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image credit:Jim Barton / Flickr
中世イングランド、さまざまな確執が熾烈を極め、残忍な処罰が行われていたこの時代、裕福な有力者の城や邸宅に、秘密の部屋や隠された逃げ道があるのはごく普通のことだった。
これは家主が身を隠すことができ、突然襲撃されても追っ手から逃げられるようにするためのものだ。
エリザベス1世の時代、こうした秘密部屋や隠し場所の数は急激に増えた。特に古いカトリックの家はそうだった。当時弾圧されていた聖職者をかくまう為だ。
メアリー1世によるプロテスタント迫害
16世紀は宗教対立の緊張が高まった時代だった。
ヨーロッパはローマカトリック教会と勢いを拡大しつつあったプロテスタント勢力で真っ二つになり、ついにヘンリー8世の元、イングランド国教会はローマカトリック教会と袂を分かつことになった。
イギリスの宗教改革はヘンリー8世の息子エドワード6世の治世も続き、彼はその短い治世の間に新たな信仰の形を導入し、急進的な改革を行った。
だが、エドワードの継承者であるメアリー1世はこれに強く反対し、必死になって再びイングランドをカトリック教会の権威の元に引き戻そうとした。
プロテスタント信仰を諦めようとしなかった多くの者が火あぶりになり、彼女はブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれるようになった。
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image credit:executedtoday
エリザベス1世によるカトリック聖職者狩り
メアリー1世の後を継いだ異母姉妹のエリザベス1世は、独自の宗教、貿易、外交政策をもつ強く独立したイングランドを望んでいた。
教義を緩く改革したイングランド国教会を復活させたが、カトリックと教父であるローマ教皇の伝統を継続することも強調した。
だが、エリザベス1世の時代、反カトリック感情が異様に高まり、教皇はエリザベスを異端者とみなし、王位の剥奪を求めた。
謀反や殺人未遂が続き、怒った女王はカトリック、とくに聖職者たちを厳しく弾圧するようになった。
カトリックの聖職者はイングランドへの入国を許されず、彼らをかくまった者も厳しく罰せられた。情報提供者、スパイ、聖職者ハンターのネットワークがイングランドのカトリック聖職者狩りを手助けした。逮捕された聖職者たちは、投獄・拷問され、絞首刑になった。
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エリザベス1世の肖像画image credit:wikipedia
聖職者を隠す秘密の部屋「プリースト・ホール」
逮捕、処刑を避けるために、多くの聖職者は縁者や教師を装って、裕福なカトリックの家庭に潜んで生活し始めた。
こうした屋敷の中の中には「プリースト・ホール」という隠し部屋が作られ、緊急時は聖職者たちはそこに隠れた。
この隠し部屋は、よく暖炉や偽の壁、階段下に作られ、立ち上がったり動き回ってするのが不自由なくらいとても狭いことが多かった。
聖職者ハンターたちは屋敷の中に踏み込んで、ときには何日も使途不明のスペースがないかあらゆる部屋を丹念に調べた。
中で身をひそめていた聖職者は、息をするのも戦々恐々としながらただひたすら静かにじっと横たわっていた。この地獄のような監禁状態の間、食べ物や飲み物も不足し、トイレもなく、聖職者がこの隠し部屋の中で餓死、酸欠で死ぬこともあった。
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2階に設置されたプリースト・ホールimage credit:wikipedia
プリースト・ホールを作るのに尽力したニコラス・オーウェン
もっともたくさんのプリースト・ホールを作った熟練建設者は、イエスズ会士のニコラス・オーウェンだった。
イングランド中の主だったローマカトリックの屋敷内に、自分の人生のほとんどをかけてこうした隠し部屋を作った。
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ウスターシアのハーヴィントン・ホールの西側断面図。ニコラス・オーウェンによるものと思われる隠し部屋が大階段を中心としたあたりに作られているのがわかる。image credit:harvingtonhall
オーウェンの巧みな技のおかげで、こうした隠し部屋は発見されず、何十年、いや何世紀も後になって、のちの屋敷のオーナーが改修しようとしたときに初めて見つかったものもある。
オーウェンは1597年のジョン・ジェラルド神父のロンドン塔からの有名な脱出劇の首謀者だと言われている。
オーウェンの"作品"は、いたるところに残されている。ケンブリッジシアのサウストン・ホール、ウスターシアのハディントン・コート、ウォリックシアのコフトン・ホール、ウスターシアのハーヴィントン・ホールなどだ。
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ハーヴィントン・ホールの秘密の礼拝堂に続くはねあげ戸。ここでは、当時この邸宅にいた司祭によってミサが行われることもあった。image credit:harvingtonhall
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ハーヴィントン・ホールのパン焼き釜の上の煙突スペースに作られていた隠し部屋。image credit:harvingtonhall
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この隠し部屋はハーヴィントン・ホールの偽の暖炉の後ろに作られていた。屋根裏部屋につながっていて、万が一のときはそこから屋敷内のべつの場所に逃げられるようになっていた。炎によって黒く焦げたレンガなど、細かいところまで細工してあった。image credit:harvingtonhall
1606年、別の司祭と近くで隠れていたガーネット神父から当局の注意をそらすために、オーウェンはウスターシアのヒンドリップ・ホールでおとなしく逮捕され、ロンドン塔で拷問を受け獄死した。
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ソルフォード・プライアーの隠し部屋image credit:Allan Fea
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シュロップシアのボスコベル・ハウス2階にある司祭の隠し部屋image credit:Wikimedia
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ハーヴィントン・ホールの隠し部屋への入り口image credit:wikimedia
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コフトン・コートの隠し部屋image credit:nationaltrust.uk
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