺人光線を使ったという証拠にはならないが、そのアイデアの可能性は確認できた。
Solar Death Ray 10,000 suns 48" DIY Giant Archimedes Parabolic Mirror Reflector
9. テトラコンテレス(ガレー船)
古代の文献のいくつかには、エジプトのプトレマイオス四世が建造したといわれるテトラコンテレス(ギリシャ語で40の意)と呼ばれる巨大なガレー船が存在したことが記されている。
ギリシャの哲学者アテナイオスは、この船のことを双胴式のガレー船だと言っていて、4000人の漕ぎ手、3000人の兵士、数百人の予備人員を乗せることができたという。
船は、2艘が並行につながる双胴になっていて、全長128メートル、漕ぎ手は両舷それぞれ3段に配置されているオールを漕いだという。
ギリシャの歴史家プルタルコスは、これに対抗して、船のオールは4層になっていて、それぞれの漕ぎ手が両サイドに40列並んでいたという説を打ち出した。
この巨大な船には、船首から船尾までラム(水圧機のピストン)がずらりとついていて、7000人以上も乗っているというのに相当広いデッキスペースがあって、投石器や弓矢の発射台を確保することができた。
かなりの軍備を備えていたはずなのに、プルタルコスはこの船は儀式用にしか使われず、ほとんど係留されたままで、海戦に参加したことはなかったと主張した。
建造後の進水を楽に行うため、乾ドックで建設された初めての船ではないかという。古代に建造された手漕ぎの船としては最大だが、実際に戦いで使われたかどうかは、かなり怪しい。
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8. コルウス
もっとも有名なカルタゴ人といえば、軍を率いてアルプス越えしたハンニバルだろうが、カルタゴはもともと海洋国家で、海上での戦いにはめっぽう強かった。
そんなカルタゴに対抗するため、ローマ人はコルウスという兵器を開発した。これは、船尾に備えつけられた巨大な架橋のようなもので、敵艦の船体に接近して、滑車とロープを使って、相手のデッキにこの架橋を下ろす。
コルウスの底には、鋭く大きなスパイクがついているので、打ち込んでデッキに固定、戦闘員たちはこれを伝って敵艦に乗り移ることができた。
男たちが横に並んで列になって前進できるくらいのスペースがあり、盾を掲げて身を守ることもできた。コルウスのおかげで、海戦に不利だったローマが、第一次ポエニ戦争で何度かカルタゴに勝利することができた。
しかし、コルウスはかなり重量があったため、船が不安定になり、海が荒れているとすぐに転覆してしまうというデメリットもあった。ローマは第一次ポエニ戦争末期には、コルウスの使用を諦めている。
Roman Navy Corvus
7. ギリシャ火薬(ナパーム弾のような武器)
敵に向かって炎を放つナパーム弾のような武器。7世紀後半、ビザンチン帝国が使用したのが始まりと言われている。ヨーロッパ十字軍が初めてこの武器に遭遇して、ギリシャ火薬として知られるようになった。
生石灰とナフサから成り、海面上で燃え続けることができる利点があるため、海軍の武器として開発された。ノズルを備えたビザンチン帝国の船は、激しい炎を放射して敵艦に火をつけることができ、水で消火しようとしても、とても間に合わず、木造の船ならひとたまりもない。
ビザンチン帝国は、長いことギリシャ火薬の実際の成分を門外不出にしていたため、秘密兵器のひとつになっていた。
アラブの艦隊に多大な損害を与えて、イスラム教徒からコンスタンティノープルを防衛するのにも大きな役割を果たした。
最終的に、吸い上げ管による配備のしくみがアラブやブルガリアなど敵方の知るところとなったが、火薬の正確な配合はビザンチン帝国以外に漏れることはなかった。ビザンチン帝国はこの武器の秘密を文字通り死守したため、実際の成分配合は歴史の闇に埋もれてしまった。
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地雷
現在でも問題になっている地雷の起源は諸説あるが、13世紀の中国、宋の時代に、モンゴルの侵略に対抗するために使用されたという説が海外では一般的だ。
そのほとんどは点火ヒューズがついているもので、敵の到着を見越して慎重にタイミングを合わせる必要があった。
初期の地雷は、防水加工された竹で作られていて、中に火薬と鉄片が詰められ、巧妙に設計された起爆装置がとりつけられていた。

この起爆装置は、ピンで固定された錘でできていて、地雷を踏むとピンがはずれて小さな歯車の集まりの中に錘が落ち、これらが回転して火花が発生すると、火薬に点火する仕組みになっていた。
この地雷は、機能するにはしたが、あまり信頼性がなく、もっと効果的な殺傷武器用の火薬を節約するため、最終的に使用中止となった。
中国人が地雷の使用をやめてからおよそ3世紀後、ヨーロッパの軍隊が地雷を開発し始め、16世紀のドイツで再登場した。19世紀初頭には、雷管の開発により、地雷はより効果的かつ致命的な殺傷兵器となった。
5. 機雷と魚雷
敵艦を攻撃するために船や航空機から発射される自走式魚雷は、13世紀の発明をベースに改良された発明品といえるかもしれない。
1250~1517年のマムルーク朝時代、アラブ人技術者で化学者、発明家のハッサン・アル=ラマーが、新たな火薬の配合、ヒューズ、これらの使用手段を開発した。そのひとつが、海戦で使うための自走式兵器だった。
アル=ラマーは、この兵器を"自ら動き、燃える卵"と称した。水面をロケット推進で動くこの武器は、13世紀半ばに開発された。
二枚の金属シートを必要な形に成形して、それを張り合わせて作られていて、中にはナフサと硝石が詰められた。より長く燃え続けるよう、金属の破片も入っている。これを標的の方向に向けて水中に入れ、ロケットに点火する。
後ろには尾のようなものが取りつけられていて、標的へ向かうコースを維持できるようになっている。
この兵器が戦争で使われた記録はないが、史上初の自走式対艦兵器だったことは確かだ。今日、このような兵器は、水面下を進むことができる魚雷として知られていて、潜水艦の主要な武器になっている。
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4. レオナルド・ダ・ヴィンチの戦車
戦車が戦争で使われるようになったのは、第一次世界大戦の西部戦線だった。塹壕戦の行き詰まりを打開するための試みのひとつだったというが、現代の戦車と似た兵器は、何世紀も前からあった。
あのレオナルド・ダ・ヴィンチが、世界初の戦車を設計、そのスケッチを描いたのは1485年のこと。この車両はどの方向へも動くことができ、現代の戦車のように、さまざまな武器を運搬することができるよう設計されていた。
また、レオナルドは、第二次大戦初期の電撃戦でドイツ軍が使用したような戦車の出現をを予言している。ミラノ大公に宛てた手紙の中で、レオナルドはこの武装した車両は襲撃を先導し、敵の隊列を乱すことができると主張している。さらに、この車の後ろをついて進めば、歩兵は負傷することなく、攻撃されることもないと言っている。
現在、レオナルドが考案した戦車について研究すると、使い物にならなかったと思われる設計の穴がいくつも出てくる。
ステアリングシステムが複雑すぎることや、車輪の歯車も細すぎることから、この戦車は実際には機能しなかったと思われる。
さらに、車に取りつけられている大砲で黒色火薬を使うと、呼吸困難になるほど空気が淀んでしまう可能性があった。
だが、レオナルドの戦車は、こうした問題がすべて解決するくらい技術が進歩するかなり前に提案されたアイデアだったのだ。
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3. ガトリング銃(33 barreled organ)
オルガンという名がついているが、これは楽器ではなく、オルガンのパイプに似た銃身のついた機関銃のような兵器。レオナルド・ダ・ヴィンチの発明で、小口径砲の発射率を上げるために設計された。
16世紀当時のあらゆる火薬兵器は、銃砲に装填するのに時間がかかった。レオナルドは、11門の銃を3層に並べ、各層が回転するプラットフォームにとりつけられている武器を構想した。
最初の層の銃が発射し終わると、プラットフォームが回転して、2層目の銃が標的を狙う。それが終わると、3層目が発射されるという具合に繰り返される。3層目の発射が終わると、2層の銃は冷却のために掃除され、その間に1層目が装填される。
レオナルドの構想では、銃は途切れることなく、ほぼ連続して発射することができるとふんでいた。
彼が考案した戦車と同様、この武器も戦争で使用されることはなかった。実際に組み立てられたこともなく、彼のスケッチやメモの中だけに存在したものと思われる。
だが、現在、世界中の軍隊でさかんに使われている、銃身のたくさんついたガトリング銃のような連続射撃兵器の前身であることは間違いないだろう。
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2. 潜水艦
今日の海軍が所有するもっとも強力な兵器は、原子力潜水艦だろう。潜水艦は何世紀もかけて、設計、開発されてきた。
あのアレクサンダー大王の軍が、トレドで偵察のために、潜水鐘(水中作業具)のはしりのようなものを使用したという痕跡がある。
いわゆる潜水艦は、17世紀初頭にテムズ川で試運転された。水中に沈んだまま密かに敵艦に近づくことが目的だったが、その効果はまだ不透明だった。
1776年、アメリカ人のデヴィッド・ブッシュネルが建造し、エズラ・リーが操縦するタートル潜水艇が、ニューヨーク港でイギリスの旗艦イーグル号を攻撃したが、この攻撃は失敗に終わり、実際に起こったことなのかどうかも怪しいという歴史家もいる。
アメリカ連合国の潜水艇ハンリーのUSSフーサトニックへの攻撃はまぎれもない事実だが、ハンリー自身も沈没の憂き目にあった。
第一次大戦までに、潜水艦技術は格段に進み、あらゆるタイプの大型戦艦を攻撃、撃沈することが可能になった。第二次大戦中は、すべての海軍の戦艦、航空母艦、巡洋艦などの主力艦は、潜水艦に太刀打ちできないことがわかった。
初めて考案され、実験的に使われてから数世紀、今日の潜水艦は、世界中の海軍の主力艦であることは間違いない。
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1. 装甲艦
世界初の装甲艦は、南北戦争時代のモニター号やメリマック号だと思われているが、そうではない。16世紀の朝鮮の亀甲船だという。
朝鮮海軍にとって3世紀近くもの間、重要な兵器だった。丸みを帯びたカメの甲羅のような形状の、鉄で覆われたデッキが特徴で、船内にいる乗組員を炎や大砲や弓矢から守ることができた。
さらにこの鉄のデッキには、鋭い鉄のスパイクがついていて、乗り移ってこようとする敵をひるませることができたという。
亀甲船は、船の両サイドにオールや大砲が突き出ていたが、何世紀にもわたる技術の進歩とともに、船の仕組みも変化していった。船は実際には鉄で覆われていたわけではないと言う歴史家もいるが、丸い甲板に鉄のスパイクが並んでいたのは事実のようだ。
ヴァイキングの長艇のように、亀甲船にも船首に龍の頭がついていた。敵船に近づいて、そこから有毒な煙を放出するのに使われたこともあったようだ。また、見た目も敵を怖れさせるようなデザインになっていた。
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