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エジプトのファラオたちに関する10の仰天事実

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 ファラオとは古代エジプトの君主の称号であり、しばしば王と和訳される。当時エジプトのファラオたちは、民が崇める神に匹敵すると考えられていた。

 ファラオはいわば民にとって神なのである。だから統治時代に相当ばかげたことをやらかしても許されたのも事実だ。

 例えば猫を救うために自分の軍を敗北させたり、奴隷の全身にハチミツをぬってハエよけにしたり、あるいはナイル川の中心に向かって発射したり。

 ここではそんな古代エジプトの王たちにまつわる10の珍事実を見ていこう。

ネコを救うために自分の軍隊を敗北させたプサンメティコス三世
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 映画『ハムナプトラ 失われた砂漠の都 』を観ると、古代エジプトではネコがとても重要なものだったことがわかる。

 これは、ネコの頭をもつ戦いと糸玉の女神バステトと密接なつながりがあるのが原因だろう。さらに、ネコは家や食料品店をヘビやネズミなどの害虫から守るとして重宝された。そのため、古代エジプトではネコを傷つけたり、面倒をみなかったり、危険な目に合わせたりすることは罪だと考えられていた。

 ファラオたちは、アシモフの「ロボット工学の諸原則」より1000年も前に3つの法律をつくり、家の前でネコにウンチをされても彼らを守るようにした。

 ネコの幸せのためにファラオが自分の民に対して出した命令の究極の例は、プサンメティコス三世のものだろう。彼は、自分の軍隊に戦うなと命令した。その理由は、敵の司令官がたくさんのネコを戦場に放ったからだというのだ。

 敵方のペルシャ王カンビュセス二世は、エジプト人のネコ愛を承知していたので、戦いに臨む前に部下にできるだけ多くのネコを集めさせ、ペルシウムというエジプトの主要な砦の門の前へネコを抱いて歩かせた。そして、前進しながら敵の軍列に向かってネコを放ったのだ。

 ファラオから死刑を宣告されることを怖れたエジプト軍の兵士たちは、カンビュセスの兵士たちが楽々と町の中に入ってくるのをそのまま黙って見過ごす以外どうすることもできなかった。

 カンビュセス軍は、あえて攻撃してくる者は切って捨て、ネコを盾にしてプサンメティコス軍に迫った。古代エジプトでは、たとえただのネコの絵でも攻撃しようものなら、ただではすまなかったからだ。

 結果的に、大勝利をおさめたカンビュセス軍は、堂々と盛大に勝ち戦を祝った。冗談のようだが、カンビュセスは敗北したエジプト軍に行進するよう命令し、彼らにとっての神を侮辱するような言葉を叫びながら、ネコを投げつけていった。

 プサンメティコスにとって幸いなことに、誉れあるファラオの身に起こった災厄としては、次の項ほどばつが悪かったわけではなかった・・・・

9. 怒ったカバに殺された伝説をもつメネス王
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 メネス王は、エジプト最古のファラオと言われていて、上下エジプトを統一し、エジプト第1王朝を創設したとされている

 メネスの実在については所説あるが、現在ではメネスはナルメルと同一であると考えられているようだ。

 メネス王の人生についてはほんのいくつかのことしか確認できていない。彼は比較的平和な時代にエジプトを統治し、民にとても慕われていた。そして、62年の統治ののち、カバに踏み殺されたと伝えられている。

 いったいなぜカバに?これも詳しい記述がないのでわからないのだが、確実にわかっていることは、エジプト初のファラオが護衛もそばにいたのに、どういうわけかカバに奇襲されたという事実だけだ。


8. 死後3000年たってからパスポートを支給されたラムセス二世
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 古代エジプト第19王朝のファラオ、ラムセス二世は、彼の名で建てられた記念碑の多さからいっても、民から慕われていた点からいっても、古代エジプト王の中でも優れた統治者のひとりだろう。

 紀元前13世紀頃、王として66年の統治の後、およそ90年の生涯を終えた彼は、粗末な黄金の棺の中で遺体としてひとりの充実した時間を過ごすつもりだったのかもしれないが、エジプト政府はそれを許さなかった。

 ほかの偉大な多くのファラオと同様、ラムセスの遺体は掘り起こされて、博物館で展示された。神にも劣らないと考えられた彼の1世紀近くにわたる遺産は、古代の人には理解できない言語で書かれた一枚の表示板にまとめられた。

 1974年、数年の展示の後、ラムセスの遺体に劣化が見られたため、修復のためパリの研究所に送ることになった。偉大なファラオのなきがらを荷物のように扱って損ないたくなかったため、エジプト政府はラムセス二世のフランス行きの旅のために、れっきとした公的なエジプトのパスポートを発行した。

 彼の名前と年齢(この渡航のときは3000歳以上)がちゃんと記載され、職業は"ファラオ"、注意書きとして小さく死亡とあった。3000歳という事実など、まったく関係ないかのようだ。


7. 巨大なヴァギナ像を建造したセソストリス王
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 セソストリス王の存在は定かではない。現代の歴史家たちは、エジプトの歴史に実在した何人かのファラオたちの人生から抜粋して作り上げられた人物ではないかと思っている。あまりにも古い時代の為、ファラオに関しての本当のことはいまだによく分かっていないのだ。

 伝えられているところによると、セソストリスは軍の司令官として非常に自信をもっていて、戦争好きだったと言われる。劣勢な敵を見るとあからさまに嘲笑し、あっぱれと思う敵は褒めたたえた。

 このファラオの晩年は、征服した町の真ん中に巨大なヴァギナ像を建てることに専念し、町はその像のせいでさらに戦意を喪失したという。こうした形で敵を辱しめるやり方で、征服した町の軍隊は女々しい戦いだったということをほのめかしたわけだ。

 ただしこの話の出所は、信用できないことで有名な歴史学者ヘロドトスだというので、真相のほどはわからない。


6. 宗教を排除したらエジプトに排除されたアメンホテプ四世
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 アメンホテプ四世は、古代エジプトに一神教を持ち込もうとして大バッシングをくらい、歴史からほとんど抹殺されたと言われている。
 
 あらゆるものに神が宿るとした多神教だった伝統的なエジプトの宗教を否定し、たったひとりの全能の神アテンを民に信じさせようとした。クールなワニ男やイヌの頭をもつ死神ではなく、アテン神はたくさんの手をもつ光の円盤だったせいか、エジプトの人々は、アメンホテプが亡くなった後すぐにこの新しい宗教を大々的に拒絶し始めた。

 アメン神につながるすべてのもの、その延長線で、自分はアテン神の地球における代理者であるとしたアメンホテプ自身も、エジプトから消し去られた。

 アメンホテプが建てた巨大神殿から、アテン神が描かれたただの料理用鍋まで、あらゆるものが破壊され、アメンホテプも裏切者のレッテルをはられて、歴史の記録から末梢された。

 それがあまりにも徹底していたため、現代の学者たちは19世紀後半になるまでアメンホテプの存在をまったく知らなかった。この大静粛を生き延びたアテン神関連のものがいくつか発見されたため、その存在が判明したのだ。


5. 多くのファラオは儀式と称しナイル川に向かって射精した
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 ファラオの射精行為は、古代エジプトの文化において驚くほど大きな役割を果たしていた。古代エジプト社会が創作した物語は、多くの神が宇宙に向かって新たな生命を作り出すために射精するという話が多い。

 ファラオたちが、ときどきナイルの水流に向かって射精するのは、神と同じ習慣を踏襲したといえる。

 この奇妙な行いの背景には、御前におわす神と同じように、ナイルにファラオの神聖なる種を仕込んで、豊作という形で水から新たな生命を芽生えさせるという考えがある。もちろん、すべてのファラオがこうした行為をしたわけではない。男性のファラオばかりだったわけではないからだ。


4. フェイクのひげをつけていたハトシェプスト女王
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 古代エジプトのファラオは、おかしな帽子に間の抜けたあごひげ(顎鬚)といった奇妙なものを身に着け、輝やかんばかりの肌をした男性というイメージだが、エジプトには女性のファラオもかなりいた。

 その中のひとり、ハトシェプスト女王は、エジプト史上もっとも名高い統治者のひとりで、最長政権を成功させた女性として評価されている。

 エジプトの財源を黄金と貴重なスパイスでいっぱいにする主要な貿易ルートを開拓したでけでなく、すぐれもののアイライナーを発明して、ほかのファラオたちもこぞって使ったといわれている。

 ハトシェプストの性別は、民にとってほとんど問題ではなかったようだ。彼女の優美な美貌を称える多くの銅像が建てられたが、女性なのにどういうわけかしっかりあごひげがつけられている。

 古代エジプトでは、ばかばかしいほどのあごひげがファラオの権力の象徴とみられていたため、男でも女でもすべてのファラオが、みごとなまでのひげを特別な式典のときなどに見せつけていた。

 ひげの濃くない男性ファラオや女性のファラオには、どだい無理な話だ。そのため、よくできたフェイクのひげが作られるようになった。

 さらにハトシェプストはその一歩先をいっていた。すべての像を自分によく似せながらも、女性には国家統治ができないと信じている懐疑派を黙らせるために、男性らしい体つきの像をつくらせたのだ。

 その結果、ハトシェプストの銅像は歴史家の間で非常に興味をそそる対象となった。像は明らかに女性らしい顔立ちをしているのに、体は浅黒い男性でしかもあごひげがついているのだ。


3.裸絨毯で自分の体を利用したクレオパトラ
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 クレオパトラもハプシェプストと同様、優れた女性の統治者だが、自分を男のように見せたハプシェプストとはまったく逆のタイプだ。

 クレオパトラは事を思い通りに運ぶために、女性らしさを全面に押し出した手練手管を使ったことで有名だ。ユリウス・カエサルを懐柔させるためにいかにうまくベッドに誘ったかという話ほど、これを端的に表している話はない。

 その美貌とたぐいまれなる頭の回転の良さで、古代世界でその名を知られていたクレオパトラは、自分の政治権力を盤石なものにするために、ローマの支配者であるカエサルの支援をとりつけようとしていた。

 折しもカエサルが外交訪問するというので、それを利用しようとたくらんだ。このとき、カエサル52歳、クレオパトラ20歳。クレオパトラは自分の肉体を利用するのが一番いい方法だと気づいた。

 カエサルに自分の進出を阻むチャンスを確実に与えないようにするため、クレオパトラは一糸まとわぬ姿になって、奴隷たちの助けをかりて大きな絨毯(ベッドシーツという説もある)の中にくるまり、それをカエサルへの贈り物として届けさせた。

 奴隷がカエサルの部屋のドアをノックし、贈り物をお届けにあがりましたと言って、彼のベッドの
足元に絨毯を広げると、裸のクレオパトラが現われ、カエサルをベッドに誘ったという。

 カエサルとクレオパトラが他人でなくなった結果、古代世界でもっとも影響力をもつカップルが誕生した。歴史的恋愛絵巻が今ここに幕を開けたのである。


2. 奴隷の全身にハチミツを塗りハエよけにしていたペピィ二世
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 ペピィ二世は特筆すべきところのないファラオだと考えられている。確かに彼はエジプトを治めたものの、その治世の間ほとんどは食べ物をたらふく食い、エジプトの灼熱の太陽の下、裸で水浴びをして太陽神ラーの恩恵を受けて満足していた。

 そんなペピィはことのほかハエが嫌いだった。特に食事をするとき、彼はいつも口いっぱいほおばっていたので、ハエがどんどん集まってくる。

 この問題をなんとかするために、ペピィは、毎日ひとりの奴隷の全身にハチミツを塗って、遠巻きに立つよう命じた。必然的に奴隷の体のほうに、ハチミツ目当てのハエがたかるため、その間、ペピィは煩わされることなくゆっくり食事ができた。

 これに味をしめたペピィは、ハチミツ奴隷を自分の宮殿のすべての部屋に立たせ、二度とハエに悩まされないようにした。


1. 宇宙の短剣を持っていたツタンカーメン
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 ツタンカーメンが持っていた小さな短剣は、宇宙からの隕石の金属で作られていると専門家たちは信じている。1920年代に王の墓から発見されたこの短剣は、何千年もたった今日でも錆びることなく切れ味もいい。

King Tut's Dagger Is Actually from Outer Space


 この短剣がどこからやってきたのか、誰にもわからない。歴史的な証拠からは、古代エジプト人は鉄を精錬する技術はまだもっておらず、ましてや宇宙産金属を使って武器を作ることなどできなかったはずだからだ。

 そのため、歴史家たちは短剣はそうした技術をもつ外国からの贈りものだったのではないかと推測している。そしてどうにも、その外国とは地球外も考慮にいれないわけにはいかないようだ。

via:10 Crazy Things Done by Egyptian Pharaohs

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