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これを読み終わるころ、あなたは誰よりもテトリスに詳しくなっているだろう。その起源から世界的に人気が高まるまでの歴史、ライセンス争奪戦からテトリスの名が付いた病気、科学研究にいたるまで、テトリスのすべてが網羅されている。
激レア扱いとなったメガドライブ版、テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂など、テトリスに関する雑学が盛りだくさんだ。
テトリスの起源
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1984年、ソビエト連邦(現ロシア)の首都モスクワで、29歳のコンピューター技師アレクセイ・パジトノフはロシア科学アカデミーの建物の奥深くに座っていた。彼は目の前にある馬鹿でかい「エレクトロニカ60」に自身の最新のプログラムを入力しているところだった。あなたが彼の上司であったなら、パジトノフはデバッグの最中だと告げたことだろう。だが、実のところ、彼は取り憑かれていた。
パジトノフの肩越しに何を作業しているものか覗いてみたとしても、まったく見当もつかなかったことだろう。ただ画面を震えながら落ちる文字が見えるばかりである。エレクトロニカは相当に原始的なコンピューターで、文字しか表示することができなかった。だが、これこそが後に『テトリス』と呼ばれることになるプログラムの初期プロトタイプであった。
このテトロミノ(正方形を辺でつなげた多角形の一種)とテニスを組み合わせた名称を持つゲームは、やがて世界を席巻することになる。シンプルだが、中毒性の高さゆえだ。
「プログラムは複雑ではありませんでした」とパジトノフは2009年にガーディアン紙のインタビューで答えている。「スコアもレベルもありませんでしたが、プレイしたら止められなくなりました。そういうわけです」と。
それから数年で、テトリスの魅力はテレビゲーム業界でも有数の奇妙な成り行きをたどることになる。そこに登場するのは、ロバート・マクスウェル、ミハイル・ゴルバチョフ、アンドルー・ロイド・ウェバーら、80年代、90年代の錚々たる顔ぶれである。
テトリスは密輸から広まった
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社会主義のソ連において私的なビジネスが違法であったことから、パジトノフはテトリスを売り出そうとしたことで上司が何をしてくるのか気が気ではなかった。それでも同僚ドミトリー・パブロフスキーと若干16歳のプログラマー、ヴァディム・ゲラシモフの助けを借りながら、テトリスの開発は続けられた。
ゲラシモフは完成版にも見られるアイデアやルールの一部を考案し、さらに重要なことにテトリスをかさばるエレクトロニカ60から一般的なPCへと移植した人物だ。PC版は色付きのグラフィックに対応している。パズルゲームのテトリスに対するその恩恵は明らかだ。1985年になると、パジトノフとゲラシモフは友達たちにPC版のテトリスを配り始める。こうしてテトリスは世に出回り始めた。
やがてソ連からハンガリーに密輸され、ここからヨーロッパ全土へと拡散する。まるでウイルスのようにコンピューターからコンピューターへと中毒者を増やしていった。
英ミラーソフト社の関与により人気が加速
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ミラーソフト社は、コンピューターブームに沸く1980年代のイギリスで設立された多くのソフトウェア会社の1つだ。創業者はジム・マコノキーとロバート・マクスウェルである。特にマクスウェルはメディア業界に一時代を築いた非常に有名な人物である。テトリスをZXスペクトラム、アムストラッドCPC、コモドール64に移植し、1987年と88年に初の製品版をリリースしたのが、このミラーソフトだ。
ミラーソフトによるテトリスでは、パッケージと背景グラフィックにロシアの雰囲気が与えられた(バージョンの1つは、その中毒性からUSSRで禁止されたと触れ込んですらいる)。だが、ミラーソフトがテトリスを発売する権利があったものか控えめに言っても疑わしい。同社はテトリスの版権をまた別の英国企業アンドロメダ社から取得しているのだが、アンドロメダはパジトノフ本人とも、ソ連政府ともきちんとした形の契約を交わしていないのだ。
にもかかわらず、テトリスは即座にヒットし、熱狂的なレビューが寄せられた。評判はさらに広まり、そのネームバリューが高まると、テトリスの権利を巡って激しい闘争に発展することとなった。
西側諸国でライセンス獲得の争奪戦
![3_e5]()
テトリスにハマった人の中でもキーパーソンの1人だったのがヘンク・ロジャースだ。オランダのテレビゲーム製作者であり、パブリッシャーでもあった人物である。
彼が初めてテトリスを目にしたのは、1988年1月に開かれたラスベガスのコンピューター・エレクトロニクス・ショーであった。その潜在能力にすぐに気がついた。だが、それはアメリカ、ヨーロッパ、日本、ソ連の業界人も同様であった。
鉄のカーテンの裏では、国有企業Elektronorgtechnica社(ELORG社)がテトリスの海外における販売権を獲得する。パジトノフらがテトリスを開発したのはロシア科学アカデミーの勤務中のことであり、そのためにテトリスの権利は国家にあった。ELORGが版権を得たのはこうした経緯による。
テトリスに関する権利関係で大いに揉めたのはイギリスだ。ELORGの取締役だったアレクサンドル・アレキシンコがアンドロメダが版権をもたないまま販売していることに気がついたことから、同社はELORGと正式なライセンス契約を交わさざるをえなくなる。
この間、スペクトラム・ホロバイト社が版権をヘンク・ロジャースのバレットプルーフ・ソフトウェア社にサブライセンスしており、さらにブレットプルーフ・ソフトウェアは日本への販売を目論んでいた。だが、ミラーソフトもまたアメリカと日本での販売を狙うアタリ社とサブライセンス契約を交わしていた。
ここで任天堂が参戦
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よく分からなくても心配はいらない。その通りだからだ。そして、この混乱をさらに搔き回すかのように、ヘンク・ロジャースはゲームボーイ用テトリスの開発を計画する任天堂と取引を行っていた。だが、その前にロジャースはELORGから携帯機用のテトリスの版権を入手する必要があった。
そして次の出来後によって、まるでゲーム業界発の三文ドラマのような様相を呈するようになる。ロジャースはモスクワに向かい、当局から許可を得ないままELORGとの直接交渉に乗り出した。が、このとき、アンドロメダのロバート・シュタインとミラーソフトのケヴィン・マクスウェル(ロバートの息子)までがモスクワを訪れていたことなど彼に知る由もなかった。
ロジャースはKGB、弁護士、関係者の面々とテトリスの著作権に関して2時間の会合を持った。そして結果的には、ロバート・マクスウェルが当時のソ連書記長ミハイル・ゴルバチョフに直訴したにもかかわらず、持ち前の魅力を発揮したロジャースがテトリスのコンソール版の版権を勝ち取った。だが、この権利を巡る狂乱はその後数年間も続くことになる(メディア王マクスウェルの死から数年後、FBIは彼がロシアのスパイであった可能性を指摘しているが、それはまた別の話だ)。
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レアなアタリのNES版テトリス……
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版権の獲得競争に参加していたビッグネームにアタリがある。アタリは1988年にアーケード版テトリスを制作しており、翌年5月に子会社テンゲンを通してニンテンドーエンターテインメントシステム(NES。海外向けのファミコン)版をリリースした。
しかし、アタリは問題に直面する。ヘンク・ロジャースがELORGと独占契約を結んだおかげで、任天堂は裁判でライバルがNESでテトリスを発売する権利を否定する判決を勝ち取ったのだ。アタリにとっては屈辱的な敗北であり、売れ残ったNES版の販売から撤退せざるをえなくなった。NES版テトリスはおそよ10万本が出回ったと考えられている。任天堂が作ったバージョンよりも出来がいいとの評判で、現在ではコレクターズアイテム扱いだ。
激レアなのがメガドライブ版
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セガは80年代後半にテトリスのアーケード版を作成し、その16ビットコンソール機への移植版も準備した。しかし、テトリスにまつわる狂乱のおかげで、セガはゲームを廃棄するように急かされてしまう。それでも、ごくわずかなメガドライブ版は現存する。2011年、パジトノフのサイン入りメガドライブ版テトリスがeBayに出品され、おそろしいことに1億円相当の値をつけた。
テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂
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テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂だ。バレットプルーフと共同開発したゲームボーイ版テトリスは、携帯用ゲーム機のまさにキラーアプリであった。テトリスがなくてもゲームボーイはそれなりに成功を収めたかもしれないが、モノクロ画面のこの機体にこれ以上ぴったりなゲームを思い浮かべることは難しいだろう。
ゲームボーイと短い時間で手軽に没頭できるテトリスとの相性は抜群であった。1989年に同梱販売されると、テトリスはあっというまに世界で最も広く遊ばれるベストセラーゲームとなった。携帯機はもはやテトリス抜きでは考えられない。
アンドルー・ロイド・ウェバーがヒットチャートに送り込んだテトリス
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テトリスの音楽としては、田中宏和がアレンジしたロシア民謡のコロベイニキがあまりにも有名だ。80年代後半~90年代にかけて、ゲームボーイの小さなスピーカーから流れたこの曲は、大勢の人が耳にしたことがあるだろう。ゲーム音楽ではスーパーマリオブラザーズのテーマと並ぶ、誰もが知る曲である。
なんとテトリスのコロベイニキは、90年代初頭のヒットチャートにも登場したことがある。『キャッツ』や『オペラ座の怪人』の作曲家として知られるアンドルー・ロイド・ウェバーとレコードプロデューサーのナイジェル・ライトが1992年にダンスリミックス『テトリス』をリリースしたのだ。これはイギリスのチャートで2位を獲得している。
が、一方のパジトノフはテトリスにロシア民謡が使われたことをあまりよく思っていないようだ。ガーディアン紙のインタビューで、「かなり恥ずかしいです。子供がこれを耳にすると、『テトリス!』って叫び始めるんですよ。ロシア文化には悪影響ですね……」と発言している。
テトリスにちなんだ症状名
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テトリスを長期間プレイすることで、「テトリス効果」や「テトリス症候群」という症状が発症することがある。身の回りのものがテトリスに見えてきて、どうすれば組み合わさるか勝手に考え始めてしまうのだ。また、寝ているときにテトリスのカラーブロックが落ちてくる夢を見ることもある。
これはそれほど深刻な症状ではない。それどころか、専門家の中にはテトリスをプレイするといいことがあると主張する者もいる。
PTSDの患者の治療から喫煙者の禁煙支援まで、大脳皮質を強化するテトリスからは様々な恩恵が得られるというのだ。また空間認知能力も向上するようだ。つまり、80年代、90年代にテトリスで育った世代は、バックでの駐車が大の得意だということだ……多分きっとそう。
テトリスの論文を書いた数学者
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完成した行を消すこのゲームに熟達すれば、理論的には永遠にプレイし続けることが可能であるとお考えかもしれない。だが、数学者ジョン・ブルズストウスキーによれば、長時間プレイすればかならず敗北で終わるのだそうだ。
これは1992年に発表した彼の修士論文で、彼の言う”歪型”テトリミノ(S型とZ型のテトリミノ)が大量に出ると、隙間が不可避となり、最終的にはゲームオーバーになるという論旨だ。だが最近のバージョンでは、テトリミノの出現はランダムになるよう調整されており、永遠にプレイすることが可能になっている。
テトリスの中毒性の秘密はツァイガルニク効果
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パジトノフがテトリスを生み出してから30年、このゲームは今もなお世界で広くプレイされ続けている。最新のゲーム機からスマートフォンまで、様々な機器に移植され、少なくとも10億人はプレイヤーがいると推定される。
それほどまで人々を熱中させる秘訣は何なのだろうか? 心理学者トム・スタッフォードによれば、それはツァイガルニク効果であるという。これはロシアの心理学者ブルーマ・ツァイガルニクが、大量の注文を記憶するカフェのウェイトレスは注文が完了するとすぐに忘れてしまうことから、脳は未完了の事柄に対しては容量を用意するが、必要がなくなればすぐに廃棄してしまうと提唱した理論だ。
「テトリスは未完了のタスクを継続的に作り出し、プレイヤーの注意を維持する」とスタッフォードは2012年の論文で論じている。「ゲーム内の各アクションによって、行が埋まり、パズルは部分的に解かれる。しかし、新しい未完の作業も残る。こうした部分的な解決と新しい未完作業の連鎖は数時間におよぶが、それは行が削られるたびに同じような満足が得られる瞬間で満ちている」
ほとんど偶然であろうが、アレクセイ・パジトノフが作り出したゲームは脳の問題解決領域を刺激するものだったのだ。これが中毒性の源泉である。このために私たちは誕生から30年経った今もテトリスをプレイしている。そして、今後数十年は変わらないであろう。
via:The Incredibly Weird Story Behind Tetris
実は私もテトリスにはまってしまった人類の1人である。シンプルながらあの中毒性は凄いと思う。様々なパズル系ゲームをプレイしているが、ちょっとしたバグを含めてテトリスの完成度の高さって相当なものだと思う。
☆まだあったんか!
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これを読み終わるころ、あなたは誰よりもテトリスに詳しくなっているだろう。その起源から世界的に人気が高まるまでの歴史、ライセンス争奪戦からテトリスの名が付いた病気、科学研究にいたるまで、テトリスのすべてが網羅されている。
激レア扱いとなったメガドライブ版、テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂など、テトリスに関する雑学が盛りだくさんだ。
テトリスの起源
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1984年、ソビエト連邦(現ロシア)の首都モスクワで、29歳のコンピューター技師アレクセイ・パジトノフはロシア科学アカデミーの建物の奥深くに座っていた。彼は目の前にある馬鹿でかい「エレクトロニカ60」に自身の最新のプログラムを入力しているところだった。あなたが彼の上司であったなら、パジトノフはデバッグの最中だと告げたことだろう。だが、実のところ、彼は取り憑かれていた。
パジトノフの肩越しに何を作業しているものか覗いてみたとしても、まったく見当もつかなかったことだろう。ただ画面を震えながら落ちる文字が見えるばかりである。エレクトロニカは相当に原始的なコンピューターで、文字しか表示することができなかった。だが、これこそが後に『テトリス』と呼ばれることになるプログラムの初期プロトタイプであった。
このテトロミノ(正方形を辺でつなげた多角形の一種)とテニスを組み合わせた名称を持つゲームは、やがて世界を席巻することになる。シンプルだが、中毒性の高さゆえだ。
「プログラムは複雑ではありませんでした」とパジトノフは2009年にガーディアン紙のインタビューで答えている。「スコアもレベルもありませんでしたが、プレイしたら止められなくなりました。そういうわけです」と。
それから数年で、テトリスの魅力はテレビゲーム業界でも有数の奇妙な成り行きをたどることになる。そこに登場するのは、ロバート・マクスウェル、ミハイル・ゴルバチョフ、アンドルー・ロイド・ウェバーら、80年代、90年代の錚々たる顔ぶれである。
テトリスは密輸から広まった
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社会主義のソ連において私的なビジネスが違法であったことから、パジトノフはテトリスを売り出そうとしたことで上司が何をしてくるのか気が気ではなかった。それでも同僚ドミトリー・パブロフスキーと若干16歳のプログラマー、ヴァディム・ゲラシモフの助けを借りながら、テトリスの開発は続けられた。
ゲラシモフは完成版にも見られるアイデアやルールの一部を考案し、さらに重要なことにテトリスをかさばるエレクトロニカ60から一般的なPCへと移植した人物だ。PC版は色付きのグラフィックに対応している。パズルゲームのテトリスに対するその恩恵は明らかだ。1985年になると、パジトノフとゲラシモフは友達たちにPC版のテトリスを配り始める。こうしてテトリスは世に出回り始めた。
やがてソ連からハンガリーに密輸され、ここからヨーロッパ全土へと拡散する。まるでウイルスのようにコンピューターからコンピューターへと中毒者を増やしていった。
英ミラーソフト社の関与により人気が加速
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ミラーソフト社は、コンピューターブームに沸く1980年代のイギリスで設立された多くのソフトウェア会社の1つだ。創業者はジム・マコノキーとロバート・マクスウェルである。特にマクスウェルはメディア業界に一時代を築いた非常に有名な人物である。テトリスをZXスペクトラム、アムストラッドCPC、コモドール64に移植し、1987年と88年に初の製品版をリリースしたのが、このミラーソフトだ。
ミラーソフトによるテトリスでは、パッケージと背景グラフィックにロシアの雰囲気が与えられた(バージョンの1つは、その中毒性からUSSRで禁止されたと触れ込んですらいる)。だが、ミラーソフトがテトリスを発売する権利があったものか控えめに言っても疑わしい。同社はテトリスの版権をまた別の英国企業アンドロメダ社から取得しているのだが、アンドロメダはパジトノフ本人とも、ソ連政府ともきちんとした形の契約を交わしていないのだ。
にもかかわらず、テトリスは即座にヒットし、熱狂的なレビューが寄せられた。評判はさらに広まり、そのネームバリューが高まると、テトリスの権利を巡って激しい闘争に発展することとなった。
西側諸国でライセンス獲得の争奪戦
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テトリスにハマった人の中でもキーパーソンの1人だったのがヘンク・ロジャースだ。オランダのテレビゲーム製作者であり、パブリッシャーでもあった人物である。
彼が初めてテトリスを目にしたのは、1988年1月に開かれたラスベガスのコンピューター・エレクトロニクス・ショーであった。その潜在能力にすぐに気がついた。だが、それはアメリカ、ヨーロッパ、日本、ソ連の業界人も同様であった。
鉄のカーテンの裏では、国有企業Elektronorgtechnica社(ELORG社)がテトリスの海外における販売権を獲得する。パジトノフらがテトリスを開発したのはロシア科学アカデミーの勤務中のことであり、そのためにテトリスの権利は国家にあった。ELORGが版権を得たのはこうした経緯による。
テトリスに関する権利関係で大いに揉めたのはイギリスだ。ELORGの取締役だったアレクサンドル・アレキシンコがアンドロメダが版権をもたないまま販売していることに気がついたことから、同社はELORGと正式なライセンス契約を交わさざるをえなくなる。
この間、スペクトラム・ホロバイト社が版権をヘンク・ロジャースのバレットプルーフ・ソフトウェア社にサブライセンスしており、さらにブレットプルーフ・ソフトウェアは日本への販売を目論んでいた。だが、ミラーソフトもまたアメリカと日本での販売を狙うアタリ社とサブライセンス契約を交わしていた。
ここで任天堂が参戦
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よく分からなくても心配はいらない。その通りだからだ。そして、この混乱をさらに搔き回すかのように、ヘンク・ロジャースはゲームボーイ用テトリスの開発を計画する任天堂と取引を行っていた。だが、その前にロジャースはELORGから携帯機用のテトリスの版権を入手する必要があった。
そして次の出来後によって、まるでゲーム業界発の三文ドラマのような様相を呈するようになる。ロジャースはモスクワに向かい、当局から許可を得ないままELORGとの直接交渉に乗り出した。が、このとき、アンドロメダのロバート・シュタインとミラーソフトのケヴィン・マクスウェル(ロバートの息子)までがモスクワを訪れていたことなど彼に知る由もなかった。
ロジャースはKGB、弁護士、関係者の面々とテトリスの著作権に関して2時間の会合を持った。そして結果的には、ロバート・マクスウェルが当時のソ連書記長ミハイル・ゴルバチョフに直訴したにもかかわらず、持ち前の魅力を発揮したロジャースがテトリスのコンソール版の版権を勝ち取った。だが、この権利を巡る狂乱はその後数年間も続くことになる(メディア王マクスウェルの死から数年後、FBIは彼がロシアのスパイであった可能性を指摘しているが、それはまた別の話だ)。
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レアなアタリのNES版テトリス……
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版権の獲得競争に参加していたビッグネームにアタリがある。アタリは1988年にアーケード版テトリスを制作しており、翌年5月に子会社テンゲンを通してニンテンドーエンターテインメントシステム(NES。海外向けのファミコン)版をリリースした。
しかし、アタリは問題に直面する。ヘンク・ロジャースがELORGと独占契約を結んだおかげで、任天堂は裁判でライバルがNESでテトリスを発売する権利を否定する判決を勝ち取ったのだ。アタリにとっては屈辱的な敗北であり、売れ残ったNES版の販売から撤退せざるをえなくなった。NES版テトリスはおそよ10万本が出回ったと考えられている。任天堂が作ったバージョンよりも出来がいいとの評判で、現在ではコレクターズアイテム扱いだ。
激レアなのがメガドライブ版
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セガは80年代後半にテトリスのアーケード版を作成し、その16ビットコンソール機への移植版も準備した。しかし、テトリスにまつわる狂乱のおかげで、セガはゲームを廃棄するように急かされてしまう。それでも、ごくわずかなメガドライブ版は現存する。2011年、パジトノフのサイン入りメガドライブ版テトリスがeBayに出品され、おそろしいことに1億円相当の値をつけた。
テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂
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テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂だ。バレットプルーフと共同開発したゲームボーイ版テトリスは、携帯用ゲーム機のまさにキラーアプリであった。テトリスがなくてもゲームボーイはそれなりに成功を収めたかもしれないが、モノクロ画面のこの機体にこれ以上ぴったりなゲームを思い浮かべることは難しいだろう。
ゲームボーイと短い時間で手軽に没頭できるテトリスとの相性は抜群であった。1989年に同梱販売されると、テトリスはあっというまに世界で最も広く遊ばれるベストセラーゲームとなった。携帯機はもはやテトリス抜きでは考えられない。
アンドルー・ロイド・ウェバーがヒットチャートに送り込んだテトリス
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テトリスの音楽としては、田中宏和がアレンジしたロシア民謡のコロベイニキがあまりにも有名だ。80年代後半~90年代にかけて、ゲームボーイの小さなスピーカーから流れたこの曲は、大勢の人が耳にしたことがあるだろう。ゲーム音楽ではスーパーマリオブラザーズのテーマと並ぶ、誰もが知る曲である。
なんとテトリスのコロベイニキは、90年代初頭のヒットチャートにも登場したことがある。『キャッツ』や『オペラ座の怪人』の作曲家として知られるアンドルー・ロイド・ウェバーとレコードプロデューサーのナイジェル・ライトが1992年にダンスリミックス『テトリス』をリリースしたのだ。これはイギリスのチャートで2位を獲得している。
が、一方のパジトノフはテトリスにロシア民謡が使われたことをあまりよく思っていないようだ。ガーディアン紙のインタビューで、「かなり恥ずかしいです。子供がこれを耳にすると、『テトリス!』って叫び始めるんですよ。ロシア文化には悪影響ですね……」と発言している。
テトリスにちなんだ症状名
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これはそれほど深刻な症状ではない。それどころか、専門家の中にはテトリスをプレイするといいことがあると主張する者もいる。
PTSDの患者の治療から喫煙者の禁煙支援まで、大脳皮質を強化するテトリスからは様々な恩恵が得られるというのだ。また空間認知能力も向上するようだ。つまり、80年代、90年代にテトリスで育った世代は、バックでの駐車が大の得意だということだ……多分きっとそう。
テトリスの論文を書いた数学者
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これは1992年に発表した彼の修士論文で、彼の言う”歪型”テトリミノ(S型とZ型のテトリミノ)が大量に出ると、隙間が不可避となり、最終的にはゲームオーバーになるという論旨だ。だが最近のバージョンでは、テトリミノの出現はランダムになるよう調整されており、永遠にプレイすることが可能になっている。
テトリスの中毒性の秘密はツァイガルニク効果
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パジトノフがテトリスを生み出してから30年、このゲームは今もなお世界で広くプレイされ続けている。最新のゲーム機からスマートフォンまで、様々な機器に移植され、少なくとも10億人はプレイヤーがいると推定される。
それほどまで人々を熱中させる秘訣は何なのだろうか? 心理学者トム・スタッフォードによれば、それはツァイガルニク効果であるという。これはロシアの心理学者ブルーマ・ツァイガルニクが、大量の注文を記憶するカフェのウェイトレスは注文が完了するとすぐに忘れてしまうことから、脳は未完了の事柄に対しては容量を用意するが、必要がなくなればすぐに廃棄してしまうと提唱した理論だ。
「テトリスは未完了のタスクを継続的に作り出し、プレイヤーの注意を維持する」とスタッフォードは2012年の論文で論じている。「ゲーム内の各アクションによって、行が埋まり、パズルは部分的に解かれる。しかし、新しい未完の作業も残る。こうした部分的な解決と新しい未完作業の連鎖は数時間におよぶが、それは行が削られるたびに同じような満足が得られる瞬間で満ちている」
ほとんど偶然であろうが、アレクセイ・パジトノフが作り出したゲームは脳の問題解決領域を刺激するものだったのだ。これが中毒性の源泉である。このために私たちは誕生から30年経った今もテトリスをプレイしている。そして、今後数十年は変わらないであろう。
via:The Incredibly Weird Story Behind Tetris
実は私もテトリスにはまってしまった人類の1人である。シンプルながらあの中毒性は凄いと思う。様々なパズル系ゲームをプレイしているが、ちょっとしたバグを含めてテトリスの完成度の高さって相当なものだと思う。
☆まだあったんか!
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